自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

陣地を離れる悲しい春

2014年4月号掲載

毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時)

 

 この連載を始めたのは、新聞社でローマ特派員をしていた2009年6月。今から5年前のことだ。その後、2012年春に東京に戻り、ローマに行く前に書いていた夕刊特集ワイド面や、「イマジン」というタイトルの近未来を読む年間企画を第2部まで書いていたころ、「福島に行ってくれ」と告げられ、昨年、2013年春に福島県郡山市に来た。そして、今度は再び、東京に戻ることになってしまった。

 毎月、思ったことを自由に書かせてもらい、「点字ジャーナル」の編集の方々にはとても感謝している。今回も今思っている私的なことを書きたいと思う。

 最初に今回の転勤を聞いたときは、正直驚いた。節分をすぎたころのことだ。

 たった1年で? なぜ? という疑問をぶつけたが、上司から要領を得る答を得られなかった。郡山にどうしても来たいという人がいたり、地方の人員が減り、人の配置を考える中で、私を動かせば、パズルがうまく解けるという話だった。「玉突き」というやつだ。私はビリヤードの玉。誰かが白い玉を突き、幾つもの玉が壁にあたり跳ね返り、ぶつかり合う中、最後に隅っこにいた私にコツンと当たったという話で、それ以上、深い意味はない。

 過去10カ月、私は自分でも意外に思うほど、郡山に知り合いができた。仮設住宅に暮らす、富岡町出身の面倒見のいい人や役所の課長、元テレビ局の政治記者や地方政治に首を突っ込むのが好きな広告代理店の社長。ほどなく読者から「ぜひ会いたい」と連絡が入り、地元で料理研究所を開く年配の男性や、広告会社を営むご夫妻、商工会議所の元会頭に老舗温泉旅館の女将。そして、こちらに来てぶり返した山登りの仲間たち。

 私はスロー・スターターだ。新しい土地での人とのつき合い方、時間のかけ方が普通の記者に比べゆっくりしている。海外で特派員をしても、まずは暮らしている土地の人とじっくりつき合う。その土地にとにかくひたることから始める。原書を読める程度になるまで、その土地の言語をつかもうとする。取材対象ではなくても、そこの人間、ひいては社会をを知るため、しっかり時間をかけて理解しようとする。

 初めての国や土地で取材活動をする場合も、一番時間をかけるのは助手や通訳、自分を助けてくれる人を、誰の紹介でもなく自分自身の好き嫌い、直感で探す。そしてその人ととにかくゆっくりとつき合い、その人の頭の中がどんなふうになっているかをまずはつかもうとする。それを踏まえた上で、その人の脳みそを使って、その土地に入り込む。だから、まともな原稿を書けるようになるまでかなりの時間がかかる。

 郡山でも同じように知人を増やし、その土地を知ろうとした。ちょこっとのぞいて、ちゃちゃっと原稿にするようなことはしたくはなかった。

 「過去10カ月植えつけてきた種がいま芽を吹こうとしているのです。これから花となり、独自の記事やコラムを県民、全国の読者のために量産できる段にさしかかっているのです」

 そんなふうな文面で会社に郡山残留を求めたが、かなわなかった。残るには会社を辞めるしかないと思った。でも、私は25年休みなく、つまり編集者や管理職になることなく、書くことだけに専念してきた。「お前の書く紙面はもうどこにもないぞ」と自覚するまで、新聞記者をやめるつもりはない。

 毎週書いている福島版のコラム「メモ帳の片隅」で、地元の読者に向け、こう書いた。

 <ここしばらく、気が沈んでいる。仕事や毎日の食事は普通にこなしても、気持ちの底の部分がどんよりしている。今月末で、郡山市を去らなくてはならなくなったからだ。転勤である。もはや何を言ってもせんないこと。どんな力、意思がどう働いたかは知らないが、たった1年で福島を追い出され、東京に舞い戻ることになった。

 新聞記者は新聞に原稿を書く。その新聞は会社が発行する。ゆえに記者は会社員、という定めを異動の度に知らされる。アフリカを去るときも、メキシコ、イタリアのときもそうだった。

 断ればいいではないか。もちろん断った。すると「社命」という言葉が返ってきた。そう言う人も転勤を言い渡す「社命」を負っている。社命とは何か。調べてみると、社長命令というわけではない。「日本権力構造の謎」でウォルフレン氏が詳述した日本社会のように、権力や責任が分散された、会社という人間集団の命令のようだ。

 南岸低気圧がもたらした2月の大雪で、私が暮らす支局を兼ねた自宅は雪で一杯になったが、今は除染でかぶせた砂地が所々見えている。間もなく春。名も知らぬ小さな虫がせわしなく裏庭を行き来し、自分の陣地、ホームを作ろうと余念がない。その虫をひょいとつまむと、虫は必死に自分のホームにへばり着くが、いくらもがいてもどうしようもない。放り投げられた虫は、新たな着地点で再びホームを築くしかない。あとは虫を辞めるかだ。

 数えたら、郡山は私が暮らした20番目の町だった。故郷のない私は昨年末ごろ、ここにずっと暮らしたいと思った。きっと自分のホームになると。たくさんの便りをいただいたので、この欄の読者に申し訳ない気分の、悲しい春>

 次にこの原稿を書くとき、私は東京にいる。地方部/デジタル報道センター編集委員という肩書だが、記者であることに変わりはない。果たして何を書いていくのか。久しぶりに何もない状態、振り出しに戻った感覚だ。

 

●近著紹介

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)

心に貼りつく差別の「種」は、
いつ、どこで生まれるのか。
死にかけた人は差別しないのか──?

新聞社の特派員としてアフリカ、ヨーロッパ、南米を渡り歩いてきた著者は、差別を乗り越えるために、自身の過去の体験を見つめ、差別とどう関わってきたか振り返ることの重要性を訴える。
本書では、コロナ禍の時期に大学で行われた人気講義をもとに、差別の問題を考え続けるヒントを提示。世界を旅して掘り下げる、新しい差別論。