自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

戦場報道のマッチョとうつ(その1)

2013年9月号掲載

毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時)

 

 先日、高速道路のサービスエリアで何気なくCDの棚を眺めていたら、「思い出のフォークロック」という背表紙が目についた。曲目をざっと見ると、「或る日突然」などトワ・エ・モアの歌が3曲も入っていた。復古盤にしては値が高いと思いつつも買うことにした。いま音楽はネットで聴けるため、CDを買わなくなったが、きっと長旅で疲れていたのだろう。何か景気づけがほしかった。

 運転しながら早速聴いてみると、ザ・ワイルド・ワンズの「思い出の渚」の次にジローズの「戦争を知らない子供たち」が流れてきた。

 小学生の時からなじみのあるこの曲のそれまでの印象は、懐メロ番組で出演者全員が歌うざわざわした感じのものだった。だが、今回改めて原盤を聴いてみると、驚くほど新鮮に響いた。

 意外だったのは、自分の記憶よりはるかにこの曲が軽快、軽やかななことだ。イントロの部分は、なつかしの昭和歌謡といった趣のトランペットで始まり、杉田二郎の声がずいぶんと若く弾んでいる。

 それまで知らなかった3番の歌詞も素直にいいと思った。

 <青空が好きで/花びらが好きで/いつでも笑顔の/すてきな人なら/誰でも一緒に/歩いてゆこうよ/きれいな夕日が/輝く小道を>

 この曲が商店街などで流れていた1970年、私は9歳だった。当時の雰囲気や、小学校でよく「光化学スモッグ注意報」が出されたのを覚えている。「青空が好きで」には、公害つまり弊害を無視した高度成長に背を向ける姿勢を感じる。改めて気づいたのは、曲も歌い方も、お気楽、軽い感じをあえて前面に出しているところだった。私はそこに好印象を抱いた。それは多分、戦争を語るにはお気楽でいいのではないかと、私自身が思えるようになったからだ。

 小学校高学年からフォークソング、中でも岡林信康高田渡ら当時ではラジオでもあまり流れない歌手にまで手をのばしながら、この曲を敬遠してきた。それは、ある漫画の影響が大きかった。記憶では71、2年ごろなのだが、ネットで調べてみると、それは私が中学2年の75年に週刊「少年ジャンプ」で連載が始まった梶原一騎原作、川崎のぼる作画の「花も嵐も」だった。その一回目だったと思う。ベトナム戦争で死ぬカメラマンを描いたシーンのト書きでこの歌がやゆされていた。

 正確な描写は覚えていないが、こんな言葉が書かれていた。

 「戦場カメラマンがベトナム戦争の銃弾、爆撃をくぐり抜け、真実を伝えようと熱帯の地を這いずり回っているころ、日本の戦後生まれの若者たちはお気楽にも『戦争を知らない子供たち』といった軽薄な歌を歌っていた」

 言葉の脇には、たれた形のサングラスをかけた長髪の若者たちがギターを手にしている姿が描かれていた。

  原作の梶原は「戦争を知らない子供たち」の作詞者、北山修より10歳上の1936年、昭和11年生まれだ。このくだりには70年当時の世相、戦後世代に対する彼のいらだちが表れていたのだろう。が、中学生の私にそんな事情はわからない。もともと「巨人の星」や「タイガーマスク」「あしたのジョー」など梶原作品の影響下で育った私が、彼の批判に同調するのは無理のないことだった。

 いまでもよく覚えているくらいだから、私は梶原の言葉と、戦場の描写に引きつけられたのだろう。「戦争を知らない子供たち」は、現実を知らない軽薄で単細胞の若者たちがへらへらと歌ったものだと忌み嫌うようになった。子供は他愛がない。偽善や単純さ、軽さに対する嫌悪感が、漫画のたった一コマの刺激で一気に噴きだし、その後の彼彼女を覆うようになる。

 私の祖父は父方、母方とも早世しており、戦時体験者を身近に持つことがなかった。小中学校時代に教師たちがあれこれ戦時中のことを話しはしたが、証言を直接誰かに聞くという機会のないまま育った。私が知る戦争とは、小説や歴史ものの読書に限り、実は自分が生まれるつい16年前のことでありながら、実感のないまま少年期を送った。

 むしろ、最初に戦争を身近に感じたのは、1986年、25歳の夏に訪ねた中米のグアテマラエルサルバドルだった。内戦中、あるいは形ばかりは内戦が終わり平和が戻っていたその地を好んで訪ねたわけではない。一人で南米にあるアンデス山脈を登りに行くため、ロサンゼルスから長距離バスを乗り継いだ際、途中下車したにすぎない。 ところが、エルサルバドルの安宿で荷物を盗まれ、トラベラーズチェックの再発行などで現地に長居を強いられた。その時、寝食から警察への届け出、通訳と何から何まで面倒を見てくれたのが、グアテマラ出身の元ゲリラ戦士の女性だった。彼女のわずかな所持品に、迷彩服姿で走る彼女を斜め上から捉えた一枚の写真があり、その疾走感が強い残像となった。

 その秋に帰国し、エンジニアとして鉱山会社に就職したが、残像はなかなか消えず、暇をみては専門外の中米戦争を調べた。そんな中、ニカラグア内戦を描いた映画「アンダー・ファイア」(83年、米国)と、エルサルバドル内戦をドラマ化した「サルバドル/遥かなる日々」(86年、米国)を見る機会があった。いずれもフリーのカメラマンを主人公にしたもので、銃弾、遺体の山をかいくぐり、単身、真相に迫っていくという、いまの私から見れば、明らかにマッチョな、つまり猛々しさ、勇ましさに価値を置いたマチズモ(男性優位主義)に貫かれた作品だった。

 それでも、彼女を通して戦場の匂いを微かに嗅いでいた20代半ばの私には、こうした映画が報道、執筆の世界へ転進させるひとつのきっかけになった。

(この項つづく)

 

 

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