自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

何もしない日々

2015年7月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 長期休暇をとってこの3週間、米国と南米のコロンビアにいた。毎日新聞社が勤続20年の社員に与える「リフレッシュ休暇」で、私は26年を越え、ようやく取ることができた。考えてみたら、入社以来、長く休むのは初めてのこと。迷ったが、メキシコ特派員時代に仕事で何度も通ったコロンビアの第三都市、カリに行くことにした。

 2004年11月に、喉に大きな腫瘍ができ、メキシコ市で切除手術を受けた。首から上のガンを専門とする外科医から「90%ガンです。男の場合、5年生存率は極めて低い」と真顔で言われ、「そうか、もう死ぬのか」と覚悟を決めた。

 当時43歳の私はイラク戦争やハイチ紛争で駆け回った末、ブッシュ大統領が再選される選挙で、フロリダ州から戻ったところだった。選挙終盤にはペンシルバニア州での連載企画を頼まれていた。

 メキシコに戻ると、妻が長年患っていた膝を脱臼し入院していた。そんな朝、髭を剃っていたら、のど仏の脇に同じくらいのコブがあることに気づいた。妻の主治医に会った際、ついでのように「これ、何でしょうか」と喉を見せると、「うわっ、硬いですね。専門医に見てもらった方がいい」となり、「ガン」と診断された。コブはどんどん大きくなり、声帯を圧迫し、声もかすれてきたため、緊急手術となった。

 入院したのは、メキシコの祝日、霊が地上に舞い戻る「死者の日」で、病院には看護師も少なく、私はひとりベッドで寝ていた。すぐに死ぬとなった場合、残りをどう過ごすか。日本に帰るか。いや。じゃあ、ここに留まるか。仕事は? もう原稿書きはいい。すぐに死ぬのなら、落ち着いた気分でいきたい。そんなことを考え眠りに落ちると、変な夢を見た。

 両岸が切り立った川幅5㍍ほどのV字谷。深い淵を私の体がゆっくり流れていく。水はひんやりしているが、水面に夏の光が漂い、あめんぼうのような生物が行き交う。狭い谷の上空、木漏れ日を見ながら、仰向けで、苔むした緑の中をゆったり下って行く。「ああ、これが死なんだ。死に向かっているのか」。妙に納得し、ねっとりとした水に浮かんでいた。目が覚めたとき、「そうだ、コロンビアだ。コロンビアで死のう」と思った。

 同じ体験をしたわけではないが、当時、私はコロンビアで時間があれば、沢に飛び込み、水浴びをする奇行を繰り返していた。助手で友人のハメスという男と地図を見て、人家もなく水も綺麗な所を探し、バスと徒歩で現地に向かい、水に飛び込む。ハメスはそんなことはせず、林道の橋で、クロスワードパズルをしながら待っている。

 私は橋から沢に降り、服を脱ぐと裸足で沢を登って行く。そして、滝壺や淵があれば、一気に水に飛び込み、それを3度をほど繰り返し、再び橋に戻り、2人で林道をとぼとぼと帰る。なぜ、そんなことをしていたのか。

 沢登りが好きだったからではない。健康にいいからでも、しゃきっとしたいから、でもない。生物多様性が世界一と言われるコロンビアの森は苔が美しい。ただ、単にそこで、洗礼ではないが、沐浴をしてみたいという思いつきを試したら、病み付きになったということだ。

 手術前のベッドで見た夢は、まさにそんなコロンビアの淵だった。

 親も家族もなく、一人流されていく。頭の片隅に、ハメスや友人たちのざわめきも聞こえ、寂しい感じはせず、むしろいい気分になった私は、魚眼に近い目で水面の羽虫や、植物の小さなタネを見つめ、トロッとした水を流れて行く。

 結局、腫瘍は良性で、私は助かったが、「3週間の休み」を考えたとき、迷わず、コロンビアに行こうと思った。

 休みの直前まで勢い込んで原稿を書き続け、妻と飛行機に乗った。ちょうど22歳の娘がニューヨークの大学を卒業する時期だったため、数日間、米国に滞在し、ひとりコロンビアに行った。

 カリの町を歩いても、友人に会っても、どこか取材気分が抜けない。例えば、中心街のにぎわいを見て、最後に来た9年前に比べ、出店は圧倒的に増えているものの、売られているのは安物ばかりで、全体の売り上げは下がっている、といったことを考えてしまう。

 離婚後、子供との接見ができなくなった友人や、結婚し子供ができ一切踊りに行かなくなった女友達の愚痴を聞いても、「書くネタ」を探している自分がいる。この際思い切って、頑張って休もうと、原稿どころかメモ一つ書かず、特段の好奇心や熱意をあえて持たずに日々を過ごすと、わけなくそれに慣れた。

 亜熱帯は夕暮れから始まる。友人の広いアパートで寝ては起き、時折バスで山に行き、沢に飛び込むか、何もせずに夕方を迎える。友人らと会い、適当に食べ、少しくらい踊って、部屋に戻って酒を飲んで寝る。そんなことを繰り返すうち、休暇はあっというまに終った。こんな状態で何カ月でも、何年でも過ごせる、と思った。

 何もしない日々が自分に何かを残したか。一つ言えるのは、「ここに住みたい」という思いだ。破産寸前のハメスが小さな事業を始めたいというので、それに関わるのもいいが、基本は、ほとんど出費せず、静かに過ごす。原稿を書きたいと思えば書けばいい。そんな夢のようなことを真面目に考えた。

 日本に帰った翌朝から、従来のペースで仕事を始めた。「リフレッシュ」とはいかなくとも、3週間、何も書かなかったことで、自分は何か変ったろうかと考えたが、何も変わらない。ただ一つ変化があった。12年ほど前から続けているチェロの教室に久し振りに行くと、先生にこう言われた。

 「どうしたんですか。随分力が抜けて、いい音が出てますよ。3週間、触ってないんですよね。それにしては、いい感じになっている」

 緊張が抜け、脱力したということだろうか。何もしない日々。悪いことではなかったようだ。

 

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