自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

テロと異常気象

2016年1月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 来年2016年は申年。先日、新聞社の編集部から「サルと日本人」というテーマで何か書けと注文があった。すぐに図書館に行き、サルの本をあれこれ読んだ。「エテ公の語源は、関西方面の古い言葉で男性器」など、世界各地でサルが好色の代名詞にされてきた歴史など、豆知識が面白いと思ったのだが、翌朝目覚めた時、「サルの話などやめよう。申年とは何かを書こう」と突如思い立った。

 その朝から干支(えと)の勉強を始めると、来年は申年でもちょうど丙申(ひのえさる)に当たることがわかった。

 丙(ひのえ)の文字から浮かぶのは、丙午(ひのえうま)だ。1966年生まれの私の妹も、またその60年前の祖母もこの丙午に生まれた。江戸の火事を引き起こした「八百屋お七」が丙午だったことなどから、「男を食い殺す女が生まれる」と、とんでもない迷信が長く広がっていた。現に66年生まれの人口はその前後よりはるかに少ない。

 迷信にすぎなくても、テーマとして干支にこだわる以上、やはり占い、運勢は欠かせない。そう思い、大阪府易道事業協同組合理事長、梅川泰輝(たいき)さん(51)に話を聞くことにした。陰陽道四柱推命に詳しい人に相談してみたら、「研究書や取り組みがいたって真面目で、業界でも一目置かれている先生」という評判だったからだ。 連絡すると、梅川さんは快く応じ、すぐにメールで回答を寄せてくれた。

 「干支(えと)で大事なのは申など十二支だけではありません。天干が非常に作用しているのではないかと思われます。来年度の申年は丙火(ひのえび)が申の上にのってきます。陰陽五行では年運の申では無く、丙火の働きを大事にしています」

 なんのことだかよくわからないが、調べてみると、「天干」とは、甲乙丙丁にはじまる十種の文字、十干(じっかん)のこと。紀元前の中国で日にちを決める際、10日ごとに区切ったため、日付を呼ぶ際に「甲の日」「乙の日」とこの十干が使われた。10日で一巡りするパターンは、いまの上旬、中旬、下旬の「旬」につながっている。

 梅川さんは干支で来年を占う場合、後世にくっついてきた申年の申の方より、元からある「丙(ひのえ)」の方が大事だと言っているのだ。

 で、来年はどうなのか。

 「激しい太陽の熱さで、地上全体の火山活動が活発になり、富士山や桜島など、 この丙火の力で噴火の可能性も否めません。小さな休火山にも注意が必要です」

 もともと丙とは、「かまどの火がもえたぎるさま」を表す象形文字から来ており、「丙火」はそれを指している。

 「しかし申の五行は金(きん)ですから、火の温度をゆるめてくれます。故に大噴火ではなく、中規模か或いは、小噴火程度が度々起こると思います」

 ここで言う「五行の金」とは、すべての物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという、古代中国の自然哲学、五行説の話だ。それによれば、申は金に対応し、この金がその年の運気に関係してくる。

 暦は一応は星座、星のめぐりに関係していることなので、噴火やマグマの活動を占ったとしても、さほど違和感はない。それでも、本当に根拠があるなら、気象庁も予知のために使うだろうから、それほどでもないのだろう。

 梅川さんは、次にこんなことも書いていた。

 「申年の金、つまり金星は非常に革命的な星で、刃物を使った凶悪な犯罪が起こるととらえています」

 金は地中の金属だけでなく、惑星の金星のことも指しているようだ。

 「申に当たる金は、やはり武器を意味します。銃を使う、あるいは鉛の玉。その武器が出てきて、テロが活発に動き始める事が予想されます」

 「やはり」と言われても。ここは首を傾げざるを得ず、新聞記事にする際、この部分は省いた。その原稿を見せたところ、梅川さんはなおもこう言ってきた。

 「加筆が可能であれば、テロの問題も加えて頂きたく存じます。テロは予想できます」

 それには応じられず、「テロの件、紙面の量的な都合上、入りづらく、今回は残念ながら割愛せざるを得ませんでした」と応じると、こんな返事だった。

 「テロの件、藤原様も憂慮されていましたか。感銘いたします。言論でどうか世の中を正しい方向に導いて頂ければ、これ程の嬉しい事は有りません」

 梅川さんは、テロ勃発を確信しているが、しばらくして、私は「あれ?」と思った。 火山の噴火とテロの頻発を梅川さんが同列に語るのはまだしも、私までが、ある程度、同調してしまっている。

 運勢を考える際、金運や健康運、恋愛運などはわかる。さらに天変地異もなんとなく受け入れられる。だが、テロは違うのではないか?。

 だが、それを同じジャンルとしていつのまにか受け入れている自分がいる。そのことに私は自分で首をひねらざるを得なかった。

 2001年の米同時多発テロ後、世界各地に広がり、今年はパリで大きなテロがあった。

 パリのテロが、14年前のニューヨークのそれよりはるかに衝撃が少なかったのは、その破壊力、被害の違いだけではない。すでに私自身がテロに慣れてしまった面もかなり大きい気がする。

 猛暑や洪水、相次ぐ台風が毎年のようにやってくる。最初は合言葉のように「異常気象だね」と言い合った。しかし、毎年言っていると、「異常」という言葉に重みや珍しさがなくなってくる。

 それと同じようにテロは日常化した。テロと気象とは全く違うものだが、それを並べることに強い違和感を抱かなくなった。気象予報ならぬテロ予報が日々の習わしになる、そんな時代になった気がする。  

 

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