自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

山登りの権威と民主化

2016年10月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 この夏、毎日新聞社喫煙室にいたら、50代半ばの同僚男性たちが山登りの話をしていた。「いやあ、週末行ってきました」「どうだった」「登りは何とかなったんですけど、下りがきつかった」「そうだよね」「最後は膝ががくがくして。でも、駅に着いて飲んだビールがうまかった。最高でしたよ」

 似た話をあちこちで聞くし、夏は沢登りに行く私に、登山道歩きの知人から「一度、沢に連れて行って下さい」と言われることも多い。

 登山者数は長野県警が発表する北アルプスの入山者数など地域に限ったものがあるが、全体の実数はつかめない。参考として日本生産性本部が毎年出している『レジャー白書』がある。数千人の老若男女にアンケート調査をし、年に一度でも山に行ったことがある人を「登山者」とみなし、その数を人口に反映させたものだ。実数は外れても、経年変化の大まかな目安にはなる。

 それによると、1980年代末から現在にかけ、登山人口は高止まりの状態が続いている。山ガールという言葉が流行した2009年、前年の2倍以上の1230万人という数字がはじき出されたが、これは一時的なもので、その後下がり、昨年15年は730万人。過去28年の平均は800万人ほどだ。

 月刊誌『山と渓谷』の山本聡編集長に聞くと、「実際は100万人程度ではないですか。繰り返し登る人となると20万人くらい」とみている。

 軽荷で山を走るトレールランや室内クライミング、富士山観光など、どんな形であれ最低でも年に一度は登山に関わる人がかなりいるのは確かだ。登山はもはや特殊な世界ではなく、レジャーとして定着したと言っていい。

 それを「平成登山ブーム」と呼ぶ湘北短期大学の山形俊之准教授と話していたとき、ちょっとしたひらめきがあった。

 私が初めて登ったのは70年代前半、中学2年の時の八ケ岳の赤岳だ。夏の登山道も歩いたこともないのに、5月の雪山に、買ったばかりのアイゼンで登った。無謀もいいところだ。兄はやめたが、私はそれではまった。

 「平成登山ブーム」の前の70年代から80年代、登山界にはヒーローがいた。冒険家の要素が強い植村直己、小西政継<こにしまさつぐ>、加藤保男<かとうやすお>、長谷川恒夫<はせがわつねお>といったヒマラヤのサミッターたちだ。みな遭難死したが、彼らが頂点にいて、それを支える形で社会人山岳会をまとめる日本山岳協会と大学山岳部のOB中心の日本山岳会があり、「老中」「お目付け役」といった権威的な存在感を放っていた。

 つまり、登山界にはヒエラルキーがあった。ハイカーはいずれ3000㍍級の縦走へ、沢へ、岩へ、海外へと技術を上げていくのを原則とした、記録重視の価値観だ。山と渓谷社が出していた『岩と雪』には、ヒマラヤから近場でのボルダリングまで登山者の報告、記録がびっしり詰まり、雑誌に載ることが登山者のステータスだった。

 だが、58年に創刊したこの雑誌が95年に廃刊するように、記録や技術を最優先する価値観は登山の大原則ではなくなり、狭い分野での評価となった。

 すごろくのように一歩一歩高みを目指す一本の道。古い登山界の価値観、登山のあり方というものはいつのまにか多様になり、誰もがどの道でも好きなように歩いていい時代に変わった。

 室内クライミングからトレールラン、百名山、槍ケ岳や剣岳など名峰だけを目指すブランド志向など登山の手法や目的が細分化された。海外登山も7大陸の最高峰を登るセブン・サミッターのように、エベレストを除けばお金はかかるもの比較的簡単な「快挙」がもてはやされ、8000㍍峰の14座制覇や無酸素登山の困難さを理解する者は少数派となった。

 14座制覇の竹内洋岳<たけうちひろたか>氏や、幾多の高峰を登っていた山野井泰史<やまのいやすし>氏の知名度は植村、小西の時代に比べマイナーなものとなった。

 パイオニア的な目標、人類にとって「初めて」といった快挙が消えたことで、かつての権威、伝統モデルは当然のように衰退する。ヒーローがいなくなれば、高校、大学、社会人山岳会の求心力も失われ、登山界に空白が生まれる。伝統モデルは同好の集団で何かを成し遂げるには効率がよく、秩序を保てたが、その技術至上主義が、今で言う「上から目線」、下に向けられた圧力だった面も否めない。その圧力が消えたことで、以前なら敷居の高かった分野に未経験者が躊躇なく入れるようになった。

 入り込む場も実に多様で、クライミングが嫌になればトレールランへ、ハイキングへと横への移動も容易で、決心して山をやめなくてもいい。

 登山人口の高止まりの背景にはそんな権威の失墜があるのではないだろうか。重しがとれ、登山の世界がより自由になり「民主化」したと言えないだろうか。

 全体の技術のレベルは下がるし、伝統の秩序、原則が消えたことで遭難も多発する。そんな弊害もあるが、登山界を、社会の縮図とみた場合、社会はより自由で居心地の良いものになった。

 以上が私の仮説、思いつきで、検証はこれからになる。

 この構図、かつて一方通行にメディアの発信してきた情報が過去20年、インターネットの導入で、読み手も容易に発信側に回れるようになった状況と似てなくもない。

 

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