自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

佐藤愛子さんと会う(その2)

2012年12月号掲載

毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時)

 

 作家の佐藤愛子さんは、数年前までテレビで引っ張りだこだった霊能者、江原啓之(えはらひろゆき)さんについて「霊視ができなくなったんだと思う」と語った。江原さんとかれこれ20年のつき合いだからこそ、そんな言い方ができるのだろう。

 テレビに出ないのは、東日本大震災後、スピリチュアル・ブームが去ったせいだと思っていたが、それは日本を離れていた私の勘違いだった。東京大学宗教学教室の教授、島薗進(しまぞのすすむ)さんの調査によれば、6割以上もの日本人が、具体的な宗教団体には関心がなくても霊的なことを信じているという。神道など霊信仰は古くから日本にあり、西洋と向き合う明治維新後、影に追いやられながらも、根深く今も残っている。オウム真理教による一連の事件で一時的な揺り戻しがあったが、ブームとしてではなくもともとあるというのが島薗さんの意見だ。

 江原さんが霊視できなくなったのは、お金や名声に目を向けすぎたからだと佐藤さんは言ったが、これはよく聞く話だ。

 カリブ海の島ハイチのブードゥー教(注)指導者、マックス・ボーボワールさんも2006年2月に会ったとき、同じことを言っていた。「お金とか名声を求めるとダメになる。霊的な力を持つものは、何よりもまず自分は目立たず、人のために努力することだ」。今年72歳になるこの宗教指導者はもともと科学者だった。

 首都のポルトープランスに生まれ、勉強ができたため奨学金を得て米国、フランスの大学に留学し化学を学び、宗教の世界に入るまでニューヨーク大学助教授をしていた。

 35歳の時、ブードゥー教の神官をしていた祖父が危篤となり、妻と二人でハイチに帰り、息絶え絶えの祖父を取り囲む身内たちの輪に加わった。

 「祖父が意識を取り戻し、私の方を向くと、『お前がわしの後継ぎだ。お前しかいない』と語り、ほどなく息を引き取ったんです。私にそんなつもりは全くなかった。自分はこの先もニューヨークに残り、大学教授になるつもりでいましたから、いくら身内に請われても『僕にはできません』と断ったんです。でも、祖父はブードゥーの中心的存在だったので、その遺言は絶対で、結局、渋々米国を引き払い、島に戻ってきました」

 戻ってきても、霊的なことを信じておらず、訓練も積んでいなかったので、祖父がしてきたような薬草づくりや手かざしによる治療はできなかった。「それでも、ハイチの中をあちこち旅しているうちに先生に出会い、その先生を介して別のもっと大きな先生に会えるようになった。偶然の出会いでした。彼らからいろいろと学び、次第に医療にのめり込むようになったんです」

 ボーボワールさんは手を患部にあてることでがんを治す“専門医”となり、1000人もの患者の延命を手伝ってきた。世界中から患者が彼を訪ね、自身もフランスや米国に招かれることもあったが、私が会ったときは、「もう年だし、ここを離れる気はない」と首都郊外で妻や子供、孫たちと質素な暮らしを続けていた。

 彼は私にこう語った。「人と人のつながりに距離や過ごした時間は関係ない。つながるべき相手は会った瞬間、あるいはその前からつながっている」「互いがわかり合うのに言葉はいらない。大事なのは感じる事だ」

 中でも一番印象に残ったのは、「人を怖れてはいけない。無理して多くの人を訪ねれば、必ず師に出会える」という言葉だった。

 ボーボワールさんの言うことが正しければ、私はこれまで通り、できるだけ偏見を抱かず怖れず、無作為に誰とでも会うようにした方がいいということだろうか。そうすれば、いつかは師のような存在に会えると思いながら。

 

 (注)ブードゥー教は、カリブ海の島国ハイチや米国南部のニューオーリンズ等で信仰されている民間信仰。教義や教典がなく、布教活動もしないため「宗教」とは一線を画す。ブードゥー教の儀式は太鼓を使ったダンスや歌、動物の生贄、神が乗り移る「神懸かり」などからなる。

(この項つづく)

 

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