自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

原稿書きと友情と

2024年9月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 新聞記者になりたてのころだから28歳の年、長野市に暮らしていた私はのちのちまでつき合うようになる友人2人と出会った。ひとりはトモさんという少し年上の人で当時、長野外国語センターという英語学校の講師をしていた。もう一人は長野市内の印刷会社で働いていた工員で、詩人の浜田順二さんだ。この人は一回りほど上である 。

 長野には身よりもなかったので、ゼロからの出発だったが、若かったせいもあっていろんな人に会った。そんな中、いまも濃い関係が続いているのはこの二人だけだ。

 職場はどうだろう。支局長の曽我祥雄さんは当時50をまわったくらいだから私より二回り上で、現在まで手紙をやりとりする関係ではある。だが、私の筆無精、不人情もたたってさほど強い関係とは言えない。友人というより恩師という感じか。

 長野支局で一番上で私の二つ上の先輩記者に野元賢一さんがいた。長野から東京の運動部に行き、日経新聞に移ってからはずっと競馬記者をしている。

 支局時代からなぜかウマが合い、この人は私より少し年下で、いまもときどき我が家で飯を食べたりするが、親友というほどの近さはない。

 その下に佐藤千矢子さんや近藤卓資さん、三島健二さんがいたが、いまも会えば仲良くあいさつする程度の関係で、友達というわけではない。

 後輩では長野に小国綾子さん、松本支局に勝田友巳さんがいて、会うたびに冗談を言い合う仲ではあるが、そうそう頻繁に会いはしない。

 振りかえってみると、同僚は一時的に家族よりも長い時間を共にすごす人だが、意外に友達にはなりにくいのではないかという気がする。

 同期入社の記者たちと食事をして、話、といっても会社や同僚の話題で大いに盛り上がることはあるが、それぞれのことを私は好きなのだが、そうそう会う間柄になることはなかった。

 むしろ、『サンデー毎日』の記者を早々に辞めてしまった西野浩史君とは友人関係が長く続いている。日経に移った野元さんと同様「辞めた」のが大きなポイントかもしれない。

 長野のあと、私は信濃大町に駐在し、その後外信部に行った。そこでも多くの同僚に会ったが、いまも強いつながりがあるのは上司でいまはジャーナリストをしている伊藤芳明さんと、英国駐在が長かった黒岩徹さんくらいのものだ。メキシコ支局の先輩だった中井良則さんには家族ぐるみでよくしてもらったが、年に一度会う程度である。

 外信部は国外との出入りが激しく、長野支局時代ほど常に顔をつき合わせていないので、どうしても疎遠になりがちだ。そのせいか、同じ年代の仲のよい友人が意外にできなかった。

 では、帰国のたびに配属を希望した夕刊特集ワイドの面々はどうだろう。

 後輩記者に遠藤拓君というダジャレが得意な記者がいて、彼とはいまも仲がいいが 、他に多くの記者たちと飲んだり語ったりはしたものの、さほど密な関係にはならなかった。

 一つ言えるのは、記者という職業のせいではないか、ということだ。記者は言わば職人である。何かを共同で作り出すというより、一人で作品、商品をつくるのが基本だ。

 職人には唯我独尊なところ、自分なりの味を大事にするところがある。それを親方に当たるデスクや部長が褒めることはあっても、職人同士で称え合うことはあまりない。どうしてもライバル意識があるからだ。

 メーカーの製品開発部門なども似たところがあるだろう。他のチームの手柄を褒めることはなく、社内のライバル意識がかえって製品の質を高めるのではないか。必然、個々の関係に深い友情は生まれにくい。

 どうしても、誰にでもある人間の感情が絡んでくるからだ。単なる好き嫌いならまだしも、うらやみ、妬み、侮りなどだ。

 同じ規格の製品を作っているのならさほどのことはないが、記事は一種の工芸品のようなもの。職人の手さばきや観察眼で完成品が微妙に違ってくる。その善しあしを見るのは買い手(読者)の主観によるところも大きく、営業成績のように数字ではっきりと結果が出るわけではない。最近ではネットでどれだけ読まれたかを計る指標があるが、それさえも記事の善しあしを決めることにはならない。作家業も同じだが、「読まれればいいというものでもない」という考えがいまも広く行き渡っているからだ。

 例えば同じような椅子をつくっている家具職人が、微妙なかんなの削り具合で「俺の方がいい」「いや私の方がなめらかだ」と自分本位になってしまうのはごく自然なことだろう。

 うらやみ、妬み、侮りなどは持つべきではなく、ストレスにもなり健康上良くはないが、こうした感情が「私も頑張ろう」という動機になるのも事実だ。

 それを不可欠なものとすれば、ライバル関係にある記者同士に濃い友情は成立しづらいということになる。

 長野時代からすでに35年がすぎたいま、さっと訪ねていつまでも居候できるような友人は冒頭にあげた二人しかいない。「新人時代に地方で知り合った人とそんな関係になっている人はそうはいないぞ」と先日、元人事部の同僚に言われたので、二人いるだけでもいい方かもしれない。

 ただ、かなり上の先輩をのぞけば、同僚たちにそういう友ができなかったのは、やはり原稿書きの宿命という気がする。

 

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