自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

ひとりで消えたかった父

2016年9月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 私の父は死ぬ直前、子どもたちはおろか妻、つまり私の母もそばに寄せつけず、一人でひがな、花瓶の百合の花を見ていた。12年前のことだ。当時、私はメキシコに暮らし、死に目に会えなかったので、兄や妹にその様子を聞いた。

 死ぬ3カ月前の夏、妹一家と沖縄旅行に行こうとしていた父は、珍しく微熱が続いたので近所の医院に行った。普段は高血圧気味なのに血圧がずいぶん低いのを異常と感じた医師に病院で検査を受けるよう勧められた。その足で自転車をこぎ病院に行くとすぐに大きな胃がんが見つかった。末期のがんが胃の下部を突き破り、出血したため血圧が下がったと言われた。父はそのまま入院し、切除手術を受けるため大学病院に転院したため、自転車はしばらく放置されたままだった。

 胃を全て切除したが、すでに腸にも転移していた。死ぬ1カ月前、父は「家で死にたい」と言い出した。重病患者ばかりの病室より、家族に見守れ最後を過ごしたいという観念的な思いからだろう。だが結局、最後は痛みに耐え切れず再入院し、3日後に息を引き取った。

 自宅では部屋に一人でいることが多く、母親があれこれ話しかけたり、面倒を見るのをうっとうしがった。

 まだ元気だったころに書いた日記には母親に対する苛立ちが散見される。台所のある二階から母がスリッパをバタバタ言わせて降りてくることや、電話でか細い気取った声を出すのを嫌悪した。

 また、私の兄が見舞いにくると、一瞬、何しに来たのかという鋭い視線を向けることがあった。自分が弱っているとき、健康体の若い男を目にして防御反応が働いたのではないか、というのが母や兄の解釈だが、真意はわからない。

 妹が朝な夕なに訪ね、「大丈夫?  きょうは調子はどう?」と子どもに言う声色で声をかけていたが、あるとき父は「そうそう来なくていい」と決然と言い放ち、目をつぶった。妹は傷つき泣いたというが、葬儀の場では、「よっぽど苦しかったんだね」とこれまた勝手な解釈で自分を慰めた。

 彼らは父に最後の最後で疎まれたのだ。家族と共にという思いで帰宅した父と、最後まで見守りたいという家族。「ありがとう」「いい人生だった」「お母さんをよろしく」。そんな昭和のドラマは成立しなかった。

 私にはどこか得心のいくところがある。ややデフォルメして書けば、こんな心境ではなかったのか。

 ええい、うっとうしい。近寄るな。俺は一人で死ぬ。なんで最後の最後までお前たちに気をつかわなくちゃならない。もう十分、父親の役割を果たしたろう。最後は一人の人間に戻って消えたいんだ。

 父はやや複雑な育ち方をした。3歳で実父を結核で亡くし、再婚した母親とともに養父の世話になったが、父の実家が名字を残したいからと小学生のころの父を独り身の伯母の養子にした。実母から遠く離れ、厳格だった伯母の下で少年期、青年期を送った。身近に父親的な人間がいたことはなかった。

 旧制中学時代、家に上がる前、たらいで裸になって体を洗わされた、と何度か振り返っていた。異常なほど潔癖だった伯母の指示だったが、私には異様な関係に思える。父は終戦直後、16歳の夏に発狂し措置入院させられることがあったが、その一因が伯母だったのは確かだ。

 父親になってからは無邪気なほど幼子をかわいがった。時に異常なほど激昂することがあったが、表裏のない人柄が周囲に愛される笑顔のいい男ではあった。

 子供と同じレベルで趣味を楽しむことはあっても、子供を導くという態度はなかった。「少年老いやすく、学なりがたしって言うけどねえ」「光陰矢のごとし、とはよく言ったもんだなあ」と何かとことわざを口にするまではいいが、説教はしない。そういう話をしなくてはならないときは、母親に言われたままのセリフを棒読みする口ぶりだった。「○○しないとだめだって、おかあさんも言ってるから、やらないとだめだろう」。

 むしろ、経験から得た知恵の方が私には響いた。例えば、満員電車が嫌で自転車通学を始め、へばっていた私に「なんでも最初は疲れるよ。でも一週間やったら慣れる」という声かけや、「新入社員がひげなんか生やして目立つことはない。社会はそういうもんだ」とややむきになって説いたことなど。

 自分が知らなかった父親というものを、自分は少なくとも全うした、ということで、それなりに満たされていたのか。私はよくそんなことを思う。不満や諦めではない。無難ではあったが、あのままの人生で、それで満足だったのかい? 外見は若いまま、あっけなく死んだ父にそう聞いてみたいのは、私自身が父親役をどこか無理して演じてきたことを自覚しているからだろう。人生は長くないとわかり始めた年齢になったせいでもある。

 母や兄、妹を寄せ付けなかった父に、私は違和感を抱かない。夫や父親役に満たされない男はいくらでもいるし、父はその類のはずだ。自覚はしていなかったかもしれないが。死の間際、長年の役柄を脱ぎ捨て、ようやく彼自身が現れた。私はそうとらえている。

 孤独死や独居老人を問題にする人が少なくないが、一人で死ぬのは何一つ哀しいことではない。

 

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