2024年12月号掲載
11月7日、成田をたち、再び南アフリカに向かう。4月に帰ってきたときに決めていたため新鮮味はないが、今回は来年3月まで滞在し、なんとしてでもズールー語をものにしたいと思っている。
私はこれまで英語を南アフリカで、スペイン語をメキシコで、イタリア語をローマで学んできた。日本でも勉強していたが、現地に暮らし言語を日夜浴びていないとまったく身が入らない。それをこの年になってようやく思い知った。
この春まで3カ月間、南アの旧黒人居住区ソウェトに暮らし、高校の元科学教師、67歳のムザマネにズールー語を習っていた。週3回の個人授業で、それ以外の時間は、自分の居候先を取り囲む人々から教えてもらった。
帰国し、今度はムザマネとオンラインの授業をはじめたが、これが日に日に苦痛になっていった。最初は週2回だったが、ほどなく週1回となり、最後は2週間に1回のペースに落ちた。予習復習もせず、授業のときだけ思い出したように勉強するという体たらくだ。
私は目の前のことしかできない人間なのだ。47歳の年に始めたイタリア語は、スペイン語のベースがあったため、1年ほどでなんとか仕事で使えるレベルになった。イタリア人と同等になることなどあり得ないが、インタビューや普段の会話、バルで人の会話を盗み聞きするくらいはできるようになった。ローマに4年暮らしたが、最後のころ、哲学者のジョルジョ・アガンベンと資本主義や近未来社会について冗談交じりで話し合っていたとき、「うわっ、ものにできているじゃないか」と自分で驚いたほどだった。
ところが、日本に帰ってくるとまったく関心がなくなる。イタリアについての研究会などに何度かよばれ、話をしたり、入会を求められたりしたが、その気になれなかった。ずっと日本にいながら、言語も含めイタリア文化を学んでいる人は少なくないが、自分はなかなかそうはなれない。日々使わない言語を学ぶ勉強が嫌いなのだ。
ラテンアメリカも同じだった。25歳で初めてメキシコから中米を一人旅した。それを機にスペイン語にぞっこんになり、32歳の年に語学留学し、40歳から4年間メキシコに駐在した。そのおかげで、この言語をどうにか自分のものにできた。
だが、帰国してしばらくすると、中南米のニュースに興味を持てなくなった。雑誌に原稿を頼まれると慌てて調べはするが、実際に自分が住んでいない土地のことを学ぶのが苦痛だった。原稿を書いていてイライラするくらいだ。
それでもスペイン語は英語と同様、若いころに覚えたせいか、蓄積が長いせいか、いまでも仕事で使えることは使える。なのにイタリア語は、映画監督にインタビューして気づいたのだが、苦もなく使える言語とはもはや言えなくなった。友人が訪ねてきたり、イタリアに行ったりすれば、数日でスペイン語との混同は収まるが、暮らしていたころのレベルには遠く及ばない。
当たり前の話である。その土地を離れ、一切勉強しなくなれば、誰だってそうなるだろう。私の場合、言語だけでなく、離れてしまうとその土地への関心も急速に薄まる。
「みんなそうだよ」と言う人もいるが、モスクワを離れても、ロシア語を読み、社会や政治情勢を追いつづける人もいる。中国も朝鮮半島もそうだ。そういう人たちは専門家として、絶え間ない努力をしているのだろうが、どういうわけか私にはできない。
だから、30代の5年半を暮らし、何度も胸をつかれる経験をしたアフリカ大陸も、昨年11月に戻るまで、四半世紀の間、ほとんど振りかえることがなかった。心で思いつづけてはいたが、実際にその地のことを読んだり、ニュースを追ったりということもまったくしなかった。
今回も4月に日本に戻り、最初は原稿を書くために、南アフリカの総選挙のことを調べはしたが、そもそも政治への関心が薄いのも相まって、いまではメールでアフリカについてのニュースアラートが届いても開くことがまずない。
日本にいればいたで、大谷選手のことや、自民党総裁選、日ごろ目にする近所の人々のおかしなふるまい(ネチネチと子どもをしかる30代の母親や、大声で子に指図する父親などなど)に目が向き、南アで起きていることなど、どうでもよくなってしまうのだ。
何だろう、これは。
広く世界を見渡し、どんなテーマであれ一家言あるのがジャーナリストだと誰かが言っていた。だとすれば、私にその素質はない。「広く世界」どころか、自分の持ち場を離れた途端、好きだった土地のことを振り向きもしないのだから。
苦痛のリモート授業を終えたいま、ようやく現場に戻れる。ズールー語の世界に行けば、それまでの怠惰がウソのように、私は語学学習に没頭するだろう。そして、時折舞い込むメールなど、日本語がうるさい雑音になっていく。
「浦島太郎みたいな性格」と言われたことがある。竜宮城でどんちゃん騒ぎをしているうちにときを忘れ、気づいたら故郷の人はみな死んでいたという話だ。あれは胡蝶の夢のように時空を飛んだ設定になっているが、目の前のことにしか関心が持てない浦島という男の悲哀を描いたものではないか。それを子どもに戒めた、一種の訓話ではなかったのか。こんなふうになったらいけないよと。
困った性格はいまさら治しようもない。開き直って、自分にとって大いなる実験、ズールー語習得に集中したいと思う。
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