自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

直感とダイヤモンド

2015年11月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 引っかかっている考えがある。私が思いついた考え、「直感はダイアモンド」というものだ。アフリカでダイヤモンドのことを調べていた1990年代の終わりのことだ。 もっとも硬い鉱物、ダイヤモンドはどうしたらできるのか。教えてくれた研究者の話が、強いイメージで残った。

 人間がダイヤを最初に見つけたのはインドの浜辺だったため、海の底にあるものと思われていた。ところが、19世紀の半ばすぎ、南アフリカのキンバリーでダイヤ原石が見つかり、辺りを掘り進めると、筒状の岩脈にダイヤがあることがわかった。比重の大きいこの岩は地名からキンバーライトと呼ばれたが、世界中どこにでもあるわけではない。

 安定した分厚い古い大陸、例えばアフリカ南部やロシア中部などに点在している。ダイヤ鉱山は岩脈の形にそって筒状に掘り下げていくため、大きな円柱形の穴となり、「ビッグホール」などと呼ばれる。

 なぜダイヤが含まれているのか。ここから先は一つの論だが、私を魅了したのは次の説明だった。

 地下のマントルからマグマが時速200から300キロのスピードで上昇し、地殻を突き破り地上に吹き出す。その過程でダイヤができる。新幹線くらいの速さだが、遅すぎるとダイヤはできない。マントルにしかない重鉱物が吹き上がるときにダイヤの結晶が生まれるという説だ。それが地上付近で固まり、円柱の形で残ったのがダイヤの入った岩脈だ。

 他にも、もともとマントルの中にダイヤが漂っていて、それが吹き上げられるという説もあるが、高熱、高速の中で生まれる方が私には魅力的に思えた。

 10年あまりがすぎた2010年頃、ローマで新聞の別刷り雑誌を読んでいたら、米国の神経科学者、デービッド・イーグルマンのインタビューに惹きつけられた。

 脳スキャンなどを使った最新の意識研究によれば、意識は無意識に比べれば氷山の一角にすぎない、といった話の末、「直感」をこう語っていた。直感とは、外からの刺激が無意識の情報とつながり、意識の上に一気に現れること。

 何かにはっと気づく直感は、インスピレーション、ひらめきなど言い方は様々だが、私にも時折、訪れる。小さなものも含めれば日常のことだ。

 このとき、これも直感だが、即座に、ダイヤモンドを思い出し、普段地表からは見えないマントルという無意識から、意識という地殻を突き破り現れたマグマ。そう。直感はまさにダイヤではないか、と思ったのだ。

 イーグルマンのように、私たちを動かしているはずの「意識」、つまり私たちが自分自身だと思っているものは、ほんの些細な表面上のもので、本来は自分で感じることができない無意識が人を動かしている。このような説はここ数年、脳スキャンや動物実験で裏付けられ、一気に広まった感がある。

 ただ、この意識、無意識という分け方は100年以上も前のフロイトの時代の精神分析学が尾を引いたもの。実際に脳の中や、人間が情報を処理する際の仕組みにそうした分け隔てがあるわけではない。脳は、特に大脳皮質は200億本ほどのニューロンと呼ばれる神経細胞でつくられ、その神経細胞一つ一つには、1000から5000本とみられる軸索(アクソン)と呼ばれるケーブルのようなものが生えていて、それが他の細胞のケーブルと無数の組み合わせでつながっている。

 あるのは細胞だけで、コンピューターのCPUのような中枢はどこにもない。なのに、統合から指令から情報入手、感情、記憶とあらゆることをその細胞だけでやってしまうのが脳だ。

 だから、意識、無意識という線引きは、わかったふうでありながら、モデルとしてはどうもしっくり来ない。

 「意識と脳ーー思考はいかにコード化されるか」「エゴ・トンネルーー心の科学と『わたし』という謎」といった分厚い最新の本を何冊か読んでみたが、意識、無意識、ひいては「私とはなんぞや」という答えは、はっきりとは出ていない。結局、わかっていないことだらけだ。

 米国で神経科学の博士号を取り、現在はヤフー株式会社で戦略担当のトップを務める安宅和人さんは、「心理学者のいう意識は浅すぎる」と語っていた。「心理学では、意識は頭で考えていることをさすようだが、意識はもっと深い。神経科学から見れば、人間は考える前に意識しています。意識に上る前に脳内ではいろいろ情報処理がなされており、それも含めて意識だとみなせば、意識の外で何もかもが起きているといった雑な言い方にはならない」

 脳スキャンによれば、例えば恐怖一つとっても、人はそれを意識する300ミリ秒前に、脳内のある部位(扁桃体)が活動を始めるため、意識はあとからついてくる、逃げるといったことを決める意思は意識にはない、などという話が語られる。これについても安宅さんは「石が降ってくれば、それに気づかなくても、つまり意識する前に我々はそれをよける。意識に上ろうが上るまいが、それは意識なんです」という。

 では、直感はどうなのか。

 これまでわかっている範囲で言えば、日夜営まれている脳内の情報処理の99.9%以上を私たちは自覚できていない。 でも、そのわかっていないものが、ときに浅いところから、ときにとても深いところから湧き上がってくる。直感とは、ただ、それだけのことのように思える。

 「自己などというものはない」「脳が勝手に決め、意識は単なるつじつま合わせにすぎない」ーー。ここ数年、こうした論が世界中で好まれるのは、なぜなんだろう。やはり、脳のことを知るのは自分自身を知ることでもある。だとすれば、あずかり知らぬところで、自分が動かされている、あるいは、自分のことは実は何もわかっていない。つまり、自分自身が謎・・・。そんなふうに思いたいところがあるからではないだろうか。  

 

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