自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

戦争状態と内戦

2026年9月号掲載

ノンフィクション作家/藤原章生

 

  「いずれ、内戦になる」と男は言った。匿名は本人の希望だ。「南アフリカの白人がアフリカのことを喋ると、やれ、白人が何を言ってやがる、という人種騒ぎになるから」と言う。それもあるが、彼の経歴から、本名で本音を語れないというのもあるだろう。

  物騒なことを言い出したのは6月半ばだ。その月末に不法移民締め出しの「大行進」が予定されていた。これは2年前にラジオパーソナリティーの呼びかけで急速に広がった市民運動で、日本で言えば、参政党の外国人批判を支持する群衆が大規模行進する図だ。少し違うのは、下手すると暴動、略奪になるところだ。一揆や日比谷暴動まで歴史を遡らないと日本では見られない光景だろう。少し古いが70年代の新宿騒乱を大きくしたイメージだが、南アの場合、そうならないとは言い切れない。

  21年6月には、生活苦のみならずコロナ禍での禁酒・禁煙令によるストレスも加わ り、複数のモールで略奪があった。主に黒人以外の経営か、そう間違われたモールが 狙われた。

  そんな過去から、男は6月末の大行進で暴動が広がり、それを機に次第に内戦になっていくと言った。

  しかし、内戦と言えば、コロンビアでもシリア、スーダン、コンゴでも、一応は政府軍や反政府ゲリラといったプレイヤーがいる。ところが、南アの場合、公式には政府軍と警察しかいない。他に武装しているのは民間警備会社で、兵員に当たる警備員は政府軍の3倍の60万人以上もいる。それに南アは銃社会なので、個人で武装している人も多い。

  月末の大行進が暴動になった場合、政府は鎮圧するし、警備員も彼の持ち場を守る ため同じ側に立つ。それでは内戦にならない。

  彼の言う内戦のシナリオはどんなものか。

  まずは、大行進、つまり外国人排斥の賛成派と反対派に分かれた黒人同士の戦いに なる。それぞれの過激派が武装化し、政府軍との三つ巴となる。「他の勢力として、アフリカ各地にいる南ア出身の白人傭兵がいる。内戦となれば、国外にいる彼ら15万人がすぐに帰ってくる」「参戦するってことか」「そうだ」「でもどういう形で」。この辺になってくると曖昧だ。

  15万人は多すぎないか、と思ったが、彼は傭兵に詳しいので、とんでもない数字で はないだろう。が、武装しているのは数千人という見方が一般的だ。15万人は予備軍や候補者も含めてということだろう。

  南アに暮らす白人はずいぶん減った。黒人政権誕生直後の95年は520万人、全体の1 2%を占めたが、いまは420万人に減り、他が増えた分、彼らの人口比は7.3%まで落ちた。

  過去30年で欧州、豪州、米国などに100万人近くが移住した結果だが、最近は南ア へのUターン組も年に1万から1万4000人もいる。欧州やアジアなどいろいろ住んだ 末、最近戻ってきた64歳のフィリップという獣医は、「結局、ヨハネスブルクが一番いい。気候がいいし、土地は広い。なんたって個人の自由度が高い」と言っていた。

  ヨハネスブルクの市街地は治安が悪化し、郊外の住宅街はどこに行っても電気柵で 守られている。中には、ゴルフ場もある広大な地に1200もの邸宅が並ぶ区域もあるが 、そこも長大な柵で囲われている。敷地に入る際は住人から送られた期限つきのコード番号を見せねばならず、身分証や自動車登録番号、荷物まで確認される。こうした 作業に当たるのが民間警備業界だ。

  私が暮らした90年代も、郊外の家はフェンスで囲まれ、一区画まるごと閉じて自衛 する形が広がり始めていた。そのころ、他の国の戦争取材から戻って、支局を兼ねた自宅のある地区のゲートを通ったとき、「ここも前線じゃないか」と思ったことがあった。多くの市民が銃を手にし自衛が日常になっているのは、もはや戦争状態ではないのか、と。単に白対黒の戦争ではない。持てるものと持たざる者の戦いの最前線だと。

 大行進のあった6月30日、ソウェトは静かだった。パキスタン人経営の雑貨店が一時襲われたが、被害は軽かった。中心街も事前の警戒が馬鹿馬鹿しいくらい平穏だった。

  私が見た限り、ソウェトで外国人排除はそれほど支持されていない。外国人が逃げ 出したため、野菜の路上販売から雑貨まで、彼らが仕切っていた小売がなくなり、困っているという声が多い。結局、この国の巨大企業チェーンのスーパーで買うしかなく、「外国人排斥は、大手企業の陰謀じゃないか」という声もよく聞く。

 あくまでも不満であり、黒人が二手に分かれて戦う状況は生まれていない。不平は言うが相手を暴力で抑えこむほどの議論になってはいない。

  男は「いまは危ない、ソウェトにいない方がいい」と私に助言したが、いまのとこ ろ大きな変化はない。まだ何も始まっていないということなのか、すでに小さな芽が出てきているということなのか。

  「戦争状態」の中で長年暮らしてきた治安面のエキスパートの言葉だけに、男の予測を笑い飛ばすことはできない。ただ、はっきりしているのは、もう後戻りはできないと いうことだ。同じアパルトヘイトの時代に戻るようなことは少なくともない。戻りたくても、一度バラバラになった以上、過去のような白人対黒人という構図にはもう戻 れないのだ。  

 

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夢で何がわかる

                    2026年8月号

                    ノンフィクション作家/藤原章生

 

 夢で何がわかるのか。現在私が探っている南アフリカのシャーマン、クレド・ムトゥワ(1921-2020)は夢を通して未来を読むことができた。古くは1960年代のアフリカ各国の独立をめぐる内戦、南アフリカの白人政権の首相だったヘンドリック・フルウールトの60年の暗殺未遂、66年には実際に議会で刺し殺される暗殺事件を予知した。76年に数百人が当局に撃ち殺されるソウェト蜂起、その後のエイズ蔓延、01年の米同時多発テロ、20年のコロナ拡散についても事前に語っている。

 最近、南アフリカでよく言われるのは 、「内戦の危機」さえささやかれる社会の混乱もムトゥワは予知していたということだ。アパルトヘイトが崩れ、94年にマンデラ政権が生まれて32年が過ぎた。が、貧富の格差は変わらず、アフリカ諸国からの不法移民の追い出しが全土に広がっている。日本の右翼政党ではないが、標的を外国人にして大衆の人気を得ようとする政治運動だ。

 アパルトヘイト時代と比べ、職はなく、電気水道のサービスはひどくなり、政界では汚職が蔓延した。ムトゥワはこうした黒人政権の体たらくを93年に予知し「ズールーがこの国を壊す」と語った。ズールーは南ア最大の民族を指す。当時は黒人政権誕生前のお祝いムードで、マンデラが白人、黒人の融和を唱え、人々が理想を抱えていたころで、人はムトゥワの暗い予測に耳を傾けなかった。  
 南ア政界の汚職をひどくしたのは、ズールー出身の前大統領で、現在の外国人排除の運動もズールーの民族主義が根にある。「ズールーが国を壊す」という読みは当たったと、彼を知る南ア人は異口同音に言う。

 なぜ夢でわかるのか。76年のソウェト蜂起については、ムトゥワと同じ伝統治療を扱うサンゴーマの仲間も2年前から同じような夢をみていた。複数の人々が、燃え盛るソウェトの町と撃ち殺される子供たちの姿を夢にみたという。

 南米コロンビアの作家、ガルシア=マルケスは中編作品「エレンディラ」の冒頭で、夢の話をさせている。

 <「ゆうべ、手紙を待ってる夢をみたよ」(略)「何曜日の夢だった?」「木曜日さ」「だったら悪い報せよ」とエレンディラは答えた。「でも、その手紙は絶対に来ないわ」>(野谷文昭訳)

 舞台となる先住民族、ワユの社会でも夢で占うのが日常だ。スペイン人によるインカやアステカ王国での大虐殺を、数で圧倒的に勝っていた先住民が押しとどめることができなかったのは、赤子まで刺し殺す欧州人の暴力に驚いたのに加え、海の向こうから神が現れるという夢を信じていたから、という説がある。

 日本でも「源氏物語」の六条御息所の話など、古くから夢は現実を映し出すものとして扱われてきた。

 夢はかつて、人間にとってそんなに軽んじられたものではなかったのだ。

 ムトゥワによれば人間には魂が2つある。一つはエナと呼ばれ、体が死んで時がすぎると消える。もう一つはモヤと呼ばれ、こちらは人の死後も残りつづけるという。輪廻転生だ。

 モヤは神の一部でもあり、子供に乗りうつったり、動物になったりを繰り返す。このモヤは脳よりも少し先の未来をみることができる。つまり、モヤが夢を通して情報を脳に先んじて届けるとムトゥワは言う。

 予知夢の研究はあれこれなされているが、解明されたわけではない。フロイト以来、夢研究は盛んだが、誰をも納得させるような定説はない。

 一昨年夏、北アルプスで落石にやられ左足を骨折した。そのとき、広めの沢を下っていた私は、岩場の横の窪みを下りようとする前、「こんな河原でも、岩の下敷きになって死ぬこともあるなあ」と思った。

 そして窪みを下りきったとき、同じ考えが浮かび、その直後、50㌢四方の岩が崩れ落ち私の左足に激突した。言葉が湧いたおかげで、私はとっさに左足を引っ込めた。このため、岩が左足を直撃するのをかわすことができた。でもこれはたった1分前なので、予知と言えるのか。予感、勘ではないか。

 昨年夏、長野と新潟県境にある佐武流山で私はクロスズメバチに34カ所も刺され、アナフィラキシーショックに陥った。そのとき予感はなかったが、5カ月前に変な夢をみている。

 亡くなった年輩の知人の家でチェロを盗まれる。息子に声をかけ、2階に行くと見知らぬアフリカ人が何人かいて、何かと難癖をつけられる。息子を左側に隠す形で部屋から出ようとすると、右腿に針のような痛みが走り、吹き矢で続けざま刺される。すぐに意識を失いそうになり、息子を呼ぶが、彼は蝋燭の光を見ていてこちらに気づかない。これで死ぬのか、それならそれでいいと受け入れ、諦めている。

 日ごろのストレスからくる被害妄想が原因の夢だと思う。しかし、刺されたときの痛みがよく似ていた。でも、予知夢と言えるのか。私の魂、モヤが受難を5カ月前に先読みしていたと証明できない以上、偶然にすぎない。

 仮にそれが予知夢だったとしても、私自身が目覚めた直後に、予知だとわからない限り、ただの夢で終わってしまう。

 ムトゥワにはなぜそれがわかったのか。「繰り返し同じ夢をみる」と言うが、それ以外の納得できそうなタネは、調べた限りでは明かしていない。やはり弟子が言うように、彼にしか備わっていない生来の特質なのか。調べる以外にないのだが、人や文献に当たればわかるというものでもなさそうだ。

 

 

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ジャスティスのシンプルな人生

2026年7月号掲載

     ノンフィクション作家/藤原章生

 

 ジャスティスと知り合ったのは2024年正月のことだ。南アフリカ・ソウェトの友人宅で居候を始めた日の酒盛りで意気投合した。怪力を絵に描いたような男だ。

 大柄で肉体労働独特の胸板の厚い、いい体をしていた。声が太く大きいが言葉数は少なく、その代わりのように、会うたびに、腕立て伏せや股割をしてみせた。

 年は50代末で、近所の家の離れを借り、同年輩の妻と暮らしていた。女性との間に子はなく、家はいつもひっそりとしていた。何度か家に入ったが、妻は一部屋しかない奥で縫い物や豆の選り分けなどをしていて、会話に入ることはなかった。いつも伏し目がちで、影のような人だった。

 ジャスティスは腕のいい左官屋で、私の部屋のドアをあっと言う間に直した。新築アパートを任され張り切っていたとき、現場に連れて行ってくれたことがあった。ただ単に自分の仕事を見せたかったようだ。

 私が最初に南アフリカに暮らした90年代、旧白人居住区の高級住宅街に青い作業服姿の男をよく見かけた。職人や庭師で、メイドの女性たちは薄いピンクの上っ張りを着ていた。アパルトヘイトの名残りで、白人居住区に出入りする黒人のユニフォームで、誰にも咎められない通行証のようなものだ。

 ジャスティスはいつも青いつなぎを着ていて、夕刻、仕事から帰ってくると、通りから野太い声で「ハロー、マイ・フレンド!」と私を呼び、胸ポケットに入れた50ランド札を見せ、「きょうは金があるんだ」と言ってビールを奢ってくれた。

 南アフリカの瓶ビールは日本のそれより2割ほど量が多い。種類はキャッスル、ハンサ、ブラックラベルにキャッスル・ライト、黒ビールのキャッスル・スタウトの5種類に外国のビールが加わる。食料品や菓子類も実にシンプルで、あらゆる銘柄がある日本とは違う。でも、それに慣れるとその方が楽だと気づく。マーガリンはラーマ、缶詰はイワシの水煮かトマト煮のラッキースター、インスタントコーヒーはデコフィ、ヌードルはマギーと決まっているので、買い物を頼むときも一言で済む。コンビニで菓子パンやアイスを買うのに迷う時間が省かれる。選択は贅沢なことだが、なければないで済む。

 ジャスティスはいつもブラックラベルと決まっていて決して変えない。アルコール度数が一番強く、喉ごしにキリッとした衝撃がある苦さで、若者の酒と言われている。ハンサは度数がやや弱く少し酸っぱくマイルドなため年寄りの酒。スタウトはさらに渋い老人の酒で、度数が低いライトは女性かチャラチャラしたヤツが飲む酒と思われている。

 「何がいい?」とジャスティスに聞かれ、「ブラック」と答えるとニカーっと嬉しそうに笑うが、一番高い日本円で230円ほどのスタウトを選ぶと、「なんだよお、年寄りがよお」と小馬鹿にした声を上げるが、やはりニカーっとして胸ポケットから札を出す。

 コンクリートの地面にビールを置いて飲み始めるが、ジャスティスは懐具合がいいときは、必ずブラックを2本足もとに置く。ラッパのみで1本を時間をかけて飲むが、まだ1本残っていると気持ちが豊かになり、酒の味も変わってくるのだろう。

 ソウェトの酒飲みは延々とビールを飲む。ひどい場合、一晩で20本も空け、つまみは食べない。私はあらかじめ買っておいたピーナッツやスナック類を口にするが、ジャスティスは「なんだあ、そんなもんは子供の食べるもんだあ」と言ってまず食べない。  金がないと、ジャスティスは家でじっとしている。それでも少しの金が入るとゴンビニョンと呼ばれる地元産の蒸留酒、ひと瓶120円ほどのジンの小瓶を買い、度数が45度もあるそれをちびちびと飲む。

 この酒は質が悪い。中毒者が手を出すものと評判が悪く、隠れて飲むものだったが、禁酒令が敷かれたコロナ禍に広まり、最近は中毒者が大っぴらにビールに混ぜて飲むようになった。酔い方が深いので、すぐにわかる。

 ジャスティスも「マイ・フレンド!」と訪ねてくるときだった。そんなとき私は「酔っ払いがあ」と言ってビールを1本だけ奢るが、それ以上はつき合わない。私はそこまでの酒飲みにはなれない体質なのだ。そこまで酒を楽しめない。眠くなるだけだ。

 隣国モザンビーク出身の彼は内戦下の10代のころ、国から南アに逃げ、左官業で生き抜いてきた。ソウェトは無職が多いが、職人や建設業、野菜売りなど地元民がやりたがらない仕事をモザンビーク人がこなしていた。友人のケレは「ソウェトの町はモザンビーク人がつくったようなもの」とさえ言う。

 無職の若者に「野菜売りでもなんでも、彼らのような仕事をすればいいじゃないか」と言うと「どうしてなのか、俺たちにはモザンビーク人のように働く才覚がないんだ」と言った。ジャスティスは働き者の典型だったが、問題は酒だった。妻が影のようだったのも、せっかく稼いだ金が酒に消えてしまうことに、うんざりしていたのもあった。

 昨年9月、再びソウェトに行くと、ジャスティスは寝込んでいた。声をかけると起き出してきて、私の部屋までやって来た。「大丈夫か」と聞くと、「大丈夫だ」と言って両腕を振り回して見せたが、両脚がむくみ象の足のようになっていた。酒はやめたという。  地方から戻りまた訪ねると、病院に入るためモザンビークに帰ったとのことだった。南ア人ではないので、無料で医療を受けられないためだ。1週間ほどすると「ジャスティス、元気になったみたいだ」と近所の男が言うのでほっとしていたら、その数日後、「死んだ」と若者が伝えにきた。

 日本にも酒で死んだ先輩、友人がいた。でも、昔もいまもソウェトの人は随分あっさり死ぬ。仲間たちは一様に沈んだ顔になるが、多くを語らない。死因はなんだったのか。彼の人生はどうだったのか。そんなことを誰も口にしない。彼は生き、彼は死んだ。その事実を噛み締めているだけだ。

 

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解放されたいい顔

2026年6月号掲載

ノンフィクション作家/藤原章生

 

  14歳上の先輩記者を自宅に招き、岡山風モダン焼きをふるまったあと、こんなメッセージがきた。「貴兄は解放されたいい顔をしていました。知らず知らずのうちに心の重石になっていた毎日新聞のストレスがなくなったからでしょう。さらにいい仕事に取り組む土俵が整ったと思います。ご活躍を!」 自分の顔は自分ではわからない。鏡の向こうの自分は、自分を意識した顔だ。だから、第三者に言われると本当のような気がする。

 新聞記者をやめて1カ月がすぎた。5年前、60歳で定年退職する際、フリーになろうとしたら「まだ書いてくれ」と言われ、勧められるまま契約記者をこの3月末までつづけた。半分フリー、半分従業員という異例の形で、新聞社の内部規定にひっかかり、本の著作権をめぐり論争したこともあったが、それも過去の話だ。もはや組織に縛られることはない。

 そんなことを日々考えているわけではないが、私の顔から記者の色が薄まり、フリーの気配が出てきたのかもしれない。これまで新聞連載で「ノンフィクション作家」を名乗ってきたのは、5年前に半分フリーになった際、複数の編集者や読者から勧められたからだ。2005年に開高健ノンフィクション賞を受賞してから11冊の本を出し、その内容から、その職名がふさわしいということだった。

 無職かフリーがしっくりくるが、文章を書いてお金をもらっている以上、職名を書かねばならない場面がある。ライター、フリーライター、ルポライター、ジャーナリスト、作家、文筆家、著述家、エッセイスト…。言い方はいろいろだが、いまはそれにしている。

 解放された顔は「心の重石になっていた毎日新聞のストレスがなくなったから」という見立てはどうだろうか。ストレスだったのか。よく焦りの夢をみた。でも、新聞記事だろうがエッセイだろうが、肩書きは影響しない。書くのはあくまでも肩書きなしの「自分」である。

 では、組織、人間関係がストレスになっていたのか。これは多少あるだろう。

 一度こんなことがあった。麻雀仲間で2年前に亡くなった岩橋豊という先輩記者と新聞社から一緒に帰ったときのことだ。先を歩く私に岩橋さんが「おっ、一丁目一番地を通っていくか」と言った。何を言っているのかと思ったが、編集局のど真ん中を通り抜けることを指していた。

 編集局は間仕切りのない大きな空間で、二つの大きな廊下があった。彼の言う一丁目一番地とは、奥から外信部、経済部、政治部、社会部、壁を挟んで科学部、論説室が並ぶ表通りで、中央に「交番」と呼ばれる、局次長ら幹部が陣取っている。

 それと平行して走る裏通りには運動部や写真部、生活家庭部、学芸部が並び、二つの通りの間を整理本部、実際に新聞を組み立てる編集者が占めていた。

 表と裏は霞が関と虎ノ門あるいは新橋のような位置づけと言っていい。

 元経済部の岩橋さんは当時、玄関の外にある「毎日フォーラム」編集室におり、私は裏通りの玄関口にあった夕刊編集部だった。新橋のはずれの2人が霞が関を闊歩している様子を岩橋さんは「一丁目一番地」と言ったわけだ。「滅多に通らないから緊張するな」と言った気もする。

 岩橋さんに限らず、新聞社には階級意識がある。なんとなく表通りが偉くて裏通りは付け足し、色ものといった印象だ。

 「藤原さん、いまどこ?」。ごくたまに廊下で会うと、必ずこう聞いてくる先輩記者がいた。「えっ、ワイド面書いてるけど」。新聞の署名を見たらわかるだろ、という思いで答えると、「うん、でも、部は?」と聞いてくる。なるほど、この人は何を書いているかより、所属を気にしているのだと、その一言でわかる。

 20代から「ヨーイ、スタート」で新聞記事を書きはじめても、所属や役職を気にする人が意外に多いのが新聞社だ。岩橋さんの一言もそこからきていた。

 部長や局次長という肩書きも英語に直せばマネジャーであり、記者という選手の雑用をこなす世話役なのに、ポストで言葉遣いや人格まで変わってしまう人もいた。

 朝日新聞の記者がずいぶん前、月刊誌『選択』で映画「クライマーズ・ハイ」を題材に、記者同士は互いにどこか侮り合っていると書いていた。なるほどと思った。

 記事はセールスのように、数字ではっきりと出るものではない。「あいつ、いいもの書いてるよ」「あんなの、大したことない」。賞賛に羨望、嫉妬、侮辱のあいまった互いの評価が、全体を底上げする原動力にもなっていた。でも、誰もがそれを口にするわけではない。沈黙の奥に何があるのか。同業者、仲間内の評価は見えるようで 見えない。

 私は現役時代からあまり会社にいかなかった。コロナ前からリモートワークを先取りしていた。上司に「なんで会社に来ないの! 会社員でしょ」と言われたことがあった。「用があれば来るよ。必要なら電話で呼んだらいいじゃないか」と応じたが、 逆の立場にしてみれば、扱いにくい部下だった。 夕方になると賑わいだす編集局が嫌いではなかった。でも、あまり足を向けなかったのは、見えない仲間うちの評価を気にしていたからだろう。

 一丁目一番地を歩くとき、玄関の扉を開くとき、厚かましい私でもやはり、どこか緊張していた。それはいい意味でも悪い意味でも、一つのストレスだった。

 

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新聞記者という長い夢

2026年5月号掲載 

ノンフィクション作家/藤原章生

 

 夕刻、ベッドで本を読んでいたら寝てしまい、目覚めると奇妙な錯覚に襲われた。

 シミュレーション・プログラムをつくっているとき、PC9800を前に寝落ちしたと思ったのだ。プログラムのバグを見つけ、空気摩擦の係数を1.2にするか1.3にするかで迷っていた私は、新聞記者という長い夢から覚めたような気がした。
 長野支局で警察回りを始め、アフリカの戦場を駆け回り、早朝、古いビートルのタクシーでメキシコの空港に向かう嫌な気分。原稿を書くときの武者震いと不安が入り乱れた長い夢を見た私は、プログラムのつづきを書かないとと思って目覚めた。そんな気分だった。
 完全な錯覚だが、なぜだか気持ちよかった。
 私はもうすぐ65歳で3月末に記者を辞めるのは必然だった。連載中の「不思議なムトゥワ」は外部ライターとして書くが、記事はもう書かない。37年にわたる記者生活が終わったのだ。「ああ、終わった、終わった」と思いながら寝たせいで、錯覚を起こしたのか。
 記者になる前、私は住友金属鉱山の、開いたばかりの有望な菱刈鉱山で技師をしていた。当時、1tの鉱石を掘り出し7gの金が入っていれば儲けにつながったが、菱刈鉱山は平均で80gもあり、東洋一の品位(純度)を誇っていた。
 80gは低めに見積もった平均で、切羽と呼ばれる採掘現場の中でも純度の高いところは、1tの鉱石に1万gも金が入っていた。1%である。
 非鉄金属を扱う主な大企業が相次いで合併したのに、住友だけがいまも盤石なのは、この儲かるヤマのお陰である。予算は潤沢で、重機担当職場長というポストにいた私は、十数人の部下とともに、数千万円もする重機を数十台扱っていた。
 同時に通気担当職場長という役目も担わされ、東京のシステム部で研修を受け、シミュレーション・プログラムをつくっていた。
 菱刈は地下数百mの鉱山だが、掘れば温泉が出てくる熱い岩が問題だった。まずは温泉をボーリングで抜きとり、地下水のレベルを下げた上で、100℃を越す岩の温度を、ファンやクーラーを使って徐々に下げていく。
 地下に10カ所以上もある作業現場の温度を37℃以下に、湿度もかなり下げて労働環境を整えるのが大変だった。
 空気は距離にして数kmに及ぶ地下道を巡っているため、一つところの環境を良くするとほかが悪くなり、全体をよくするのは至難の技だった。
 九州大学の助教授と協力し、地下の通路を図に落とし、コンピューター上で模擬実験を繰り返すプログラムをつくったまではよかった。システム上で、例えば、ある通路のある場所をシャッターで塞ぎ、ファンを分岐点に入れ、現場にクーラーを置き、といったパターンを繰り返す。そして、鉱山の中の数十カ所ある現場の風の量に加え、温度、湿度に応じた熱エネルギーを予想する。
 システムの上では万全なのだが、実際の現場はそうはいかない。
 「いやあ、藤原さんのおかげで涼しくなった、寒いくらいだよ」と喜ばれる一方、別の現場の副長が「藤原しゃん、もう熱うて仕事にならん、殺す気か!」と怒鳴り込んでくる。そのたびに現場に降りて、風の量と温度、湿度を測り直して、再びコンピューターに打ち込む。
 なぜシステムと現場の値は違うのか。それをあれこれ考えながら、プログラムに書き込んだ岩盤や機器類が空気を阻む摩擦の係数などを一つ一つ修正していく。そして、現場に新たなファンなどを据え付け、さらに微修正を加え、といったことを果てしなく繰り返し、少しずつシステムの質を上げていく。
 私は若い社員たちに「風車の弥七」と呼ばれ、笑われていた。高専卒の部下、永田君と二人で坑内を隈なく歩き、長い棒に風車をつけた風量計で1分あたりの風の量を測っていたためだ。
 1年もの試行錯誤の末、システムはほぼ完成した。
 そんなころ、私は突然会社を辞めることにした。以前書いたが、88年のゴールデンウィークに東京に戻り、中学時代の友人に「お前、エンジニア? 俺、お前、ジャーナリストになると思ってたよ」と言われからだ。
 その場では「何言ってんだよ」とすぐに打ち消したのに、翌朝起きたら、「そうだった、新聞記者だった」とすっかりその気になっていた。いま考えても不思議なことだった。それでも思い込みの強い私は、鹿児島に戻るなり辞表を出し、上司らに驚愕された。
 身内には理系が多く、父もエンジニアで、報道関係は一人もいなかった。新聞をまともに読んだこともなかった。なのに、私はにわか勉強を始め、その秋に運良く試験に受かり、翌春、毎日新聞に入った。
 辞めるとき、挨拶に行った九州大の先生が苦虫を噛み潰したような顔をしていたのを覚えている。私との連名で通気管理シミュレーションの論文をまとめたばかりだった。
 記憶は不思議だ。新聞記者を終えた途端、あのときのプログラムをまざまざと思い出したのだ。そして、ハッと目覚めると、新聞記者という嘘のような夢から覚めた気分になっていた。

 

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ムトゥワの預言、「終わらない人種戦争」

2026年4月号掲載

ノンフィクション作家/藤原章生

 

 南アフリカの預言者、クレド・ムトゥワは1985年5月に広島で泣いた。人生最初で最後の日本体験だった。京都の国際会議に招かれたあと広島を訪れ、平和記念資料館の展示物を見たムトゥワは涙にくれ、深い悲しみに沈んだと振り返っている。

 日本を訪ねた翌86年に一気に書いた『私の国を死なせるな』という本で、そのときの衝撃を詳しく書いている。

 ムトゥワは原爆投下跡を見て、これは白人による黄色人差別がもたらしたものだと直感しこう書く。「私は自問した。『日本人は将来、いつか、アメリカへの復讐を計画しているのだろうか』。彼らもまた、ホロコーストに遭ったユダヤ人と同じように、幼い子供たちに、『決して忘れるな』と教えているのだろうか。しかし、これだけははっきりしている。人種戦争は、争う人種の一方、あるいは双方が滅びるまで決して終わらないのだ」

 これをどう受け止めたらいいのだろう。

 ムトゥワは64年に出した最初の本『インダバ・マイ・チルドレン』について、右手が勝手に動き出し、自分が全く知らないことをスラスラと書いたと振り返っている。彼が物を書くのは、あれこれ資料を調べて書くのではなく、自分の体験、洞察、直感をもとに書く。文字通り預言者なので、何か大きな存在に突き動かされて書く彼の言葉を「人種戦争? 何言っているんだ」と私は聞き流すことができない。というのも彼がそれまで語り書いてきたことは決して外れてはいないからだ。

 人種という言葉は19世紀の社会進化論が広めた言葉で、そこに科学的根拠はない。ムトゥワが言う人種主義も、政治的な意味合いで言っているにすぎない。ここでは人種を「外見や文化、物の考え方が同じ人々」というくくりで使わせてもらう。

 彼の言葉、どちらかか、双方が「滅びるまで決して終わらない」は何を意味するのか。

 敗戦後、それまで「鬼畜米英」と憎んだ米軍が日本全土を占領し、日本人は彼らから再教育を受けた。が、果たして日本人に「いつか白人に復讐してやる」といった気持ちがあったのだろうか。

 コーンパイプをくわえたマッカーサーが日本に降り立ち、昭和天皇を呼びつけ、二人並んだ写真を新聞の一面に載せ国民にさらした。長身のマッカーサーは軍服姿で右手を軽く腰にすえ微かな笑みを浮かべている。一方、背の低い天皇は似合わない大きめのモーニングを着て直立不動で正面を向いている。

 勝者と敗者の姿だが、ムトゥワの言う「人種戦争」だったとすれば、それは白人と黄色人の象徴とも言える。

 当時のマッカーサー人気は相当なもので、彼が国を去るとき、東京には幾万の人々がごく自然に街道に集まり、彼が乗った車を見送り、涙を流す者も多かった。

 米国と戦ったベトナムやイラク、アフガニスタンの人々が、国を去る米軍を日本人のように見送った、という話は聞かない。つまり日本人の中に彼らと同じように「出ていけ、アメリカ人、二度と来るな、白人」といった気持ちが隠されていたとは到底思えない。

 ムトゥワの言うように、どちらかが消えるまで人種戦争が終わらないのだとすれば、二つのことが浮かぶ。まだ終わっていないか、本来の日本人は敗戦とともにすでに消えたということか。

 日本人は白人の優位を心底認め、自分たちもその亜流、あるいはその一部になったのか。それとも、人種差別にまつわる考えを奥にひた隠し、したたかに自国経済を高める道を邁進しただけなのか。

 広島の資料館は「やられたことを忘れるな」などとは訴えていない。むしろ、人種を超えた人類の平和をこそ我々は目指すべきだと説く。

 ムトゥワ的に言えば、それは、過去の自分たち、敗れた日本人はもう死んだという自己欺瞞に映る。死んだのであれば、アメリカへの復讐など考えることもない。だが、もし死んでいないのなら、戦後民主主義という真綿の中で秘かに復讐心を抱えつづけていることにならないか。

 トランプ大統領にもし思想のようなものがあるとすれば、マルコ・ルビオ国務長官が2月にドイツで語った言葉がそれを示している。

 「第二次世界大戦が終わるまでの5世紀、西洋は拡大しつづけた。宣教師、兵士、探検家が海を渡り、新大陸に定住し、世界中に広がる広大な帝国を築いた」。だが、終戦後、欧州は廃墟となり「西側諸国は縮小した」。その原因は、反植民地主義的な独立運動や共産主義が「我々を終末的な衰退へと向かわせたからだ」とうたった。

 これは、人口が減り経済的な優位も失いつつある西洋文明出身者たち、つまり白人たちの最後の抵抗ともとれる。ルビオの話を欧州人の多数がまともに頷くとは思えないが、欧州の極右の間に元からある考えでもある。

 現実には、アメリカが再びグレートになれないのと同じように、西洋文明、白人たちが過去の栄光を再現できないのは明らかだ。それでも、窮鼠猫を噛む。彼らがそれを取り戻そうと必死にあらがうなら、それはムトゥワの言う「人種戦争」そのものではないか。

 日本人が戦後、過去の自分たちを殺し、彼らの一部、別名「名誉白人」になったすれば、白人の側につくのが筋だろう。  しかし、本当に私たちは敗戦後、過去の自分たちを完全に殺したと言えるのか。民族が、部族そんなことを簡単にできるのか。私には疑問だ。  

 

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戦わないこと、殺さないこと

2026年3月号掲載

毎日新聞契約記者/藤原章生

 

 年明け早々、トランプ政権の軍事介入で大統領夫妻が連れ去られたベネズエラは一 応の平穏を保っている。国連など国際社会に向け、米国を批判はしても、武力で抗おうとはしていない。米国に言われるまでもなく、副大統領がトップにつき、「私たちが求めるのは平和だ」と言い、防衛力を高めようという動きもない。

 次の標的として、キューバ、ニカラグア、コロンビア、メキシコが、トランプや米国務長官、ルビオの口から上がる。

 実際にこうした国を米軍が襲うことはないだろう、と思いたいところだが、何が起きてもおかしくはない。これまでの常識が通じないことを平気でやる人である。公約通り、メキシコ国境に時代錯誤とも言える高い壁をつくった人だから、あれこれ難癖をつけ、キューバを襲うことがあるかもしれない。

 ベネズエラ攻撃について、世界の反応は静かだった。中南米のいくつかの国は強く非難したが、トランプを悪しざまに批判しつづけてはいない。火の粉が降りかかるのを避ける知恵である。欧州も地元に近いグリーンランドについては声を上げたが、ベネズエラについては口籠もっている様子だ。トランプとうまく付き合わざるを得ない日本政府もほぼ無言だ。ロシア、中国もトランプを非難はしつつも、軍事的に立ち入ろうとはしない。

 頭のおかしなならず者とどう向き合うか。世界中の政府が知恵を試されているのだ ろう。少しでも歯向かえば、すぐに往復ビンタが飛んでくる暴力教師の前では、静かに目立たないようにしているに越したことはない。

 ベネズエラは当面、面従腹背を貫き、暴力教師の「指導」をすまし顔で受け入れるだろう。左翼的な考えを改めるフリをして、教師がくれる褒美だけはもらう。でも、決して魂は売らず、心の底で教師を侮りつづける。

 日本は80年もの間、戦争で誰ひとり死なず殺さず平和を保ってきた。こういう言い方をする人がよくいる。それは誇っていいと。

 その通りだ。戦争で殺された人の現世はそれで終わるが、殺した人はそれだけでは済まない。ベトナム帰りやイラク戦争の帰還兵がそうだったように、彼らの多くにひどいトラウマが残る。日本兵も同じだった。「戦争神経症」となって病院に収容されなくとも、中国などで乳児、子供を含めた人々を殺した日本人の多くがトラウマに苦しんだ。もちろん中には何の罪の意識も感じず、平然と生きた人もいるだろう。多くの帰還兵の苦しみは妻や子供への暴力となり、2世、3世へとつながっていく。

 暴力というわかりやすい形で現れなくても、戦争で人殺しをした人々がひしめく社会が即座にまともになると考える方がおかしい。

 戦争とは関わりなくても、自分の過去を振り返れば想像がつきそうなことだ。例え ば、誰かを殴ったことはなくても、若いころの愚かさから、言葉で人を傷つけたり馬鹿にしたりといったことがあったとしよう。相手が反発すればまだいい。自分の行いを少しは正当化できるからだ。だが、相手が無抵抗の場合、そのときの黙った横顔や睨めつけるような視線はその人について回る。忘れていても、ときに悪夢となって現れる。  ベネズエラの政府は早々に戦わないと宣言した。トランプの横暴を非難し、連れ去られた大統領夫妻を返せと言いつづけても、戦うことをはなから考えなかった。

 相手は世界一の軍事大国であり、ましてやトランプはまともではない。刃向かっていいことはないという知恵がそうさせたのか。

 2003年に始まるイラク戦争では、現地の人々から、ブッシュに対する恨み、のろい をずいぶんと聞いた。国は米軍の手であっさり陥落したものの、住民はしばらく抵抗した。一部がレジスタンス、あるいはテロリストとなり米軍を襲いもした。

 ベネズエラはイラクや、かつての日本のように占領されたわけではない。仮にそうなった場合、一部が地下に潜り、アメリカを襲いつづけるだろうか。それはないと思う。米国を侮り、憎みはしても、アラブの民のように一部がアメリカ人殺しに走ることはないのではないか。

 相手が大国だから怖じけづいたのではない。そもそもよその国と戦うという考えがないのだ。東隣のガイアナとの間で領土争いがかれこれ100年以上もつづいている。そこに10年ほど前に見つかった有望な油田をめぐり、一時緊張が走ったが、武力での争いは避けよう、という取り決めが早々に結ばれた。相手が大国でなくても、戦い、殺し合いを避ける人々なのだ。

 ベネズエラはスペインから独立し完全に主権を勝ち取る1830年からこの方、対外戦争をしなかった。第1次、第2次大戦にも国として加わっていない。ラテンアメリカは、メキシコをはじめ、20世紀に革命があっても、国民の多数を巻き込むような対外戦争とはほぼ無縁の土地だ。日本の80年どころか、200年近く戦争をしてこなかった世界だ。

 では、大国に蹂躙されても、占領されてもいいのか、となる。それでいいわけはない。大国を心の中で侮りながらも、占領されるうまみを求め、どうにか生き残る道を探るだろう。そして、頭のおかしなトップがいずれ消える日を待つ。戦う、殺す方へと向かわない道を選びながら、したたかに生きていく。

 武力を強め、核をもち、やられない工夫を探るのではなく、決して戦わない道を選ぶ。それを目の前の一つの例とみなせば、「そんな途上国と一緒にするな」とばかにするような話ではないのではないか。  

 

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📕『差別の教室』(23年、集英社新書)

📕『絵はがきにされた少年』(05年、集英社、開高健賞受賞、20年に新版)