自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

立ち上がってきたアフリカ

2020年7月号掲載

 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 私の中のもやもやが少し晴れてきた。最近、アフリカのことをよく考えるからだ。

 4月20日ルワンダ人のモーリスから連絡があった。彼は妻と10代の娘2人と妻の実家があるベルギーの街に暮らしているが、このときはルワンダから電話してきた。

 母親に会うため、ひとりで首都キガリに帰ったところ、新型コロナウイルスのせいで国境閉鎖となり、ベルギーに戻れなくなったという。

 今はネット回線があれば世界中どこへでも無料で電話ができる。彼は暇だったのか、私に電話してきて、「俺たちはもういい年だよな。このルワンダで貧しい子供に教育を受けさせる活動をしないか」と言いだした。

 その話は10年前に、ベルギーの彼の家で聞いたので、新しくもなかったが「よし、やろう」とは言えなかった。

 第一に私には別の夢がある。思いつきから始まった話だが、中国語の勉強のため中国に行くという目論見だ。コロナのせいで先はまだ見えないが、人の移動もある程度回復すれば、できないことはないと思っている。それに、アフリカに移住するなら、友人の多い南アフリカを考えていた。

 私がルワンダに通ったのは1994年の大虐殺直後のことで、つらい思い出の多いあの地に住みたいと思うことはほとんどなかった。

 モーリスの場合、自分の国だから身内や友人も多いが、私にはなんのゆかりもない。あるとすれば、このモーリスくらいなものだ。「貧しい子供のための教育」などと言われ、心が動くほどこちらもナイーブではない。

 そもそも、人助け活動に興味がない。たまたま出会った人が本当に困り果て、その人に巻き込まれ、止むを得ずなんとかしなければと思うことはあっても、はなから不特定の人を支えようという漠然とした思いなど私にはない。

 考えてみれば、私がアフリカ大陸で最初に助けた相手がこのモーリスだった。「助けた」というと、あえてそうしたように聞こえるが、ある因縁から彼とつき合うようになり、結果的に助けることになったということだ。

 J・M・クッツェーの小説『マイケルK』の主人公が一宿一飯の恩を受けた相手から「人は助け合わないと」と言われ、考える場面がある。

 人を助ける? 自分は人を助けるだろうか。わからない。助けるかもしれないし、助けないかもしれない。それは、その時になってみないとわからない。

 当時、英語で読んだこの言葉が私には深く残り、今でも暗唱できるほどだ。

 モーリスとは、私が初めてルワンダを訪れた翌日、たまたまラジオ局で知り合い、当時内戦や虐殺事件が頻発していた国内各地を共にまわった。ところがある晩、彼は私が借りていた車で甥っ子とドライブをし、路肩から車を落とし大破させる事故を起こした。

 私はその後始末のためキガリに2週間残り、最終的には自費でカローラの中古車を一台日本から輸入し、モーリスにインド洋のモンバサからキガリまで運ばせ、持ち主に返すという私にとっては大事業をする羽目になった。

 それが縁となり、私はモーリスにコンゴ民主共和国の内戦取材などを手伝ってもらった。だが、2、3年後には彼に貸した借金や、落ちつきのない彼の性格にも悩まされ、最終的には絶交し、10年ほど前に彼が謝罪の連絡をしてきたため、よりをもどした格好だった。いろいろあったが彼のことが好きなので、つかず離れずの関係なら悪くないと思っていたが、一緒にビジネスめいたことをする気はない。

 だからやや強い口調で「そんな気はない」と断り、ついでに「よくも人助けなどと言えたものだな。そんな暇があれば、まずは俺に金を返せ、俺を助けろ」と突き放した。彼は私の剣幕に気圧されたのか、「俺はただ、お前とルワンダで何かやりたかっただけだよ」とひとりごちた。

 それから数週間がすぎ、たまたまルワンダから一時帰国している旧知の日本人女性をインタビューすることになった。彼女から現在のルワンダの様子を聞きたいと思ったからだ。

 彼女に会う朝、その準備もあって、15年前に出した自分の本『絵はがきにされた少年』の中のルワンダを舞台にした二篇を読み返した。

 すると、その短い作品からフワーッと当時のキガリの風景、雨だれ、緑の森の湿り気が匂いたってきた。丸3日もかけてインタビューした老人を孫やひ孫が取り囲み、熱心に耳を傾けていた様子や、半径1mほどの小屋に暮らす老人の姿が蘇ってきた。

 ツチとフツ。言葉も文化も習慣も違わないのに、ベルギーの植民地政策も手伝い、くっきりと二つに分かれた人間集団。その隔たり、差別のせいで、わずか3カ月で少なくとも50万人という史上類を見ない虐殺が起きた。

 私は当時、ツチとフツの違いは「部族」だというほとんどのジャーナリストが抱いていた便宜上の呼び方にあらがい、その違いの根拠、起源を必死の思いで探ろうとしていた。その途上、コンゴの奥地で、少年兵が言い放った「僕はフツの農民だ」という言葉に、ひどく感動した。虐殺の加害者である「フツ」を名乗るのが一種のタブーだったからだ。

 二篇の原稿からそんなことを思い出すと、私の中に「まだ、途上じゃないか!」という言葉が現れた。

 あの国に戻り、解けなかった謎を解かなければ。転勤を理由に投げ出した重いテーマに、もう一度立ち返りたいと思った。結構本気だ。

 

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