自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

赤瀬川さんの文体(その3)

2014年8月号掲載

毎日新聞地方部編集委員藤原章生(当時)

 

 赤瀬川原平さんがプロとして物を書き始めたのは1975年のこと。1937年生まれなので、38歳だ。その5年後、80年に発表し、翌年に芥川賞を受けた「父が消えた」に登場する25歳の編集者のモデル、作家の関川夏央<セキカワ・ナツオ>さんが「何か書いてみませんか」と勧めたのがきっかけのようだ。

 そのころ、赤瀬川さんは前衛芸術家として世に知られ、千円札を大きく描き写した作品が「偽札」と疑われ有罪判決が下され、『朝日ジャーナル』という雑誌に「アカイ アカイ アサヒハアカイ」というコピーを載せ、即連載中止になったり、何かと話題となる「危ない芸術家」だった。

 「あのころ、僕は小さい出版社の編集者をしてたんだけど、つまらない書き手の担当をしてて、せめていい挿絵を入れたいなと思ってね。赤瀬川さんを訪ねたんだよ。小学校のとき、新聞で見た千円札事件(1965年)のころからあこがれてたからね。確か1枚5000円。安くて悪いなって思ったんだけど、引き受けてくれて。駅は吉祥寺だったけど、割と駅から遠い、不便な、確か関町辺りに住んでたんじゃないかな」

 つい先日、関川さんは私にそう話した。

 75年当時、毎月、挿絵をとりに行き、ポツリポツリ話をする中で、関川さんは「赤瀬川さん、何か書きたいんじゃないか」と思った。「おとなしい人だから、自分からは何も言わないんだよね。でも、どうも、何か書いてみたいっていう感じが顔に出ててね。それで、『何でもいいから書いてくれませんか』って言ったら、『あ、そうですか』という感じで引き受けてくれて。赤瀬川さんが商業媒体に書いたのはそれが初めてじゃないかな」

 その当時、70年代後半から80年代にかけての赤瀬川さんの文体はかなり饒舌だ。当時は作家、嵐山光三郎が名づけた「昭和軽薄体」という、だらだら続ける文体が流行り、代表格の椎名誠がデビューするのも79年のことだ。

 だが、赤瀬川さんの文体は意図的ではなく、饒舌を楽しんでいるというより、思考の流れをそのまま書いているふうだ。

 <私は慌てて食後のお茶を飲んだり、慌ててトイレで瞑想したり、慌てて電車で居眠りしたりしながら、2時間後に川崎に着いた。駅に出て川崎の町の空気に触れると、私の気持はたちまちガサガサと乾燥していく。忘れていたこの町の不気味な印象が、まだ私の皮膚をこわばらせて、体の中に浸入してくる。なんて、いきなり深刻なことを書いてごめんなさい。だけど川崎は、私にとって警察の町なのである。町の空気が、すべて犯罪的に私を包んでしまうのだ。>

 77年創刊の雑誌『ウィークエンド・スーパー』に連載したエッセー「自宅で出来るルポ」の一文だ。編集長との待ち合わせに遅れ、川崎の競馬場に向かう場面だ。題名は「穴と刃物」。その数年前、赤瀬川さんは千円札事件で川崎署で任意の尋問を受けている。相手の刑事は穏やかだが何かを隠し持っていて、赤瀬川さんはいつも身構えていた。だから、計5回ほど通った川崎の風景は「刃物のようで」、誰もが「みんな包帯でくるんだ刃物を隠し持っている」ように見えた。

 おそらくいつも脳の中が旋回している赤瀬川さんにとっては一瞬の思考なのだろう。それを正直にそのまま書き写している感がある。文章が思考の流れだとすれば、赤瀬川さんはそれを忠実に守っている。

 編集長に連れられ、初めて競馬場の場外にバスで降り立つ描写はこうだ。

 <競馬新聞を売っているのであるが、私の目には赤鉛筆だけが飛び込んできた。新聞売りが赤鉛筆をいっしょに売っているのを見たのははじめてだった>と、素直に感動を書く様子は、後年の東京散歩や病床のエッセーと何も変わらない。

 <これからは赤鉛筆だなと思った。黒鉛筆はもう古い。そう思ってみていると、赤鉛筆が赤いマッチ棒みたいになって、お婆さんはマッチ売りの少女になってしまった。マッチ売りの少女は乗客といっしょに乗り込んで、バスの中でも赤鉛筆を売っている。これはやはり可哀相な話だろうか>

 笑いを狙っているわけではない。

 前回引用した「父が消えた」では、電車の中での若い関川さんとの会話のギャップが笑いどころだ。頭の中で、旅から始まり馬車に行きつき、その後、子供の頃の馬糞拾い、そして馬糞紙(ばふんし)を考えた主人公が唐突に、「ところで」といった前置きもなく、「馬糞紙のことだけどね?」と問いかける場面だ。

 相手は「え?」と反応するしかない。主人公がそれまで何を考えていたかを知らないから、戸惑うのは当然だが、これが赤瀬川さんを物語っている。自分の脳内が全てであり、相手がどう受け止めるかといったことに、関心が向かわない。むしろ相手が言う言葉の断片に脳が反応し、再び勝手に思考が走る。

 旋回する思考は、文章にすれば長いが、経過時間をおそらく数秒、せいぜい1分だから、本人はちょっとした「間合い」だと思って、続きを相手にぶつけてしまう。当然、対話が成立しない。決して相手を軽んじているのではない。それは一種の癖、あるいは病気だ。

 一見、饒舌に書いている文体は、そんな瞬時の思考を忠実に積み重ねたもの、と私は読む。だから私は、この人の自分の脳への忠実さ、生真面目さがとにかく面白い。人間ってこんなだよな、と時に爆笑してしまう。

=この項つづく

 

●近著紹介

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)

心に貼りつく差別の「種」は、
いつ、どこで生まれるのか。
死にかけた人は差別しないのか──?

新聞社の特派員としてアフリカ、ヨーロッパ、南米を渡り歩いてきた著者は、差別を乗り越えるために、自身の過去の体験を見つめ、差別とどう関わってきたか振り返ることの重要性を訴える。
本書では、コロナ禍の時期に大学で行われた人気講義をもとに、差別の問題を考え続けるヒントを提示。世界を旅して掘り下げる、新しい差別論。