自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

2023-01-01から1年間の記事一覧

男と女の間には(その2)

2017年10月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 男と女の違いというより、個と個の物の考え方の違いではないか。 世の現象を考える際、カテゴリー(枠)にはめて現象をとらえる人と、できる限り枠を取っ払いその個に答えを求めようとする…

男と女の間には(その1)

2017年9月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 わかり合えない溝があったのか。 先日、エッセイストの酒井順子さんにインタビューした後、少し落ち込んだ。うまく話を聞き出せないまま終わった感じがしたのだ。 それは、男と女という属性…

30歳、大町、冬の感覚

2017年8月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 1991年春から1年間、北アルプスの麓に住んだ。安曇野の奥、大町市という街で、私は30歳だった。 当時は年齢のことなど意識していない。30歳になったんだから、といった考えはなかった。そ…

1−4−7の法則

2017年7月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「1−4−7(イースーチー)の法則」というのがある。というか私が勝手に思いついた人間理解法だ。もしかしたら、誰かがすでに言っているかもしれないが、考えがまとまったので、ここで説明…

団塊の世代の沈黙

2017年6月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「団塊の世代」という言い方は、作家の堺屋太一さんの発案だが、本人もここまで浸透するとは思っていなかったらしい。私もある頃までは「全共闘世代」と呼んでいたが、大学進学率が2割程度…

帰巣本能とノスタルジー

2017年5月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 安部公房の小説「けものたちは故郷をめざす」を読んだ時の興奮、感動を今もはっきり覚えている。高校1年の秋なので、かれこれ40年近く前のことだ。すでに「他人の顔」「砂の女」を読んでい…

「ふるさと」という物語

2017年4月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 3月で東日本大震災から6年が過ぎた。NHKの番組を見ていて、「やっとここまで来たか」という思いと同時に、苦々しい気分が思い出された。 今から4年前、2013年春、私は東京から福島県の…

サンプリングの効用

2017年3月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 1903年生まれ、46歳の若さで没した英国の作家、ジョージ・オーウェルの最後の小説「一九八四年」が、トランプ政権下の米国でよく売れている。それについて、新聞に何か書けという注文が入り、…

むき出しの怒りについて

2017年2月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 自分はかなり気分屋だとは認めるが、人間としての大方の負の感情は自分自身の中で抑えることができる。悲しみ、憎しみ、恨み、ねたみ、そねみ、あるいは恐怖といったことは、理性でどうにか克…

ボブ・ディランにはまる理由

2017年1月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 ボブ・ディランのノーベル文学賞授賞決定からこの方、彼の魅力は一体なんなのかを考えている。声はアナグマの叫び声のようなギンギンしたしゃがれ声だし、歌もうまいとは言えない。なのに、な…

いつまでも耳に残る歌

2016年12月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 「詩についてどう思います? 日々の生活や自分の言葉に詩が何か影響を与えていますか」――。懇意のラジオ局のプロデューサーと電話で話していたとき、おもむろにそんなことを聞かれた。その人…

32年ぶりの魔力

2016年11月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 先日、久しぶりに海外に行ってきた。ネパール・ヒマラヤだ。遅い夏休みをとり、私が福島県に駐在していた時に入会した郡山勤労者山岳会の仲間8人と1週間ほどのトレッキングを楽しんだ。65…

山登りの権威と民主化

2016年10月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 この夏、毎日新聞社の喫煙室にいたら、50代半ばの同僚男性たちが山登りの話をしていた。「いやあ、週末行ってきました」「どうだった」「登りは何とかなったんですけど、下りがきつかった」…

ひとりで消えたかった父

2016年9月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 私の父は死ぬ直前、子どもたちはおろか妻、つまり私の母もそばに寄せつけず、一人でひがな、花瓶の百合の花を見ていた。12年前のことだ。当時、私はメキシコに暮らし、死に目に会えなかったの…

なぜ群舞にひかれるのか

2016年8月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 先日、新橋演舞場に「レビュー夏の踊り」を見に行った。大阪を拠点にするOSK日本歌劇団の3日間にわたる東京公演の千秋楽。大阪松竹歌劇団、OSKに所属していた、友人のお母さんに招待し…

また逢う日まで

2016年7月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 先日、ゲイの老人ホームを舞台にした映画「メゾン・ド・ヒミコ」を見た。やや冗長で、演出が過剰な感じがしたが、一ついい場面があった。 ディスコというかクラブでのシーンだ。長いイントロ…

戸塚さんと日本人村

2016年6月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 本誌「点字ジャーナル」の編集者、戸塚辰永さんがドイツでエッセーを出版すると知り、インタビューをしたいと思った。実は彼は私がこの連載コラムを始めたころの担当で、すでに何度かお目にか…

中村先生のこと

2016年5月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 私が団塊の世代を知ったのは中学2年の春だった。1975年のことだ。当時、「団塊の世代」という言葉はなかったが、今から思うとあの先生は、その世代の象徴のような人だった。 その年の春、母…

マルガリータを再び

2016年4月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 「あなた、私の何が知りたいの?」 レモンの木を見ていたら、そんな声が聞こえた。スペイン語で語りかける、やや低音のはっきりとした声だった。 そのころ暮らしていたメキシコの自宅の台所の…

肩の力を抜いて

2016年3月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 先日、空手の昇段試験に通り、なんとか四段になった。四段などというと強そうに思われるかも知れないが、そうではない。私がやっているのは、沖縄発祥の糸東(しとう)流で、組手もやるが、大…

利き腕で書かない作家

2016年2月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 先日、作家、村松友視さん(75)に会うことになり、作品をまとめて読んだ。40歳のデビューから35年あまりで180冊も書いた人だが、「小説は苦手なタイプだなって思い始めているんです」と当人…

テロと異常気象

2016年1月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 来年2016年は申年。先日、新聞社の編集部から「サルと日本人」というテーマで何か書けと注文があった。すぐに図書館に行き、サルの本をあれこれ読んだ。「エテ公の語源は、関西方面の古い言葉…

世代論と親父

2015年12月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 先日、作家の加賀乙彦さんにインタビューした。事前に長編作品「宣告」やエッセイ集、自伝を読み、感銘を受けたが、昭和4年(1929年)4月生まれという経歴に興味を抱いた。私の父と同じだ…

直感とダイヤモンド

2015年11月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 引っかかっている考えがある。私が思いついた考え、「直感はダイアモンド」というものだ。アフリカでダイヤモンドのことを調べていた1990年代の終わりのことだ。 もっとも硬い鉱物、ダイヤモ…

自分からは縁は切らない

2015年10月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 コロンビアの友人、ルイス(仮名)から嬉しい便りがきた。便りといっても、パソコンでの対話、チャットである。 「やあ、元気か? いい知らせがあるんだ」。仕事に行く準備をしていたら、ル…

桑原武夫が考えていたこと

2015年9月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 今年の夏休みの宿題は桑原武夫だった。 私がいま書いている毎日新聞の夕刊特集ワイド面では、記者が交替で休みをとるため、お盆前に計10本、亡くなった著名人の追悼記を書く。編集側が10人を…

かた屋はどこへ行った

2015年8月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 先日、「かた屋」を思い出した。それは私が10歳のころの冬だった。通っていた東京の北のはずれ、足立区の小学校の前にある空き地に、かた屋はやってきた。 というのも、小学2年のとき、東京…

何もしない日々

2015年7月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 長期休暇をとってこの3週間、米国と南米のコロンビアにいた。毎日新聞社が勤続20年の社員に与える「リフレッシュ休暇」で、私は26年を越え、ようやく取ることができた。考えてみたら、入社以…

戦場写真と歌謡曲

2015年6月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 ベトナム戦争でまず浮かぶのは「モノクロ写真」だ。割と硬め、白黒の陰影がはっきりしていながら、人が瞬発するときの疾走感を感じさせる写真。 裸の痩せた少女が、両手を広げ、絶叫しながら…

放射能は「未来の武器」

2015年5月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 「高校1年の時ね、僕、『アサヒグラフ』の懸賞マンガに投稿したことがあってね。放射能の絵なんだけど」 先日、東京・お茶の水のホテルで会った佐藤文隆さん(77)が面白いことを言った。佐…