自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

書くことと救うこと

2013年7月号掲載

毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時)

 

 行くたびに緊張する。いや緊張とも少し違う。無力感でもない。自分の存在意義の揺らぎといった感じか。
 なぜ自分はここにいるのか。何のために。本当にここに来る意味があるのか。仮にあったとして、自分はそれを自覚しているのか。いや自覚できていないから、躊躇するのか。
 郡山に来て2カ月が過ぎた。自宅を兼ねた事務所は駅から西に歩いて15分ほどの住宅街にある。そこから車で5分ほど北西に向かうと、浜通りから逃げてきた富岡町民の仮設住宅がある。週に1、2度、そこを訪ねると、入り口に差し掛かる同じ場所でいつも同じ戸惑いを覚える。
 最初は仕事だったからまだ良かった。郡山で知り合った人からそこの仮設住宅に「おだがいさまセンター」と呼ばれるサロンがあり、避難者と市民、外の人との交流の場になっていると聞かされた。郡山市長の選挙情報を集めていたときだったので、何でもかんでもという感じでそこに行ってみた。
 話をしてくれたのは、富岡高校の元校長をしていた60代の女性だった。
 人口約1万4500人の富岡町民はみな今も避難したまま全国に散らばっている。6割が県内に残り、避難先で一番多いのがいわき市で、これに郡山市が続く。郡山に暮らす富岡町民は出身地区ごとに固まっているのかと思っていたが、全くバラバラで約3150人がちりぢりに暮らしている。若い人は2011年の早い段階で借り上げの一軒家やアパートに移り住み、いまある市内3カ所の仮設住宅にいるのは、お年寄りばかりだ。
 富岡には居住や一時立ち入りが認めらている地域があり、日帰りで町に帰る人が多いが、そのほとんどが「もう住めない」と言って戻ってくる。次第次第に帰らなくてもいいという気分が仮設住宅に広がり始めている。中には故郷を目にしてますます帰りたくなる人もおり、3年目にしてかなり個人差が出てきた。気持ちが不安定になり、狭い部屋に閉じこもってしまう人も多い。阪神淡路大震災の例を見ても、仮設住宅では3年目から孤独死が増えたーー。
 元校長からそんな話を聞いた去り際、「毎週、木曜と土曜の朝、ここでお茶会をやっています。いらっしゃいませんか」と誘われ、この仮設住宅を訪ねるようになった。
 「喫茶つつじ」と呼ばれる朝の会には多いときで70人、少ないときで20人ほどが集まり、町民ボランティアが注いでくれるコーヒーと菓子を手におしゃべりをして過ごす。時折、歌手や手品師などが来て芸を披露するが、住人同士やボランティアがとりとめのない四方山話をするのが基本のようだ。
 「あんたみたいな若い人と話すと気持ちが晴れるな」。猪狩さんという88歳の男性は、自分が作詞しプロが作曲した「富岡慕情」という演歌が直前になって、お金が必要だと言われ、発表しなかったことや、町民の歌「富岡、わが町」の歌詞の2番に「新しい科学が未来を開く」というくだりがあるので、もうコミュニティーFMでかけるべきではないといった話をした末、そんなことを言った。「今度はいつ来る?」。そう聞いてくれるのに気をよくし、私はその喫茶に通うようになった。
 60歳の男性、志賀さんと親しくなったのも大きい。最初同じテーブルについたときから、なんとなくウマがあった。彼は学生ボランティアら、来ても何をしていいかわからない、うまく話ができない若者たちを楽しませ慰めるのが得意で、立場が逆ではないかと思わせるような人だ。
 私が特段、何かの記事を書くために来ているわけではないと知ると、「郡山に来たばかりでまだ友達もいなくて寂しいんだろう」と思い込み、カラオケや地元のそば同好会が催す「わんこそば」などに誘ってくれる。それでいて、「ボランティアか売名行為で来る人かはすぐわかるね。ちょっと見ただけでわかる」といった言葉をぽつりと言ったりもする。一見、気のいいおじさんに見えながら、かなり感受性が強く、自分の置かれた立場、それを取り巻く環境を冷徹に見ている。そんなところに私はひかれる。
 私のようなジャケットを着たいかにも職業人、彼らからすればまだ若い男が、特にボランティア作業をするでもなく、平日の朝からぽつんと座っているのはやはり奇妙だ。でも、志賀さんが「お、来たね」と席を空けてくれるので、私はさほど気まずくならず、そこにいられる。
 私はなぜそこにいるのか。
 取材ではないと言いながらも、結局は彼らの中に入り、内側から彼らを観察し、その心の奥、彼らが何を求めているか、何に嫌気がさしているのか、絶望しているのか、鬱屈した気分になっていないかーーといったことを考える材料を求めている。
 だが、半面、彼らの役に立ちたいと単純に思っているところもある。「気が晴れるね」と言われたように、私が関わることで彼らの心がが少しでもまぎれればと思ってもいる。それは、人のために、ひどい目に遭っている人のために何かしたいという思いからだが、むしろそれが自分にとって、書くことよりもはるかに大きな喜びになるとわかっているからでもある。
 そこでも、結局は自分なのだ。
 実際、私がそこにいるだけで、本当に彼らの気が晴れるのか。むしろ気まずさを生みはしないか。私は本当に彼らのためになっているのか。今はまだそんな思いがあって、仮設に足を運ぶときの躊躇につながる。
 逃げるのはたやすい。通わなければいいのだから。でも、もうしばらくは通ってみたい。続けていけば、少しは自分自身が変わっていくかも知れない。そんな予感もないではない。

 

 

●近著紹介

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)

心に貼りつく差別の「種」は、
いつ、どこで生まれるのか。
死にかけた人は差別しないのか──?

新聞社の特派員としてアフリカ、ヨーロッパ、南米を渡り歩いてきた著者は、差別を乗り越えるために、自身の過去の体験を見つめ、差別とどう関わってきたか振り返ることの重要性を訴える。
本書では、コロナ禍の時期に大学で行われた人気講義をもとに、差別の問題を考え続けるヒントを提示。世界を旅して掘り下げる、新しい差別論。