自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

2023-01-01から1年間の記事一覧

原子力から浮かび上がる日本人

2015年4月号掲載 毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生 「原子力を知るってことはね、日本の文明を知るってことだよ」。中村政雄さんにそう言われたとき、一瞬、えっ? と思ったが、多分そうなんだろうと妙に納得したのを覚えている。 それは一昨年…

1948年の空気

2015年3月号掲載 毎日新聞地方部編集委員/藤原章生(当時) 1948年、昭和23年の東京はどんな風だったのか。時代の「空気」、もしそんなものがあるなら、それを知りたい。昨年暮れから、あれこれ探ってきたが、難しい。それは私が生まれる1961年の13年も前の…

秋田での出会い(その2)

2015年2月号掲載 毎日新聞地方部編集委員/藤原章生(当時) 2014年11月末、選挙取材の応援で秋田市にいたとき、県立美術館の展覧会「てさぐる」で鎌田順子さんと知り合い、館内のカフェで話を聞いた。視覚障害者が展示品を触りながら、健常者を案内する趣向…

秋田での出会い(その1)

2015年1月号掲載 毎日新聞地方部編集委員/藤原章生(当時) その午後、私は疲れていた。秋田県に来て、まる1週間あちこち回り、働き詰めだったからだろう。いや、緊張が抜けたのかもしれない。新しい土地に来たときは興奮している。正確に言えば、自分を発…

つきものが落ちたような感覚

2014年12月号掲載 毎日新聞地方部編集委員/藤原章生(当時) ここ2週間余り、風邪で臥せっていた。のどの痛みから始まり、37度台の熱にせき、たんがともなう、典型的な風邪だが、ずいぶんと長い。風邪薬や抗生物質をのんでも完治しない。単に抵抗力が落ち…

県民の声、記者次第

2014年11月号掲載 毎日新聞地方部編集委員/藤原章生(当時) 先日、報道関係者の集まりに呼ばれた。福島を報じている者同士、自由に意見を交わすのが目的だという。会場に遅れていくと、何人かがすでに発表を終え、10数人が意見を交わしていた。流れが読め…

新聞原稿は夜明け前の快感

2014年10月号掲載 毎日新聞地方部編集委員/藤原章生(当時) 原稿書きでよく思い出すのが、次のようなパターンだ。脳の物質が何か動いているのだろうか。必ず心地よさ、快感が伴うため、肉感のような生々しい感触とともに思い出される。 ラテンアメリカにい…

赤瀬川さんの文体(その4)

2014年9月号掲載 毎日新聞地方部編集委員/藤原章生(当時) 赤瀬川原平さんは、あえて饒舌にというより、自分の思考の流れを淡々とそのまま書いている。つまり、「昭和軽薄体」という80年代に広がった文体とは一線を画している、と私は思う。 大事なのは赤…

赤瀬川さんの文体(その3)

2014年8月号掲載 毎日新聞地方部編集委員/藤原章生(当時) 赤瀬川原平さんがプロとして物を書き始めたのは1975年のこと。1937年生まれなので、38歳だ。その5年後、80年に発表し、翌年に芥川賞を受けた「父が消えた」に登場する25歳の編集者のモデル、作家…

赤瀬川さんの文体(その2)

2014年7月号掲載 毎日新聞地方部編集委員/藤原章生(当時) 才能だろう。赤瀬川さんは物を書き始めて5年で、小説に取り組みわずか2年で芥川賞を受けた。尾辻克彦名で出した「父が消えた」という作品だ。 克彦は本名で、尾辻は父方の本家の名字だそうだ。…

赤瀬川さんの文体(その1)

2014年6月号掲載 毎日新聞地方部編集委員/藤原章生(当時) 作家の赤瀬川原平さん(77)の文体がここ数年ちょっと変わった。彼の持ち味は、誰もが見過ごしているような当たり前のことをとらえるときの独特な感性、日常の言葉一つとっても普通の人が気づかな…

ある悪意のスケッチ

2014年5月号掲載 毎日新聞地方部編集委員/藤原章生(当時) 先日、ちょっと嫌な事があった。トラブルというほどではないが、後味が悪かった。腹が立つ半面、物を書く仕事をしていると、こういう事はちょっと嬉しい。人間を考えるための、生(なま)の、珍し…

陣地を離れる悲しい春

2014年4月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) この連載を始めたのは、新聞社でローマ特派員をしていた2009年6月。今から5年前のことだ。その後、2012年春に東京に戻り、ローマに行く前に書いていた夕刊特集ワイド面や、「イマジン」というタイ…

「脳内風化」について

2014年3月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) 私が暮らす福島県郡山市の人々は、原発の話をほとんどしない。こちらが聞けば、「困ったもんだね」「汚染水、どうなるのかね」といった返事をするし、役所関係や、商工会議所、青年会議所などの集ま…

変わる気持ち、追いかける言葉

2014年2月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) 昨年10月、若い同僚に「藤原さん、ツイッター始めたらどうですか」と言われた。自分の記事が時折そこで話題になったり、批判されているのは知ってはいたが、目の毒、煩わしいと思って長く食わず嫌い…

福島弁になじむ

2014年1月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) 福島県の郡山市に暮らし始めて8カ月が過ぎた。自分の中のもう一人がいつも耳元でこうささやく。「まだ大した仕事、してないな」「早く特ダネ書けよ」と。新聞記者なら誰もが抱く、いくら書いても収…

戦場報道のマッチョとうつ(その4)

2013年12月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) 「あんまり、こうマッチョにしないでねっていうか、こう、わかるだろ? マッチョっぽくされちゃうと、どうもさあ・・・」 アフリカを舞台にした2005年の私の本、『絵はがきにされた少年』(集英社…

戦場報道のマッチョとうつ(その3)

2013年11月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) 1995年、南アフリカに暮らし始めて早々、当時はまだザイール(キコンゴ語で川の意)という名前だったコンゴに出張した。空港に着いた途端、税関職員のゆすりに遭い、首都キンシャサには飢えが広が…

戦場報道のマッチョとうつ(その2)

2013年10月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) 1989年、新聞社に転職した私には戦場に行きたいという願望が少なからずあったが、それはやはりマッチョ的な動機に基づいたものだった。そして、偶然、幸運が重なり、95年から2001年まで、新聞社の…

戦場報道のマッチョとうつ(その1)

2013年9月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) 先日、高速道路のサービスエリアで何気なくCDの棚を眺めていたら、「思い出のフォークロック」という背表紙が目についた。曲目をざっと見ると、「或る日突然」などトワ・エ・モアの歌が3曲も入っ…

道の奥にいた男

2013年8月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) 最近、都路(みやこじ)という村によく行く。郡山から車で1時間半の小さな村だ。漢字の「都(みやこ)」に道路の「路(ろ)」と書く。福島県の浜通りから内陸に入った山あいにある。東京電力の福島…

書くことと救うこと

2013年7月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) 行くたびに緊張する。いや緊張とも少し違う。無力感でもない。自分の存在意義の揺らぎといった感じか。 なぜ自分はここにいるのか。何のために。本当にここに来る意味があるのか。仮にあったとして…

望遠レンズと広角レンズ

2013年6月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) アフリカにいたころ、こんなことを思った。 貧しい人たちを見るとき、例えば、ナイジェリアの貧民街を高台から遠望すると、そこにうごめく人びとの暮らしがあまりにひどく思え、近づくのが恐くなる…

故郷(その3)

2013年5月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) 小学校6年の秋だった。今はもうない、ねずみ色の立派な洋館、日比谷映画で『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』(1973年)を見た。当時、親に放任され、ませた子どもだった私は、クラス中から長期に…

故郷(その2)

2013年4月号掲載 毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時) 一期一会。NHKの元カイロ支局長でいまはニュース解説委員長をしている柳澤秀夫さんに会った時のことだ。2005年、私はアフリカを舞台にした本でノンフィクション賞を受け、それをラジオ番組で紹介…

故郷(その1)

2013年3月号掲載 毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時) 長く故郷を考えたことがなかった。 こんな話がある。ギリシャの映画監督、テオ・アンゲロプロスのいくつかの作品に「いくつ国境を越えれば故郷にたどりつけるのか」という言葉が語られる。単に「…

梅原猛と憑依

2013年2月号掲載 毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時) 猛スピードで原稿が書ければどんなに楽だろう。ペンの時代なら、さらさらっとだが、今なら自然に指が動き、カタカタとキーボードのはじける音が小気味よく続く。 だが、難しい。記者になってそろ…

佐藤愛子さんと会う(その3)

2013年1月号掲載 毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時) インタビュー記事が『毎日新聞』に載ってしばらくして、佐藤愛子さんからはがきが届いた。今度、またゆっくりとおしゃべりに来て下さいと書かれていた。 佐藤さんは89歳なのにとても若々しく、よ…

佐藤愛子さんと会う(その2)

2012年12月号掲載 毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時) 作家の佐藤愛子さんは、数年前までテレビで引っ張りだこだった霊能者、江原啓之(えはらひろゆき)さんについて「霊視ができなくなったんだと思う」と語った。江原さんとかれこれ20年のつき合い…

佐藤愛子さんと会う(その1)

2012年11月号掲載 毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時) ここ最近、どういうわけかスピリチュアル好いている。そういう人達が取材対象になることが多い。私はこの春から毎日新聞の特集ワイド面に記事を書いているが、テーマやインタビュー相手を自分で…