自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

マルガリータを再び

2016年4月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 「あなた、私の何が知りたいの?」

 レモンの木を見ていたら、そんな声が聞こえた。スペイン語で語りかける、やや低音のはっきりとした声だった。

 そのころ暮らしていたメキシコの自宅の台所の外に、コンクリートで固めたベンチがあった。ごつごつとした表面に分厚い白ペンキが塗られ、ところどころ、ねずみ色に変色していた。私はよくそこに座り、目の前の裏庭を眺めながらたばこを吸った。

 その晩も同じように、そこに座り、年に一度、小粒のピンポン玉みたいなレモンがなる木を、なんとなく見ていた。

 「何がって、何でも知りたいですよ。あなたの気持ちを知りたい」

 そう声に出し、答えを待った。だが、それっきり声は聞こえてこなかった。次の日も、その次の日も同じ時間に、そこにたたずんだが、闇の中、レモンの木が静かに立っているだけだった。

 それから半年ほどして、私は日本に帰った。すると、年上の女性編集者が「早く本を書いて下さい」と言ってきた。「はい、そうします」と答えながらも何も書かずに月日が経ち、彼女は再三私に書くよう促してきた。

 本の売れない時代にわざわざ本を書けと言われるのは、贅沢な話だ。その前の年に私はアフリカを舞台にした11編の短編集を出し、ノンフィクション賞をもらった。出版業界ではそれなりに話題になった。

 女性はそのときの編集者で、「受賞第一作を書かないともったいないですよ」というのが、本を急がせる理由だった。「せっかくあんなに話題になり読まれたんだから、すぐに次の作品を書かないと忘れられてしまいますよ」と、ことあるごとに私に言った。  アフリカの短編集は、米同時多発テロが起きた直後、このまま時代が大きくうねり、私が出合ったアフリカの老人の声などすべて砂塵と化してしまう。貧困がテロの温床?、何をわかった風なことを、という思いが渦巻き、一気に書き上げたものだった。評者の指摘で気づいたのだが、怒りがこの短編集を書かせた。

 私は、それで十分だと思っていた。この一冊でもう本など書かなくてもいいと。怒りでなくとも、何か、どうしようもなく書かなければいられないときが来るまで書かなくていいと思っていた。

 「忘れられたっていいですよ。それよりキューバの作家の翻訳をやりたい」

 私がそう答えると、「なに言ってるんですか、翻訳だなんて。書き続けないとダメですよ。私の立場も考えて下さい。もう出版予定が決まってるんですから」とせき立てられ、その出版社が持っているビルに閉じ込められた。

 「缶詰め」という言葉は知っていたが、本当にあるんだと驚いた。そこは新しいビルの会議室で、楕円形のテーブルに椅子が6脚ほど。新築のせいか、椅子の化学繊維や、それを包んでいたはずのビニールの臭いが鼻につく、人間味も何もない部屋だった。

 廊下に灰皿が置いてあり、そこでたばこを吸うと、やせ細ったフランス人形のような女の子がやはりたばこをひっきりなしに吸っていた。表情が硬く、化粧の濃いその少女は作家の金原ひとみさんだった。この人も次の作品のためにそこに閉じ込められているとのことだった。何となく、精神病棟という言葉が浮かんだ。

 何を書いたものか。あれこれ考えているとき、あの言葉がよみがえってきた。「私の何が知りたいの?」

 それはマルガリータ・チーカという女性の声だった。マルガリータは、コロンビアのノーベル賞作家、ガルシア=マルケスの遠縁のいとこで、作品「予告された殺人の記録」のモデルだった。密林の入植地にやってきたよそ者に見初められ結婚したが、初夜の晩に処女でなかったことがわかり、実家に突き返された女性だ。花嫁が処女でなかったら、その家の男たちは、名誉のため、彼女の最初の男を殺さなければならない。そんな因習から、彼女の兄二人が白昼、町の広場で衆人環視の下、一人の男を刺し殺す。だが、マルガリータは一度も口を割らず、殺された若者が本当に最初の男だったかは藪の中。真相がわからないまま、皆死に絶え、彼女も一人年老いていく。

 この作品を20代のころに読んだ私は、寓話めいた物語だと思っていた。だが、コロンビアを何度も訪ねるうちに、事実をほぼ忠実にたどったものだと知り、関係者に取材を始めた。そんな矢先に、マルガリータは死んだ。一度も会えなかった。

 「何が知りたいの?」

 彼女に向けた手紙という文体で、私はねずみ色の無機質な部屋で密林を思い、原稿を一気に書き上げた。1カ月もかからなかった。

 「ガルシア=マルケスに葬られた女」という題の本はそれなりに話題になったが批判もあった。「フィクションかノンフィクションかわからない」「マルガリータへの思い入れ、視線が気味悪い」といった印象だ。自分でも、あの文体は失敗だったのではないかと思ったりもしている。

 その後も、私は促されるまま、2年に1冊の割で本を出してきたが、時折この本が特に好きだという人に会う。自分より年配の女性に多い。年配の女性が皆好むわけではない。ひどい拒絶反応を示される場合もある。

 ある読者から最近、「あのような物をまた書いてほしい」という伝言があった。同じ題材を使いながらも、時空や虚実という境い目からもっと自由になって、好きなようにもう一度書いてみたい。最近、そんな気になり始めている。

 

●近著

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