自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

桑原武夫が考えていたこと

2015年9月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 今年の夏休みの宿題は桑原武夫だった。 私がいま書いている毎日新聞の夕刊特集ワイド面では、記者が交替で休みをとるため、お盆前に計10本、亡くなった著名人の追悼記を書く。編集側が10人を選び、私にあてがわれたのが評論家、桑原武夫(1904~88年)だった。

 桑原は京大山岳部のOBなので、高校のころから名前は知っていたが、フランス文学が専門である上、適当な文庫本もなかったため、これまで読まずに来た。会社の資料室で「ルソー研究」などを読んでみると、まず、文章の上手さに驚いた。小林秀雄と比べても、論の展開が明晰でわかりすく、読みやすいのだ。

 作家を論じるにも、作品だけでなく、本人の恋愛や家庭事情など環境や心理を重んじるところが面白い。彼の言葉、または彼の引用を書き出してみる。

 <感覚はあざむかない。あざむくのは判断である(ゲーテ)>

 <ひとは何ごとも知りうる、自己を除いては>

 <事実に縛られたこの窮屈な自己のみが、はたして真の自己であろうか。それは自己の一部にすぎないのでは>

 これは28歳の年に雑誌「思想」に書いた「スタンダールの芸術について」からの抜粋だが、北アルプスで滑落し腹をピッケルで突き破るなど、登山で何度も死にかけた彼は、情熱の人なのだ。学者らしく抑え気味に書いてはいるものの、山に取り憑かれた人間らしく、「ウワアー!」と心が叫んでいるようなところがある。

  私は古書店で全10巻の「桑原武夫集」を買い込み(3500円!)、飛ばしながら、2週間かけて読んだ。登山報告に始まる1930年から81年まで、26歳から77歳にかけて桑原が書いた本、随筆、コラムから学んだことは多々あるが、一点あげればこうだ。

 いい意味で「フランスかぶれ」だった彼が次第に日本文化、特に日本の大衆の優秀さに惹かれ、日本の将来に大いなる期待を抱き、弟子の梅棹忠夫鶴見俊輔梅原猛らを使いながら、民衆を激励しようとした。

 戦後、間もないころの桑原は、俳句などは対象を写真のように捉えるだけで、芸術になり得ない、何ら思想を生み出さないと批判し、風流などにうつつを抜かすノンビリ屋の日本人を批判した。

 谷崎潤一郎の「春琴抄」については西田幾多郎を引き<何しろ人生いかに生くべきかに触れていない>(引用元省略、以下同じ)。日本の風土を描いた「陰影礼参」を<成り上がり者の貴族趣味みたいな感じがする>とこき下ろした。

 横光利一の海外小説「旅愁」を<単純な世界理解>と切りつけ、その<原因の一つは俳諧的精神でフランスの最新文学をとらえようとした無理>にあると書いた。俳諧的精神とは<事物や思想を連関性をもたず、切り離されたものとして、スナップ的に捉える>ことを指す。

 日本の「純文学」については、<ルソーにはじまる西洋近代文学の根本的特色は文学の倫理>だが、それが全くなく、<社会性への反抗として自我の純粋を叫ぶのでもなく、風流といった言葉に伝統するごとき社会的無自覚状態の延長にすぎない>と批判した。

 だが、彼は40代のころから次第に、政治や知識層はダメでも、日本の大衆は英仏よりもはるかに優秀で、少数の指導者でなく、実は彼らがこの国を動かしているのではないか、と思うに至る。そして、日本にしかない喫茶店や週刊誌文化を持ち上げ始める。

 <大衆社会という観点から見る限り、欧州は日本よりはるかに後進国。新聞、週刊誌のあり方がそうだ。特に週刊誌文化>

 <膨大な発行部数の週刊誌を日本文化論としてとらえた研究はまだない。しかし週刊誌を無視して現代日本人の博識と軽薄を説明はできない>

 <日本の大学への進学率が高いのは経済成長もあるが、万民平等を確信する大衆社会に独特の現象だ>

 その大衆を貶めてきたのは、何ごとも欧米やソ連を見習い、「日本は貧しい小国」と卑下してきた戦後の進歩的知識人だと批判する。<革命的、反体制的な知識人はそのよりどころを西欧思想に求める。自国の伝統と思想を認めずに>

 それはフランス文学にかぶれた若い頃の自分自身でもあるのだが、桑原は矛盾こそが人間なのだと正当化もする。

 <単純な公式的思想にたつ人より、矛盾的あるいは複合的な思想に生きる人の方が、人間として強靱ではないか>

 50代末になると、民衆こそが、日本を世界に類を見ないモデルになるという直感を語り始める。

 <近代日本は成り上がり社会で、民主化を伴わぬ大衆化現象は比較的早くからあった>という丸山真男の言葉を引いた上でこう論じる。<私たちは、成り上がり社会を恥じず、モデルを外に求めず、自分たちの考えで改めていく以外に道はない。工業化が民主化に先行した過去も恥じることはない。エリートと庶民の結ばれた比較的品質のよい大衆社会の中で、民主主義的文化を育てるのに成功すれば世界で新しいモデルになるであろう。その困難を背負うべく出発したい>

 60代以降の言葉はこうだ。

 ラフカディオ・ハーンを引き<日本人は個性がないと言うが、一個の国家としては西欧などよりはるかに強大な個性をもっている>と唱える。<日本はデモクラシーがよく根付いた。政治ではうまくいっていない点もあるが、文化や生活面では欧州以上にデモクラティック>。

 では、その日本を誰が中心となって変えて行くべきなのか。「強い指導者」など政治家は桑原の眼中になかった。

 <日本には昔から信長などを除くと独裁者がほとんど出ない。そんなもの必要なく、若干の指導者があればすぐまとまる>

 変えるのは週刊誌や井上靖松本清張司馬遼太郎など読んでいる博識な大衆たちだと言う。

 <大衆社会には欠点も、浅はかなところもあるが、欧州直輸入の高級理論だけでは、ものごとは改まらない。アメリカではインテリと大衆が断絶している、日本社会ではその断絶がない、か乏しい>

 インテリ、つまり桑原が愛した弟子、梅棹忠夫鶴見俊輔といった曲者たち。彼らが大衆と連携すれば、日本はきっとうまくいく、そう考えていた節がある。

 

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