2024年11月号掲載
8月11日に落石で左足をけがしてから9月11日まで、私は災難つづきだった。ヒビの入った足は腫れがひかないため、私は空手の稽古も休み、長い散歩もしないようにしていた。そして8月19日、妻が前から予定していたイタリアのシチリアに出かけていった。ロサンゼルスに長年暮らす娘に招待されての1週間の旅行だった。
その4日後、ひとり東京の自宅にいたら娘の電話で起こされた。彼女が私に電話してくるのは珍しい。
「あ、おとうさん、寝てた?」「うん、いま起きた」「なんども電話してたんだけど……おかあさんがね……」。娘の声の暗さに思わず、「どうした!」と声を上げた。死んだのかと思ったのだ。
気圧されたのだろう。娘は「大丈夫、大丈夫だよ」と明るい声をつくり、ゆっくり話し始めた。
その日、2人はカバ・グランデという山の遊歩道を歩いていた。平地と下り坂を1時間ほど歩いた午後2時半、妻が突然動けなくなり、崩れるように横になった。 直前まで元気だったのに、顔は土器色になっていた。その日は35℃と暑く、熱中症と思ってしばらく休み、水を飲んだら、今度は吐き始めた。
現場は渓谷に向かう下り坂で、息を切らすようなコースではない。ハイキング客が時折通り、心配して近くにいた救急隊員を呼んでくれた。
かけつけた隊員が脈をとり、1mほど先の日陰まで移動させたら、妻はまた嘔吐した。2時間後、トランシーバーで呼んだ救助隊の男たちが現場に着き、彼女を担架で登山口まで担ぎ上げた。待機していた救急車で心電図をとると心筋梗塞と同じ波形を示していたため、シラクーザにある大きな救急病院に運ばれた。
集中治療室に運び込まれた妻はすぐにカテーテルで心臓冠動脈を調べられ、詰まりがないことがわかると、エコーなどの検査で左心室肥大に絡んだ心筋症と診断された。 娘はずっと私に電話をしていたが、私は寝ていたため、結局、現地の深夜になってようやくつながった。「お父さん、行った方がいいか」と聞くと、娘は「大丈夫、命に別状はないみたいだから。私がなんとかする」と言い、家には犬もいるので、私は東京で待つことにした。
それから1週間が過ぎても妻は退院できず、娘も慣れない土地でレンタカーであちこち行き来するうちに音を上げ、「来てほしい」と言い始めた。航空券を買ったクレジットカードの保険で、家族の救援費用も出ることがわかった。
シチリアに行くのを最終的に決める直前、なんだか嫌な予感がした。もちろん妻や娘が心配だし、もう訪れることもないと思っていたシチリアにまた行けるのだから、さほど悪い旅立ちではない。普段の自分はこういうとき動きが速いのに、「よし、行こう」という気持ちになれなかった。
足が完治していないからではない。なんだか胸のあたりが重く、胸騒ぎというほどではないが、体が拒否している感覚があった。
犬の散歩をしていたとき、近所の人にその話をしたら、「そういう予感は大事ですけど、行ってあげた方がいいですよ」と言われ、すぐにチケットを買い、翌朝出発した。
20時間のフライトで深夜、シチリアにつき、翌朝病院に行くと、妻は思いのほか元気そうで、その直後に退院できた。以前から知ってはいたが、イタリアは医療費が無料なので1ユーロも払わずじまいだった。
妻の様子をみるため家族3人でシチリアとローマでそれぞれ2泊し、12時間の直行便で9月4日に東京に戻った。当初の予定より10日遅れた形だった。
家に着いた直後から私は38℃台後半の熱で寝込んだ。検査をするとコロナだった。妻がシチリアのカターニア空港でうつされ、それが私と娘に伝染したようだった。妻も娘も症状は軽かったが、私は結構ひどく、熱が冷めてもまる3日、経験したことのない激しい頭痛が続いた。後遺症なのかしばらく倦怠感もあった。
どうにか外に出られる段になり、妻を近所の病院の循環器科に連れていき、再検査してもらうと、突発性の心筋症であり、治療を続けなければならない慢性病でないことがわかった。
さらなる検査も必要ではあったが、私たちがとりあえずホッとしたのが9月11日だった。
シチリアに向かう前のあの「嫌な感じ」が気のせいではなく、落石事故のときと同じような予感だったとすれば、それはコロナに対するものだったのか。
結果的には私が行ったことで妻も娘も安心し帰国できたのだから良かった。でも、自分の体のことだけを考えれば、予感に従い、私は行くべきではなかったのか。そう考えると、予感とはかなりエゴイスティックなものだ。あくまでも自分の身だけを案じているのだ。
前に進む気がしない。やりたくない。そう感じても、家族が待っているから、 あの人のためだから、今更あとには引けないから、仲間を失望させたくないから、といった人との関係が邪魔をする。
でも、自分を第一に考えるなら、予感を軽んじてはいけない。人を助けるにしたって自分の体あってのことだ。
この夏の二度の体験で、私はそう思うようになった。自分の心の声、体が発する感覚は大事なのだ。変な感覚があったときは、静かに耳を傾けなければならない。
(月刊「点字ジャーナル」に寄稿している「自分が変わること」を、2009年夏の分から週2回のペースでのはてなブログに投稿してきましたが、本稿で2024年11月号の最新版に至りましたので、以後は月1回のペースで投稿します。藤原章生)
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