2026年10月号掲載
ノンフィクション作家/藤原章生
8月のお盆明け、南アフリカから2カ月ぶりに日本に戻り、ある変化に気づいた。前ほどメモをとらなくなったのだ。考えてみたら、新聞記者になろうと思い立った27歳からこの方、38年もの間、私はいつもメモ帳を手にしていた。
最初のころは大学ノートで、そのうち小ぶりの厚いノートに変わり、ここ1、2年は100円ショップで売っている手のひらサイズのメモ帳になった。普段はポケットにひそませ、寝るときは枕元に置き、日々の出来事、食べたもの、会った人、気づいたこと、人のセリフに加え、その朝みた夢を書くのが日課だった。が、今回は書いた量が圧倒的に少ない。
2023年秋からアフリカに4度も通い、南アフリカでズールー語を学び、シャーマンの取材をはじめた。のべ1年も南アにいたため、もはやこの地は旅先ではなくなり、ハッとすることが減ったせいかもしれない。
でも、前は日本でも、なんてことのない日常をよくメモにしていた。せっかちな私はいつも殴り書きで、自分でも判読できないほどなので、人に見せるために書いているのではない。あくまでも自分の備忘録である。
メモが減ったのは、3月末に新聞記者をやめ、長年の習慣だったメモの必要がさほどなくなったのも大きいだろう。記者とはそういうものだという初っ端の思い込みがしつこく張り付いていたのだ。
周りを見渡しても、日々メモを書いている人はそうはいない。
カレンダーや日程表に、やれ何を食べた、どんなテレビを見た、誰がきたというどうでもいいことを細々(こまごま)と小鼠のように書く私の母親のほかは、アイデアを走り書きする30代の娘くらいである。娘は映画のシナリオを書くのが仕事なので、記者同様、メモは大事なのだろう。企画や人との関わりを仕事にしている友人にはメモをとる人もいるが、常にメモ帳をポケットに入れ、さっと何かを書く人は意外に少ない。
一言で言えば、そんなことをして何の役に立つんだ、ということだ。
これまで書きためたメモ帳を重ねれば厚さにして2mにもなり、それが本棚にぎっしり詰まっている。が、ほとんど役に立たない。大事なことは大体覚えており、ノートを読み返して新たな考えが浮かぶこともほとんどない。むしろ過去の自分がいかに愚かだったかと気づくくらいだ。
いま取材しているシャーマンに私は一度会っていると人に言われ、古いノート類をつぶさに調べたが証拠は何もなかった。つまり、「何も書いていない」のを裏付ける意味で大量のメモが役には立っただけである。
メモ書きだけでなく、読み方も変わった。ついこの前までの自分は、例えば神道を勉強したいと思うと、図書館で十何冊も借り、ネット書店で新刊を買って片っ端から読み込んでいたが、そんな詰め込みを馬鹿らしく感じはじめている。
本は読むが、家の本棚のまだ読んでいないものを手にするようになった。いまの家には、前の持ち主だった義理の伯母が残した本がたくさんある。伯母はアメリカ文学でもユダヤ系など少数派の小説が専門の学者で、面白そうな本がいくらでもある。それらを系統だって読むというより、なんの脈絡もなくランダムに読むようになった。
勉強の読書ではなく、学生時代のように読むことそのものを楽しむ境地に、38年かけて戻れたということなのか。
メモや読書の変化は、私自身の中で何かが変わったからだろうか。そんな話を友人の鍼灸師、孫俊清さん(65)にぶつけると、「進歩したんだよ」と言われた。
進歩?
何かをせねばならない、空いた時間を勉強で埋めなくてはならないと思い込んでいた自分が、日々の焦りや義務感から解き放たれたということだ。「いろいろあって一段上に行ったんだよ」と彼は言った。
何が上に行ったかはわからないが、進歩と聞いて悪い気はしない。アフリカでひたすら粗食をつづけた末、食べることへの欲望がかなり薄まったように、もったいない精神で紙の空白をメモで埋め、本で知識を詰め込む小鼠のようなせわしない日々から脱け出したということなのか。もしそうなら、それはそれでいいことではないか。楽になったということなのだから。
「仕事をしていない自分はぼーっとしていることが多いけど、それが一番大事な時間」。以前、友人がそう話していた。私は長らく、ぼーっとしている時間を嫌い、そこに岡山弁で言えば、やっちもない情報をひたすら詰め込んできた。
いまは、一段上がるというより、一段下がる感じもするが、肩の力が抜け、緊張が和らいでいるのを自分でも感じている。
でも、どうして、そうなったのだろう。年のせいか、仕事のせいか、それともアフリカのおかげか。アフリカでは、自分から何かを聞くのではなく、彼らが何かを言うのをひたすら待つ受け身の手法を貫いた。その方が本当のことが入ってくると気づいたからだ。
これは何もアフリカに限ったことではない。前のめりになって、用意した質問をぶつけても人の本音は聞けない。それは自分の頭で考えた狭い世界の話に収まってしまいがちだ。メモを書かなくなったのも、受け身の姿勢の延長なのか。何も詰め込まない空(から)の状態に自分を保とうと、知らず知らずにしているということなのか。その方が何事も入ってくると。
答えはわからない。でも、記憶や情報、知識に縛られなくなったのなら、それはいいことのような気がする。本棚に詰まった大量のメモ帳や本をすべて焼き払ったらどんなにすっきりするだろう。最近はよくそんなことを思う。
● 新刊紹介
📕『ふらっとアフリカ』(2025年7月29日発売、税込1,650円、毎日新聞出版)

特派員の肩書きもミッションもなしーー
23年ぶり、アフリカにとっぷり浸かってみた!
紙袋ひとつ持って「旧友たち」のもとへ
今ひとたびの、灼熱大陸清貧一人旅。
南米、ヨーロッパ、アフリカ、ヒマラヤのダウラギリまで、世界各地を巡り歩いた特派員が、約25年ぶりに再びアフリカの地に降り立った!
今回は、あえて目的も計画も持たずつとめて身軽な旅。
毎日新聞連載を書籍化。
● 関連書籍
📕『絵はがきにされた少年』(05年、集英社、開高健賞受賞、20年に新版)
