自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

戸塚さんと日本人村

2016年6月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 本誌「点字ジャーナル」の編集者、戸塚辰永さんがドイツでエッセーを出版すると知り、インタビューをしたいと思った。実は彼は私がこの連載コラムを始めたころの担当で、すでに何度かお目にかかり、雑談したことはあったが、彼の文章について詳しく聞いたことはなかった。別に「身内びいき」ではない。彼が本誌に連載していた「ブレーメンの奇妙な雲行き」にある「静かなユーモア」とでも呼べそうな文体に引かれた。今回、話を聞きたいと思ったのは、記事にするためというより、彼の文章、それを生み出す人間を探りたかったからだ。

 記憶に残っていたのは次のくだりだ。

 <1988年当時の日本はちょうどバブルの全盛期で、「ゲーテ」には日本のエリート社員や銀行員、大学の教師、弁護士、学生、元OLなど15人ほどが学んでいた。(略)なかには僕をまるで子供扱いして、食べ物を口に入れようとする人もいた。僕は彼らの行為にどう対処していいのか戸惑ったが、言葉が通じる気安さから好意に甘え、授業が終わると日本人グループに金魚の糞みたいにくっついて昼ご飯を食べに出かけていた。ところがある日、休み時間に「ちょっと戸塚君来てくれないか」と呼び出された。そこには日本人留学生が勢揃いしていた。沈黙を破って、「君は一人で暮らすつもりでドイツへ来たんだろう。ここにいる人達はせいぜい1、2カ月しかいないのだから、君は何でも一人でやっていかなければ行けない。俺達だって自分のことで精一杯なんだ。今後我々は一切君に手を貸さない」と東大助教授の家田さんが宣言した。すると、「障害者だからといって甘えんじゃない」と、エリート銀行員のNが付け加えた。彼はその前の日曜日に「洗剤が切れたからくれないか」と僕の部屋を尋ねてきていた。家田さんの言い分はわかったが、Nの一言にはカチッときた。それ以来、僕はドイツにいる間、日本語をけっして話さないと決意した。その後ドイツ語が多少なりとも話せるようになったのは、いわば彼らのお陰である。>

 いかにもあり得た話。弱者となれば誰の身にも起きたかも知れない話として、リアルに私の中に残った。

 「食べ物を口に入れようとする人」という短い言葉だけで、語り手を取り巻く日本人たちの所作、ぎこちなさ、自覚もできないまま彼を見下している視線を描いている。  そして、突然の集団攻撃。

 語り手は何も要求してはおらず、むしろ周囲が自分本位の手助けを勝手にしておきながら、「甘えるな」と覆す。

 そのドラマ的な大展開をセリフという事実だけで紹介し、それに対する自身の感情を「Nの一言にはカチッときた」と、ありきたりのように短く書く。そして、自分の中の負の感情を逆転させ、彼らのお陰でドイツに分け入ることができたと、できごとをよきものとしてとらえる。

 語り手の中で、ことはそう簡単ではなかったはずだ。彼らの言葉をつぶさに覚えていることからも、語り手は何度もそれを反芻したのだろう。なぜ彼らはそんなことを言ったのか。なぜ自分はそれに反発しなかったのか。繰り返される自問自答。頭の中で場面が何度も再現され、語り手はあらゆるパターンの反発、怒り、議論を演じ、溜飲を下げた末のさらっとした表現なのだ。

 物を書く動機はさまざまだが、その一つに怒りがある。戸塚さんの静かな文体の陰には、自分の中で十分に処理された怒りが隠れている。短い一文一文の間に隠された彼の感情は文字としてはあらわれないが、読み手の想像の中で生き生きと暴れ始める。そう私は思っている。

 インタビューの冒頭、そんな話を手短にすると、戸塚さんは笑いながらこう言った。「いや、あれは確かに……。ドイツで出版しながら日本でできなかったのも、そこなんです。日本人留学生の実名を伏せてくれと言われたんで、頓挫したんです」

 彼の怒りは今も続いていると私は感じた。

 「留学生は村社会なんです。クラス仲間の元ドラッグ中毒のアメリカ人と親しくなったんですが、彼が『お前たち、日本人は冷たいよね。アメリカ人なら手を貸すよ。なんでお前たちはそうなんだ』って言ったました」

 留学生に限らず、外国の、過酷な状況に置かれると、日本人はより日本人らしさを発揮する。

 「日本ならあんなこと普通は言いいませんね。彼らは銀行などから課せられたドイツ語の中級試験を通るという厳しいノルマでストレスがひどく、僕のような者が疎まれるようになるんです。いま熊本地震で、盲人も避難していると思うんですよ。手助けする人もいるけど、疲れてくると邪魔になってくるんですよ」

 なぜ、日本人は冷たいのか。

 「ドイツでは僕がバスや電車に乗ったら、必ず誰かが『席空いてますよ』『荷物、上に上げますよ』『この人、目が見えないので、降りるときドアまで案内してあげて』などと言ってくれます。いつもです。でも、日本ではありません。全くありません」

 日本人が単に冷たいというのとも違う気がする。盲人に限らず、他人と関わりたくないのも大きいのではないか。私がそう言うと戸塚さんは「しつけもあると思いますね」と応じた。

 「危ないからって隠しちゃうじゃないですか。子供は興味があるからじろじろ見るでしょ。ドイツの親は『ちゃんと見なさい。なんでこの人、こんな杖持って歩いてのか』って言うんですよ。でも日本ではただ『危ない』って言うんです。でも、僕は危ない人じゃないですよって思うんですよ」

 ここでもユーモアを紛れ込ませた。

 

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