自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

秋田での出会い(その1)

2015年1月号掲載

毎日新聞地方部編集委員藤原章生(当時)

 

 その午後、私は疲れていた。秋田県に来て、まる1週間あちこち回り、働き詰めだったからだろう。いや、緊張が抜けたのかもしれない。新しい土地に来たときは興奮している。正確に言えば、自分を発奮させ緊張を保たせようとしている。そういう状態のときは、一日何人もの人に会い、長い原稿を休みなく書き続けることができると、自分でもわかっているからだ。

 私のミッションは「とにかく選挙でも何でもいいから書いてくれ、地方版を埋めてくれればいいから」という、あまり奮い立つようなものではなかった。

 だが、どんな場でも、どんな役割でもなんとか面白みを見いだそうとする私は、自分を発奮させた。「お前にしか書けないものがきっとあるぞ」と。緊張が抜けていれば、何もかもが日常の些事に思えてくるため、自分で自分を高めるわけだ。

 その日、私は朝から候補者の第一声を取材し短い原稿を書き上げ、昼前に車で1時間ほどの地で寺の住職にインタビューし、午後3時ごろ、ホテルに戻った。そのとき、自分の中で緊張が途切れ始めているのを感じた。するとどっと疲れがでてきた。どうでもいいことをじくじくと迷った末、雨の中、思い切って展覧会に行くことにした。画家の藤田嗣治と写真家の土門拳との交差をテーマにした作品展が秋田県立美術館で開かれていた。

 特に感慨のなかった私は、そのまま帰るつもりで階段を下りると、狭い廊下の奥で別の展覧会をやっていた。「常設展だろうか」。歩を進めると、奇妙なポスターがあった。

 黒字の中央で、やはり暗い薄茶色のシースルーのような、シュミーズのようなワンピースを着た若い女性がうつむき、両手をそえ耳をそばだてている。彼女のバックには彼女の幾本も腕が輪を描くように、千手観音のようにめぐっている。「てさぐる」というひらがなの大きな文字。「何だろう」。近づくと受け付けの50代と30代と見られる男女が、「どうぞ」と同じ絵柄のちらしをくれた。「高嶺格による 見えない人のガイドでめぐる展覧会」と書かれていた。

 「グループツアーになりますので、次の回まで……、25分ほどお待ちいただきますが……」。そんなに待つのか、という顔をしたためか、二人は「では…」と、「お帰りください」と出口に私をうながそうとしたため、かえって気になり、待つことにした。不思議なのはその主催者の2人が、「ぜひ見て下さい」とも「こんな趣旨なんです」とも説明せず、黙って立っていることだった。気を悪くしているのではない。遠慮しているのか、単に内気なのか、とも思った。

 ちらしにはこうある。

 <「見える」者が「見えない」者に導かれて作品を鑑賞する(略)仕掛けがなされています。(略)視覚芸術の新たな地平を切り開きます(略)高嶺は、「私」からはじまる問題に対し、身体感覚をベースにしながら現代社会へアプローチし続けてきました。刻一刻と変化する世界に対して、一旦これまでの感覚をリセットし、新たな感覚世界を「てさぐる」こと。いままで「普通」だと思っていた感覚に「ゆらぎ」が起こること。そんな旅にくり出してみませんか?>

 「感覚をリセット」などできるのか? 抵抗と興味半々で待っていると、ガイド役の女性が現れた。鎌田順子さん、43歳だ。気持ちいい笑顔の人だ。

 彼女に案内され、女子高生2人と20代の勤め人風の女性、そして私が会場に入っていく。会場には古い着物をつるした作品やスキー板を放射状にはりつけた作品が並び、鎌田さんが手で触れながら、「これは何でしょうか」「何かの生地ですか」と問いかけ、私たちが「着物です」「スキーの板ですね」などと答えながら進んでいく。

 最後に全員で真っ暗な部屋を通り、「目」というタイトルの彫像を手で鑑賞し、いきなり真っ白い部屋に出たところで展示は終わる。そこを出たとき、私は鎌田さんと言葉を交わした。「最初から見えなかったんですか」「いえいえ、15年前からなんです。前は海外旅行もよく行ったし、いろんな光景をよく覚えているんですよ」

 気になったのは、主催者たちが終始ぴったり従い、私たちの様子をビデオ撮影していたことだ。鑑賞の様子を何かの研究材料にするのかもしれないが、特段の断りもなく、またせっかく鎌田さんが案内してくれているのに、みなそちらに気をとられてしまい、あまりいい感じはしなかった。

 廊下に出ると、ニコニコした主催者たちが感想を書いてくれというので、私は短くこう書いた。「視覚障害者の感覚がほんの少しわかったような気がするが、それは本当に『ほんの少し』にすぎない。会場すべてを暗い部屋にした方が良かったのでは?」

 礼を言って、駐車場から車で戻るとすでに後悔していた。「しまった。もっと話を聞けば良かった」

 次第にいてもたってもいられない気分になり、仕事場の秋田支局の駐車場に着くとすぐに、チラシにある電話番号に電話を入れ、鎌田さんに取材を申し込んだ。

 翌日美術館にあるカフェで話をうかがうと、展覧会について、彼女も私と同じ疑問を抱いていることがわかった。

=この項つづく

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)