自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

ボブ・ディランにはまる理由

2017年1月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 ボブ・ディランノーベル文学賞授賞決定からこの方、彼の魅力は一体なんなのかを考えている。声はアナグマの叫び声のようなギンギンしたしゃがれ声だし、歌もうまいとは言えない。なのに、なぜ一定の人々は彼にはまってしまうのか。私的な経験から考えてみたい。

 私が最初に「ボブ・ディラン」という言葉を聞いたのは、小学5年のときに流行ったガロというグループの曲「学生街の喫茶店」でだった。

 その1972年ごろは、つい数年前にすぎない学生運動の時代を懐かしむ、はかなむ曲がよく流れていたが、「学生街の喫茶店」はその典型であった。「あのころの歌は聞こえない、君の姿も変わったよーお」と、今から思えば「25歳くらいでもう懐古調か?」とちょっと鼻白むのだが、過去の自分を懐かしむくだりで、喫茶店の「片隅で聞いていたボブ・ディラン」と歌われていた。

 私が4歳、65年ごろ、家で母親が弟からもらったジョーン・バエズのライブ盤を耳にタコができるほど聞いていたので、彼女の名は知っていたが、ボブ・ディランという音は知らなかった。その響きから、グループの名だと思い込んでいた。私よりひとまわりか、それよりもさらに上のフーテン風の長髪の若者たちが喫茶店に長っちりし、ちょっと気取って聞いている、ビートルズよりも難しそうなバンドだと思っていた。

 翌年、小学6年の秋、偶然、その声を聞いた。当時、映画にはまっていた私は毎週末、東京の足立区から銀座、築地、飯田橋、果ては高田馬場や新宿、渋谷までひとりで出っ張って、映画を見ていたころで、愛読雑誌の「ロードショー」と「スクリーン」で大きく取り上げられていたサム・ペキンパー監督の「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯」を日比谷映画に見に行った。雰囲気を出すため、映画館のロビーには米国から取り寄せたものか、馬に乗せる真っ白い西部劇時代の鞍が置かれていた。

 ボブ・ディランの名が看板に大きく出ており、劇場の外で大人が「ボブ・ディランが出てるんだ」と話しているのを聞き、「あっ」と思ったのだ。映画が始まるとすぐにテーマ曲が流れ、途中でも、死にゆく男が川辺に座り込む場面で「天国の扉」が挿入されるなど、音楽映画と思えるほど、この男の声が流れ続けた。

 最初の反応は「うわっ、なんだ、この声」という違和感、嫌悪感、「こんな声で歌手なのか。こんな声でプロなのか」というものだった。

 あとでわかったことだが、生ギターとハーモニカで歌われるテーマ曲は、ディランの歌にしてはかなり高いキーから始まる。それをいきなり映画館の大音響で聞かされた訳だから、かなり驚いた。周りの大人たちはみな神妙に画面を見つめているので、私も我慢して聞いていたら、隣に座っていた大学生くらいのカップルの男が、「あ、あれ、ボブ・ディラン」と彼女に伝えた。彼女も「ああ、あれが……」と反応したが、上映中なので話声はそこで収まった。画面の中のディランは西部劇なのにテンガロンハットではなくつばの短い中折れ帽をかぶり、小柄な上、まばらな無精ひげで、強そうでも、かっこよくもなかった。お尋ね者のアウトロー、ビリーに憧れる若者、ナイフの名手ということになっているが、ビリーを追う保安官に脅され、缶詰めのラベルの名前を延々読まされる「弱っちいやつ」として登場していた。そういう役どころなのか恥ずかしそうにしていて、英語ではあったが、どう見ても演技は下手で、素人くさかった。

 「音楽担当だから出してもらったのかな。出たがり屋なんだな」と私はその姿にも反感を抱いた。

 映画は段々と佳境に入り、夕日をバックにビリーが大平原を逃げていくシーンで、最初のテーマ曲をちょっとアレンジした曲「ビリー・ザ・キッド4」という歌が流れた。この時点で映画は1時間を過ぎており、私の当初の嫌悪感はすでに消え、慣れたというより、むしろこの声がアメリカ西部の乾いた夕景にしっくり溶け込むのを感じていた。「眠るときも片目を開けたまま」といった字幕の文字を食い入るように見ながら、私はこのサウンド、声にじわじわとはまっていった。

 映画が終わっても、帰る気にならず、当時は入れ替え制ではなかったので、腹を空かした状態で、もう一度最初から映画を見て、やはりあの歌の場面に耳と目を奪われた。

 日比谷映画から外に出るとすでに夕暮れ間近で、小学6年の私は数寄屋橋の方へと歩いた。西銀座デパートのショーウィンドーにある小さなゴジラや精密な模型を眺めていたころには、最果ての寂しい西部の夕景に流れる奇妙な声が、私の中で残響していた。

 「Billy you are so far away from home」。字幕では「ビリー、故郷からはるか遠く」と書かれていた歌のエンディングが、頭の中で壊れたレコードのように繰り返し鳴っていた。

 もともと小学4年でマカロニ・ウェスタンにはまり、西部のガンマンとして撃たれて死ぬことに憧れていた私は、西銀座の路上でひとり腹ぺこになりながらも、勇ましい気持ちになって、「大人になったら絶対、馬に乗って西部の大平原を逃げる。絶対に逃げるんだ」と誓ったのを覚えている。

 翌週にはレコード屋に行き、A面が「天国の扉」、B面が「ビリー・ザ・キッド4」のシングル盤を500円で買い、家の電蓄でB面をすり切れるほど聞いた。小学校の卒業アルバムの「将来の夢」で私はこう書いた。「故郷から遠く離れ、世界中を旅する」。

  アニメ「ムーミン」のスナフキンの影響だと思っていたが、今、書いていて考えが変わった。あの映画の、いや、あの変な声の影響ではなかったか? 「何でもいいんだぞ」「何でも許されるんだぞ」と言い聞かせているような、あの声の毒に当たったのではないか。(つづくか、いずれ)

 

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