自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

利き腕で書かない作家

2016年2月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 先日、作家、村松友視さん(75)に会うことになり、作品をまとめて読んだ。40歳のデビューから35年あまりで180冊も書いた人だが、「小説は苦手なタイプだなって思い始めているんです」と当人はさらっと言った。

 「エッセーに小説めいた感じを出すのが僕の特徴だと気づいているんです。自分の意識の流れや、見てきた人をどう文章でつなぐかを考えるのが好きみたいです。でも、物語で読者を引き込む小説の場合、他にすごい人がいますからねえ。小説という形にまとめるのが自分は苦手なんです」

 飲み屋で出されたぐい飲みに引きこまれ、陶芸家を調べるうち、盗作事件や自分の一族との因縁に突き当たる「永仁の壺」という小説がある。スリリングに展開し、一気に読み切ったと言うと、うれしそうな顔をしたが、こう応じた。

 「あれは小説ですけど、事件がベースだから、むしろ小説の方法を利用したというのかな。僕の思っている小説じゃない。日常を書いても古井由吉のような小説にはならない。虚構を作る自分の能力を疑い始めているんです。評伝は好きですけどね」

 歌手、水原宏の評伝「黒い花びら」は確かに良かった。でも、どこか、作者自身の抑制、ジャーナリストとまでは言わないが、自分の感情や感覚、妄想や思い入れを抑えた点に食い足りない感じがあった。村松作品全般に私が抱く「やや薄味」の印象が、そこにもあった。

 書き手の心の底に、寂しい風が常に吹いている。そんな諦観を感じるのだ。直木賞を受けた「時代屋の女房」は古道具屋を営む男の話だ。野良猫のように居ついた若い女への恋心は受け身で、外にそれを表せない抑えたものだ。空気のような静かさであたりをうかがうような視線は、時代を活写するにはいいが、時代を越えて残るものにはなりづらい。そんな印象を私は抱いた。つまり、作品すべてに特殊な生い立ちが生み出した彼自身が投影されているのではないか。

 そんな話を和らかく伝えると、村松さんは、少しはにかんだような顔をした。

 「あるでしょうね。ねじが外れたまま育っているんで」

 「例えば」と言い、私は「赤目四十八瀧心中未遂」などで知られる車谷長吉の名を挙げた。自分のおぞましさをのろい、滑稽さを笑いながらも、どこまでも執念深く自分にこだわる自己愛。それが、村松さんには薄いように思える。そうと話すと、不快どころか、心地よさそうな表情で即答した。

 「そうそう、車谷みたいになると小説になるんでしょうね……。(自分は)利き腕じゃない方を使って作業しているような、そういう過ごし方になっているんですね」

 村松さんの祖父は「残菊物語」などを書いた作家、村松梢風で、父はその長男だ。新聞記者をしていた父は、物書きとして身を立てようと、梢風の勧めで上海に渡るが、感染症で死んでしまう。梢風は、身重の嫁を日本に連れ帰り、村松さんを産ますと、すぐに籍から外した。過去を忘れ、再婚した方がいいというすすめだ。村松さんは梢風の、年の離れた4男として静岡県で本妻に育てられた。

 梢風は養父の立場だが、鎌倉の愛人宅に暮らしたため、本妻の元に時々くる程度だった。村松さんは中学生の時、出生の秘密を、どういうわけか「鎌倉のおばさん」、梢風の愛人に知らされた。あえて感情を抑え込む癖がついていた村松さんは、「ああ、そうなんだ」という反応しかできなかった。

 「お袋、親父も死んでいるという嘘の下(もと)に育っているわけで、そこを問いただしたことのない子供なんです。あれを祖母(ばあ)さんに打ち明けられてたら、もうちょっと衝撃があったんじゃないかって思いますね」

 祖父、梢風は多情な男で、本妻、愛人のほか多くの女性と関わり、亡くなる前、友人の作家にこうこぼした。

 「僕は本妻のおそのも不幸にしたし、現在の(愛人)キヌエだって不幸にしている。要するに僕の接した女は一人残らず不幸にしているのだ(略)男と女が結ばれれば、待っているのは不幸ばかりなのではないかね。一生に一人も女を幸福にしたことがないということは、悲しいことだよ」「(小説より)女の方が何十倍も好きだった。金も精力もあらんかぎり女に叩き込んできたからね、僕はもし悟れれば女で悟れるかも知れないと一縷の望みを賭けてきたが悟れそうもない」

 そんな梢風に比べ、村松さんは随分と抑制型だ。なぜなのか。

 「でも、祖父さんは、女で悟ろうというより、本能的に女に近づいたと思いますね。幸せにしてやりたい、ってのはどうかな。つきあった女とは絶対に切れないんです。妻でも前の愛人でも様子をこまめに見にくる。それが自然体だったという気がしますね。僕に隔世遺伝はなかった。僕の親父をはじめ兄弟もみな普通の真面目なタイプ。僕はそういう機会があっても、本能的に情を交わす風にはなりきれない」

 自分の生い立ちについて、どこか諦観しあいまいに見てきたのも影響しているのではないか。「そこが、かしっとしていれば、情の方にいくんでしょうけど……。祖父さんはそこがふすっと割り切れる人だったんでしょう。僕はそうならないんですね」

 それが、女性との関係のみならず、村松さんの文体にも大きく影響している。私はそう思った。  

 

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