自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

何かにとりつかれた顔

2012年9月号掲載 毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時) 人は死に肉迫すると、何かにとりつかれた顔になる。 先日、24年ほど前の写真が出てきた。私は1993年から現在まで海外と日本を何度も往復してきた。優に10回をこす引っ越しのたびに物を捨ててきた…

トレーニングとしてのデモ

2012年8月号掲載 毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時) 主催者の発表では首相官邸前のデモに(2012年)6月末以来、15万人もの人が集まり盛り上がりを見せている。福井県の大飯原発を7月1日に再稼働させた野田佳彦政権に反発した動きだ。 私は取材で…

違和感のない日本(その3)

2012年7月号掲載 毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時) 日本は変わったのか。帰国し2カ月間考えてきたが、答えが出ない。前より落ち着いた感じはするが、それは私自身が穏やかになったからかもしれない。観察者の脳の状態がいいときは世の中が明るく思…

違和感のない日本(その2)

2012年6月号掲載 毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時) さほど熱っぽさもない、ほどほどの国。先進世界の片隅でそれほど強いインパクトのないイタリアにいたから、戻ったばかりの日本に違和感を感じないのではないか。 前回、そんな話を書いたが、あれ…

違和感のない日本(その1)

2012年5月号掲載 毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時) この連載を始めた3年前、私はローマに暮らしていた。そのころは、私生活でも仕事でもイタリア語と日々格闘していた。スペイン語を話せたので、イタリア語をある程度はわかったが、自分のものにす…

近未来が見えない(その5)

2012年4月号掲載 毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時) イタリアの著名な社会学者、ドメニコ・デ・マシさんの言葉が耳に残った。 車をほしがらない、大企業を目指すわけでもないと、最近の若い人の感覚について私が話したら、こう応じた。 「イタリアの…

近未来が見えない(その4)

2012年3月号掲載 毎日新聞ローマ支局長(当時)/藤原章生 20代の若者に幸せか不幸せかを問うのはあまり意味がない。就職など社会の状況がどうあれ、彼らの人生はまだ長いし、汚れていない。まともに働いていないし扶養家族もいないから、中年より幸せなのは…

近未来が見えない(その3)

2012年2月号掲載 毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時) 19歳のころ、自分は何を考えていたか。将来について、どう思っていたのか。近未来が見えない、いまの時代の若者の心理を考える前に、自分の感覚をふり返ってみたい。 1979年の6月、東京サミットが…

近未来が見えない(その2)

2012年1月号掲載 毎日新聞ローマ支局長/藤原章生(当時) 「社会の無意識」という言葉を最近思いついた。と、ここまで書いて、そんな言葉はもう常識のようにあるのかも知れないと思って、ネットで調べてみたが、私が思いついた感じのものは、調べた範囲では…