2015年6月号掲載
ベトナム戦争でまず浮かぶのは「モノクロ写真」だ。割と硬め、白黒の陰影がはっきりしていながら、人が瞬発するときの疾走感を感じさせる写真。
裸の痩せた少女が、両手を広げ、絶叫しながら舗装道路を逃げてくる。脇には姉や弟だろうか、やはり必死な顔でカメラに向かって走ってくる。
川か、沼だろうか。水の中を母親が子供たちと泳ぎながら必死に逃げていく。
いずれも四角い画面にきちっと収まった「絵」、戦場の一瞬だ。
先の「少女の叫び」は「戦争の恐怖」と題された写真で、AP通信のカメラマン、フィン・コン・ウト(64)が撮ったものだ。1973年のピューリッツァー賞を受賞している。次の一枚は、カンボジアで撃たれ早世したUPI通信のカメラマン、沢田教一(1936~70年)の「安全への逃避」で、やはり66年に同じ賞を受けている。いずれの写真も、庶民を描いている点で、同じ路線と言えるが、大事なのは、そのインパクトだ。
ちょっと卑近な感覚だが、写真の衝撃は、歌謡曲に似ている。1960年代から70年代にかけ、暑苦しい商店街や、町工場の窓から漏れ出る流行歌。たとえばいしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」や水原弘の「君こそわが命」、ちあきなおみの「喝采」といったムード歌謡である。
ベトナム戦争の時代と重なるせいか、私の中では同じ記憶の箱に収まっている。わざわざレコードを買うほど好きではないのに、耳にしているうちにすっかり記憶にはりついている。イントロが聞こえると、つい「まちのあかりが、とてもきれいね、ヨコハマ、ブルーライト、ヨコー、ハマー」と心で口にする感じ。
ベトナム戦争のモノクロ写真もそんな感じで小学生から中学生くらいだった私の中にはりつき、40年が過ぎても変らず残っている。
うわっ、ひどいな、悲惨だな、こんなこと続けてちゃいけない、やっぱ平和がいい、早くやめないかな……。
普段は自分の目の前の人間関係で精一杯で、ベトナムがどうなろうが、アメリカがひどかろうが、オイラに関係ねえ!、なのだが、その写真を街角のポスターやチラシ、ちゃぶ台に置かれた新聞でちらっと見てしまうと、「うわっ」と一瞬でこびりつく。そして、次に同じ写真、似たような写真をたまたま目にすると、最初の「うわっ」がよみがえる。
イントロを聞いて、「またあの曲かよ」と思いながらも、「歩いてっもー、歩いてっもー」とサビを頭で高らかに歌ってしまう、あの感じに近い。
と、そんなことを考えながら、先日、新宿で写真家の石川文洋さんに会った。ベトナムで活躍した数少ない生き残りの一人だ。空爆で破裂したベトナム人の遺体を嬉しそうに引き揚げる米兵の写真など、最前線の模様が有名だが、家族を失くし呆然とした少女のアップなど、やはり庶民を撮ったものが印象深い。
彼にベトナム戦争のあと、アフリカやコソボ、イラク、アフガニスタンの写真で記憶に残っている作品を挙げてもらうと、意外にも私と同じ反応だった。
「えーと、ちょっと待ってね、どんなのがあったか、えーっとねえ」
「石川さんの写真ではなくて、一般の」
「ええ、わかってます、ええとねえ、今考えてるんだけど……」
「たとえばピュリッツアー賞の」
「ああ、ピュリッツアーで言えば、『少女とハゲワシ』ですね」
内戦下のスーダンで、ハゲワシの前で少女が突っ伏し、うずくまっている、南アフリカの写真家、ケビン・カーターが掴みとった一瞬だ。
「なぜ少女を助けずシャッターを押したのか」と批判を浴びたことに石川さんは触れ、こう語った。
「全く批判の対象じゃないですね。ハゲワシは少女を見てるだけですから。それでどうして非難されるのか。私も南ベトナムで拷問の写真をたくさん撮って、批判がすごくありましたよ。じゃあ、そこで拷問を止め、今度は反対側に行って、また拷問をやめさせろっていうんですか。戦争を、現場を知らない人の批判ですよ」
ということで、石川さんは結局、ベトナム以降の戦場写真を、それ以上挙げられなかった。実際、出てこないのだ。
では、なぜベトナム戦争の写真はあれほど強い印象を残すのか。
理由はいくつも考えられるが、一つはカメラマンの精神的余裕、長期間にわたって没入できる環境にあるという。
「当時、サイゴンは遠い世界だったから、みな長い間そこにいて、いろんなジャーナリストとつきあう世界があったんです。戦場からサイゴンに帰れば食べ物はおいしいし、綺麗な女性はたくさんいるし、うまい酒もあり、何でも整っていた。ボスニアでは戦争はしてるけど、ホテルに帰っても、窓は冬でも破れたままだし、食堂は定食だけで、外に行ってもバーはない。要するに一息つけるところがなかったんです」
戦場に入り込むには、オンとオフ、一息できる解放区のようなところが必要なのだ、と言う。
「ベトナムにはまる4年いたけど、そういう場所があったのが大きいですね。スペイン戦争(1936~39年)でも、マドリッドはそういう世界で、ヘミングウェイをはじめ、みなそこで酒飲んだりしてたらしいしね」
カメラマンも人間だ。対象に没入するには、息を抜けるベースキャンプが必要なのだ。だからこそ、優れた絵が撮れた、というのは実に職業人らしい答えだ。
●近著
『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)