自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

2024-01-01から1年間の記事一覧

「欧州人によるアフリカ搾取」再びテーマに

2020年8月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 新聞記者は単純なもので、自分の原稿が大きく載ればうれしいが、ようやく出たかと思えば小さな扱いだと、いまいましい気分になる。最近、そんないまいましさを思い出した。 特派員としてア…

立ち上がってきたアフリカ

2020年7月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 私の中のもやもやが少し晴れてきた。最近、アフリカのことをよく考えるからだ。 4月20日、ルワンダ人のモーリスから連絡があった。彼は妻と10代の娘2人と妻の実家があるベルギーの街に暮ら…

スーザン・ソンタグとの再会

2020年6月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 ちょっと不思議なことがあった。 今年の正月、私はかなり具体的な初夢をみた。起きてからしばらく残っていたので、私はそれを、フェイスブックに投稿した。 夢をソーシャルメディアで書くこ…

残るもの、残らないもの

2020年5月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 ほとんどを家で過ごす巣ごもりを終えたとき、私はどんな日常を望むのか。 まず、私の生活は前とさほど変わっていない。還暦間際の夫婦と大学生の次男の3人で暮らし、ほとんど自炊なので店…

セルフ特派員になる夢

2020年4月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「セルフ特派員になろうかと」。先日、高校の山岳部の先輩と会ったとき、そんなことを口にした。これは自分の造語だ。それまでこんな言い方はしなかったのに、リタイアしたあとのことを問わ…

羨望、嫉妬と情熱と

2020年3月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「お寺に入ってから、一切の比較対象から下りる、というふうになりました」 先日、長野市で再会した小山さんがぽろっとそんなことを言った。何度か挨拶したことはあるが、じっくり話すのは…

高校生のときの自分と今と

2020年2月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「高校生のときの自分と今の自分、どっちが大人なんだろう」。知り合いの女性の言葉だ。どういう文脈だったのか。その人はそのころ30歳を回ったくらいで、バーのカウンターで自分の家族のこ…

イラつく相手は自分の子

2020年1月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 12月1日、日和が悪かったわけでもないのだが、私は朝からあまり機嫌が良くなかった。 道すがらこんなことがあった。家族で駅に向かい、廃墟となった都営住宅の脇を通りかかったとき、27歳の…

高所の歩みは夢のよう

2019年12月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 入山から25日目、私たちはようやく第3キャンプに入ることができた。標高7,300㍍の急斜面をスコップで切り開き、3人用のテントに5人が膝を抱えてなんとか収まった。ここで3時間休み、い…

8,000mで何が起きるのだろう

2019年11月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 この秋、2カ月の長期休暇をとり、ネパール・ヒマラヤのダウラギリ1峰(8,167m)に登りに行くことにした。といってもどこまで登れるのか。かなり難しそうだが、目指せるところまで目指そう…

「鼻こそは全て」と言えるのか

2019年9月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 この夏、長期入院を経験した。といっても6泊7日なのだが、こんなに長いこと病院にいたのは初めてなので、つい「長期」と言いたくなる。副鼻腔炎と鼻中隔湾曲症の手術。要は鼻で呼吸ができ…

差別する心、そうではない心

2019年8月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 ハンセン病の元患者や家族への差別に対する国の責任を認めた今年6月の熊本地裁判決を、国側が控訴しない方針を7月9日に発表した。患者を隔離し、偏見をなくすための教育を怠った国が責め…

自分の心はラジオの心

2019年7月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 最近読んだ本にこんなくだりがあった。 <意識には見たものや聞いた言葉が自分の外側からやってくるということを見極める役割がある>。これはフランスの作家、ピエール・パシェという人が2…

親から子に何かが伝わる、どうしようもなさ

2019年5月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 前回、次男の留年について書いたが、結局、新しい道に進む勇気はないようで、再び3年生を続けることになった。 そんな折でも、私は原稿書きを続けている。今やっているのは「残すべき東京…

元気をなくした息子

2019年4月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 この前、職場の地下の食堂街で同僚の女性と丼物を食べていると、「あっ、私、もう行かなきゃ。これから面接」と言って彼女は席を立った。「面接?なんの?」と聞くと「あ、インターンの」「…

日本人の根に先祖信仰はあるのか

2019年3月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 先日、映画を見ていてわっと涙が出てきた。子供のころから映画やドラマ、音楽などでよく泣くほうだが、年を取っても変わらない。むしろ増えた気がする。 何の変哲もない場面だった。「盆唄…

近代化されていない日本人 

2019年2月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 若槻泰雄さんが亡くなった。海外への移民や引き揚げ者の問題をめぐって政府を厳しく批判し、日本人とは何かを問うてきた大人(たいじん)だ。国家賠償訴訟にも積極的に関わってきたため、政…

心の底からわいてくる

2019年1月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 夢の中では時間が歪む。この前、朝方目覚めて変な気分になった。見知らぬ老若男女4、5人と飛行船のようなものに乗ってどこかに戻っている。空港のような所に降り立ち、2日後にまたそこで…

人間の悪意が席巻する時代

2018年12月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 今からほぼ30年前、1989年5月に天安門事件が起きた。私も含め多くの人々の記憶に残るのは戦車の前に立つ中国人の姿だろう。戦車を阻もうと一人の男が立ち、戦車がその男を避けて前に進も…

高みから見下ろす自分

2018年11月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 記憶の中でも特によく覚えている光景がある。何度も思い出すたびに残像はより強くなり、元の型は多少変わるだろうが、忘れがたい記憶となっていく。 そんな中の一つにこんなものがある。 …

オウム処刑の沈鬱

2018年10月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 この7月、オウム真理教の幹部ら13人の死刑が執行された。最初の7人が首を絞められた朝、ラジオでまず教祖の処刑を知った。嫌な気分になった。 その日は金曜日で、ドイツの哲学者のインタ…

丘陵の町の尚子さん

2018年9月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 日曜日の午後、思い立って玉川学園の尚子さんを訪ねた。芸術家、赤瀬川原平さんの奥さんである。赤瀬川さんが亡くなったのは2014年10月26日。あれからもうすぐ4年である。 「奥さん」と書…

語る脳と、書く脳の違い

2018年8月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 最近、面白いことに気づいた。自分の脳の中の話だ。 人は瞬時にいろんなことを考えている。そこに脈絡はない。以前、メキシコの作家で、名作「アモーレス・ペロス(犬の愛)」や「バベル」…

「お前は自分のことしか考えていない」 

2018年7月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 男3人で丹沢の沢登りに行ったときのこと。私が前を歩いていると、二人のこんな会話が聞こえた。 「いつも藤原さんに沢に連れてってもらってるんですよ。今年の冬は山スキーにも」「へえ、…

富士のお鉢の中で

2018年6月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 私はうとうと昼寝をするのが大好きだ。別に昼でなくてもいい。夜でもいい。ふと眠り落ちてしまう、うたた寝が好きなのだ。十中八九、何もないが、ごく稀にこんなことがある。 高校生1年の…

嘘が人の顔を変える

2018年5月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 人の顔はなぜこうも変わるのか。何があのような顔にしてしまうのか。 イギリスの首相にトニー・ブレアがいた。彼が出てきた1990年代、南アフリカにいた私はニュースで毎日のように彼の顔を…

親からの距離、人からの距離

2018年4月号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 25歳で企業に就職したとき、心理テストを受けさせられた。旧財閥系の大手で、定年まで勤め上げるのが当然のような会社だった。一人ひとりの気質を正確に押さえておく必要があったのか、単に…

白虎隊を尊べるか

2018年月3号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 「お前は何もわかってないんだよ。だいたい、朝日や毎日みたいな左巻きの連中がいかにも言いそうなことじゃねえか、え? いつもの『軍靴の足音が聞こえてくる』だろ? そんな連中と働いてっ…

自己嫌悪からの解放

2018年月2号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 私は昔から何でも自分からやりたがるくせにすぐ飽きる癖があり、未だに治らない。「おっちょこちょいは一生治らない」と言うが、あきっぽさもそうなのだ。 幼稚園のころ、近所の家で女の子…

そう言えば、つらかった30代

2018年月1号掲載 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生 ある人がこんな話をした。「86歳の母に、いつが一番楽しかったか聞いたんです。そしたら50代って言ってました。子育ても終え、まだ体力もあって、怖いものもなくなったからだと」 私も50代…