自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

レクイエムの月(下)

2024年8月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 先輩記者、岩橋豊さんの訃報を聞いたとき、「えーっ」と声を上げてしまったのは 、数日前から彼のことを思い出していたからだ。普段は思い出さないのにそのときは立て続けだった。

 私は今年4月6日、南アフリカから東京に戻った。昨年11月からニュースをほとんど見ていなかったため、何があったのかと振り返っていたら、脚本家、山田太一さんの死を知った。木下恵介監督をテーマに話を聞いたことがあり、記事が出たあと、丁寧な手紙をいただいたことがあった。「あー、亡くなったかあ」と残念に思い、彼の随筆を読んだり、テレビドラマ「岸辺のアルバム」などを見返していた。

 そんな中、1970年代後半を描いた「男たちの旅路」があった。その中の1本で、主 人公、鶴田浩二が暮らす都電近くのアパートが映し出された。部下を招く場面だったが、そのときチラッと映った玄関に切り花が飾られていた。

 壮年の男が暮らす狭いアパートに花がある。それを見たとき、私は岩橋さんのことを思った。彼も一人暮らしの西国分寺のマンションの玄関に花を置いていたからだ。 見たわけではないが、日記のように書いていたブログ「隠居志願のつぶやき」でそう書いていた。ブログの内容は趣味の読書、ゴルフ、競馬、麻雀の話だが、ほぼ毎週のように「今週 の拙宅の花は深紅、淡いピンク、濃いピンクのバラです」などと記していた。  鶴田浩二と岩橋さんではイメージが違うが、同じ年格好の男が花を愛でる、その意 図はなんだろうと私は一瞬思った。

 その翌日、岩橋さんが亡くなる前日の5月9日朝、家の前にある狭い花壇のバラに 、頼まれて水をやっていたとき、やはり岩橋さんのことを考えた。花はじっと見ていると生きているみたいだな、意思があるみたいだ。そう言えば小さいころ、岡山の叔母が朝顔に水をやると、フワーッと花が開き、「ほら、喜んでるのよ」と言っていたのを思い出した。そして、やはり花の連想で「そうか、岩橋さんは一人が寂しくて、 花に何か声をかけていたのかな」などと思った。でも、それも一瞬の思いだった。

 岩橋さんはその翌日、5月10日の午前3時ごろ、早朝から出かけるゴルフの準備をきちんと整え、テーブルの前に座ったまま亡くなった。前夜書いたと見られるブログ には4月に読んだ本の感想が書かれ、その月の7冊目にあたる角田光代訳『源氏物語 5』についてこう結んでいた。

 「ついに源氏後半戦に入った。女性がみななびいた昔だが、この5巻目では妻とし た女性に光源氏は裏切られてしまう。中学時代の国語の教師が『源氏は後半が面白い 』と言っておられたが、確かに。(行替え)あすは福島会の平日ゴルフのため"明日 休診”です」

 絶筆である。

 彼の死を知らないまま、私はその日、武蔵境駅に出向いた。ノンフィクションライ ターの野村進さんに、新刊の丹波哲郎伝について聞くためだった。

 インタビューが終わったのは午後2時半ごろ。来た道を引き返し、吉祥寺で中央線から井の頭線に乗り換えようとしたときだった。昼食をとっていなかったので、何か食べたいと思い、駅の西端(にしはし)の方にあるうどん屋、あるいはすぐ近く、公園口のエスカレーターを降りた目の前にある喫茶ルノワールが浮かんだ。

 そこはよく岩橋さんと待ち合わせをしたところだった。愛煙家の岩橋さんがタバコ が吸える上、やはり甘い物好きの彼が好むパフェなどが割とうまい店だった。私たちはその近くの雀荘にいつも集まったが、ときどき岩橋さんから「ちょっと早めに出てこない?」と誘われ半時間ほど、コーヒーを飲み雑談をした。内容はほとんど覚えていないが、大方は新聞社や記者、記事のことだった。

 それを一瞬思い出し、ルノワールに行こうかと思ったが、まあいいかと私はそのまま井の頭線の改札に吸い込まれた。岩橋さんに対する一方的なわだかまり、「紙面の私物化」といった私に対する彼ならではの揶揄が躊躇させた気がする。

 その晩、家で訃報を聞いた。

 その6日後、5月16日午前10時から、岩橋さんの告別式が府中市の日華多磨斎場で あった。その朝、珍しく腹の調子が悪く少し出遅れた。行かない方がいいかな、とさえ思った。調布駅からバスに乗るつもりだったが、乗り場がわからず、電車の方が早いかと思い一度駅に引き返したりしているうちに肝心のバスに乗り遅れた。次のバスまで30分も待ち、結局1時間も遅れてしまった。

 多磨霊園の前の道を早足で向かっていたら、面識のある人が、「早く早く、まだ間 に合うよ」と言ってくれ、最後は小走りで会場に着くと、ちょうど火葬が始まったところだった。 あー、間に合わなかったか、と思っていると、麻雀仲間の先輩記者に「最後までいてやってよ」と言われ、初めて会う娘さん2人と先輩記者たちと彼の骨を拾った。その後、食事をして少し話をして暇乞いをしたが、その瞬間、体調を崩した。

 肩のあたりから全身に筋肉痛を覚え、熱もあり、バス停のベンチにへたり込んでしまった。ようやく家に帰るとすぐにベッドに潜りこみ一気に寝た。その晩は、岩橋さんと同じ日に亡くなった先輩記者、近藤勝重さんを偲ぶ会に行くつもりだったが、行けずじまいだった。

 風邪かと思ったが、翌朝目覚めるとすっかり治っていた。あれはなんだったのか。 岩橋さんの骨を拾ったせいだろうか。そんなことを少しばかり考えた。

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)