自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

「ふるさと」という物語

2017年4月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 3月で東日本大震災から6年が過ぎた。NHKの番組を見ていて、「やっとここまで来たか」という思いと同時に、苦々しい気分が思い出された。

 今から4年前、2013年春、私は東京から福島県郡山市に転勤した。原発事故後の住民を書けという任務だった。1歳までしかいなかったが、福島県いわき市は自分の生地でもあり、私は郡山を拠点にあちこちよく動き回った。

 あれはどういう力が働いたのか、当時、新聞テレビでは「ふるさとへ帰ろうキャンペーン」が騒がしかった。私は必死に抵抗したため、それから3年経った今も苦い気分が抜けない。

 当時、私は都路と呼ばれる阿武隈山麓の地域を担当していた。平家の落人が移り住んだと伝わる山あいの美しい集落だった。浜通り、太平洋側にある原発が爆発し放射能が飛び出した際、南北に帯状に走る阿武隈山地が防護壁となった。放射能の大半はここで一度ブロックされ南北に分かれ、谷を通って中通りと呼ばれる郡山市福島市に入っていった。

 都路はちょうどこの防護壁の西側、影に当たり、福島第1原発の20キロ圏内ながら、放射能をさほどかぶらずに済んだ。それでも事故直後、半ばパニックに陥っていた国は放射線量を精査しないまま、単純に原発から近いという理由で、この地の住民を避難させ、都路を「避難指示解除準備区域」にしてしまった。

 なんとも長い呼び名だが、要はより放射線量が多い「帰還困難区域」よりは安全だが、宿泊はできない場所となった。「避難指示」が解かれるまでの「準備」とは、「まだ待機ですから」「強制的な避難ではありませんから」と念を押している響きがある。

 私が郡山にいた13年夏、避難指示を解除するかどうかが焦点となり、国は結局、住民の反対を押し切り、3度の説明会を経て、14年4月に指定を解除した。

 最初の説明会で住民の反発が強かったため、国は一度は引き下がったが、最後は地区別の説明会で住民を「帰還組」と「拒否組」とに分断させた。日本人の、特に地方の人たちの習性を知ってのことか、分断されてしまうと、住民は自分の意見を表だって言えなくなる。最後は、会場が沈黙したのを機に「話も出尽くしたことですし」と官僚が一方的に「解除」を通告する「事前のシナリオ通りの展開」(経産省職員)で解除が決まった。会の直後、帰ろうとした経産省の役人に、やり口を批判すると、彼は住人の本音をよく知っていたこともあり、皮肉めいた、そして半ば、現実はこんなものと諦めた自嘲気味の顔でこう言った。

 「まあ、官僚は頭がいいですから」

 避難指示が解除されれば、形としては東京電力が、実質は国が避難民全員に毎月10万円ずつ払う精神的損害賠償金を1年でゼロにできる。余計な出費を抑えたいのに加え、原発事故はアンダーコントロールで、住民の生活も正常化したと内外に思わせたい腹が国にはある。

 その後、避難指示解除は他の町村へ広がり現在に至る。国が住民たちの帰還拒否を面白くないと思うのはわかるが、当時、放射能に詳しい人々がツイッター上で、帰還拒否の声を伝える私への攻撃を続けた。

 「せっかく住民が帰る気になっているのに、ごく一部の反対派の声を取り上げ、帰還を阻もうとしている」「都路は線量で言えば全く問題ない。無知で無能な記者が放射線の危険をあおっている」と、批判が繰り返された。

 こうした声もよくわかる。放射線など問題ないと確信している人にとってみれば、帰らない住民は無知なのだ。のちにそれがいじめの起爆剤にもなるのだが、「いつまでも国に甘えている」などと考える人々がいるのはわかる。ある数値以下であれば問題ないと合理的に考える人々だ。だが、人間は機械ではない。感情がある。「人体に影響はない」と言われても、「飲みたくはない」「そんな風呂に入るのは気持ち悪い」と思うのが人間だ。まして、都路は一見、同じ風景であっても、もはやかつての都路ではない。住民が減り、消費や行楽の場だった浜通りには行けず、車も通らず、孫も子も戻らない都路はもう住む場所ではない。しかも一度避難して別の暮らしを知った自分はかつての自分ではない。「線量下がった、はい帰ろう」とはならないのは当たり前の感情なのだ。

 そんな中、私が最も疑問を抱いたのは、報道する側が積極的に「ふるさと帰還」を美化したことだ。期間前の夏、一時的に宿泊が認められ、何割かの家族がお盆の一泊を家で過ごした。その時の私のルポは帰還拒否の人々の話が7割、帰りたい人々の話が3割だったが、タイトルは「今生きる、再びここで」となっていた。編集側に文句を言うと、東京で最初からこれに決めていたという話だった。他の新聞には、一族が庭先で線香花火を囲んで「やっぱり家が一番だね」と語らせている写真が載っていた。

 誰が強制したわけでもない。読者をバカにしているのか、作り手の想像力の欠如か、こうした情緒的な話が新聞テレビは好きなのだ。もちろんごく一部の住民にそんな人たちがいないことはないが、そう単純ではない。それに比べ、現場を知らない編集側のこの単純さはどこから来るのか。

 今年のNHKの番組では「依然、帰還したがらない人が大半」という事実を前面に出していた。それを見て、ようやく、認めたかと私は安堵した。そして、「ふるさと」を押し付ける美談への苦々しさがよみがえってきたのだ。

 それにしても、ふるさととは何だろう。私は今、そんなことを改めて考えている。

 

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