自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

自分からは縁は切らない

2015年10月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 コロンビアの友人、ルイス(仮名)から嬉しい便りがきた。便りといっても、パソコンでの対話、チャットである。

 「やあ、元気か? いい知らせがあるんだ」。仕事に行く準備をしていたら、ルイスのメッセージがパソコン上に現れた。「そりゃいい! 今からインタビューなんで、その知らせを書いといて」

 行く道々、メッセージを読もうと思ったが、何も入っていなかった。多分、直にやり取りしたかったのだろう。夜中になりようやく書いてきた。

 「兄弟。段ボールとペットボトルの圧縮機を買って、今、エクアドルにリサイクル品を売ってる。事業を始めたんだ。確実にね。お前に神の加護があるよ」

 「そうか、頑張ってな! 嬉しいよ、俺も。悪友が少しは生き長らえるかと思うとな」

 「ハハハ、(近郊の町)パルミラに倉庫を借りて、事業はうまく動いてるよ」

 感慨深かった。ルイスは頭の回転もいいし、働き者だし、情にもろくて人もいい。なのに、ついてない男だった。数少ない親友の一人なので、私は15年ほど前から物心両面で支援してきた。

 初めて会ったのは1992年春、高田馬場だった。コロンビアのカリにある大学の工学部を出た彼は80年代の終わりに来日した。左翼的な思想を抱いていた彼は欧米を嫌い、日本に憧れたのだ。

 工場で働いていたとき、スペイン語学校の経営者とタンゴのレコードコレクションという趣味で意気投合し、講師に抜擢された。

 そのころ私は長野から東京勤務となったばかりで、スペイン語のレッスンにその学校を訪ねところで彼に会った。高田馬場の喫茶ルノワールで個人授業も受け始め、あちこち出歩くようになった。最初からウマがあったのだ。

 その後、彼は早稲田大学の非常勤講師となり、ついには国際協力機構(JICA)のマネージャーに出世し、母国の首都ボゴタでいい地位を得た。

 ところが、2000年を回ったころから彼の運命は暗転する。日本で知り合った彼のコロンビア人の恋人が、売春斡旋の濡れ衣を着せられ本国で逮捕された。その際、彼女は「ルイスの指示だった」と嘘の証言をしてしまったのだ。ボゴタで最高の暮らしをしていた彼は即刻逮捕され、無罪判決が出るまでの1年半にわたり、刑務所生活を強いられた。

 JICAは彼を助けるどころか、本人に事情も聞かないまま解雇し、公判でも協力しなかった。遠方にいた私は、JICAに手紙や電話で、ルイスの働きぶりなど情状面の書類をつくる協力をしてくれと頼んだが、無視するか、「検討します」の一点張りで、事なかれ主義を貫いた。

 無実とは言え、刑務所から出てきた彼に職はなく、私は金銭面で彼を支援した。彼に罪をかぶせた証言者が偽証を認めたため、彼は不当逮捕と長期拘束、失職に対する損害賠償を国を相手に起こしたが、国家賠償をまず認めない国のこと。結局、却下された。

 そのころローマにいた私はコロンビア大使館で、彼を擁護する陳述をし、再びJICAに協力を仰いだが、やはり、この援助機関は、元職員一人の奮闘に何一つ協力しなかった。

 ハメスは4人の女性との間に5人の子がいる。情、官能面で特異な面はあるものの、心根が優しく、生きる意味を常に深く見つめている男で、私が本音を語り合える数少ない友人の一人だ。

 それでも、私は何度か彼を見限ろうとしたことがあった。事業を始めては不運が重なるのを遠望し、このままでは私の貯金が底をつくと考えたからだ。なぜ、身内でもないこの男を助け続けなくてはならないのかと。

 「自分で暮らす分だけでも稼げ。これ以上、助ける気はないからな」と最後通告を出した今年5月、彼はこう言った。「でもな、この国で何かを始めるには少額の投資じゃだめなんだ。最低でも5000ドルは必要なんだ」

 「じゃあ、最後の最後だからな」と私が6000ドルを送ると、しばらく音沙汰がなかった。

 そして、3カ月もすぎた8月下旬、星占いをたまたま見たら、こんなことが書かれてあった。石井ゆかりさんの「週報への道」だ。http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/index.html  <牡牛座 2015/8/24-8/30の空模様。 誰かが一生懸命、頑張っているところに手助けしたり応援したりしたとき/その人の「頑張り」が「自分のもの」になります。たとえば、ある人がとても困っているところを無償で助けてあげたとしてそれから何年かして、その人が生き生きと活躍しているのを見たらその「活躍」が自分のものであるような気がすることがあると思うのです。貴方のほうが深い感動を味わえているのかもしれません (一部略)>

 ルイスをなぜ助け続けてきたのか。やはり、自分にとって掛け替えのない人間だからだろう。彼がいることで、自分は安心できる。自分が本当にきついとき、彼なら助けてくれると。

 一時の怒りにまかせ、縁を切らないで良かった。20代のころ、つまらない理由、世間の常識に負け、縁を切った人がおり、もう関係は戻らない。

 離れていくのはいい。でも、もう自分からは誰とも縁を切るまい。この秋、そんな教訓を噛み締めた。

 

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