自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

福島弁になじむ

2014年1月号掲載

毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時)

 

 福島県郡山市に暮らし始めて8カ月が過ぎた。自分の中のもう一人がいつも耳元でこうささやく。「まだ大した仕事、してないな」「早く特ダネ書けよ」と。新聞記者なら誰もが抱く、いくら書いても収まることのない焦りだ。

 一方でもう一人がこう慰める。「いや、それなりにやっている。焦ることはない。書くべきことがあれば一気に書けばいい」

 特派員時代も同じだった。1年目はひたすら焦り、新たな言語を、その土地、国の核をつかもうと躍起になり、2年目あたりから土着の者として物事をとらえられるようになる。そしていつの間にか、落ち着きのなさ、焦りは消えている。

 郡山では同じ日本語なので新たな言語をつかむ必要はない。それでも方言はある。言語は単なるコミュニケーションの手段ではなく、それを使う者たちの物の考え方を支配する。方言にも文化的な側面があるのだ。

 私は郡山で、仲間を見つけるため地元の山岳会に入り、また、がんを抱える商工会議所の元会頭ら年配の人々に、イタリアで覚えた気功体操を教えている。また、富岡町民が暮らす仮設住宅に通い、おしゃべりやカラオケをしている。

 インタビューとは違う形で郡山の人々とつき合うと、方言がそのまま使われる。郡山弁、広くは福島弁の場合、意味不明の難語はそれほどないが、アクセントや言葉の伸ばし方、話し始めの口調に特徴がある。

 「やっぱ、あれだねえ、藤原君みたいに、はあ、毎日、あっちこっち行ってっとお、こう、地元のこともあれだね、結構早くに、わかるんでねえの、はあ」

 字面だけみれば、「はあ」というかけ声に近い語尾音をのぞけば標準語とさして変わらない。だが、語調やリズムが明らかに違う。「やっぱ、あれだねえ」も、「やっぱ」が無音から次第に音を大きくしていく形で始まり、次第に大きくなって「あれだねえ」での末尾で最大になる。「毎日、あっちこっち…」も同じく、聞き取りにくい小さな音で始まり、「行ってっとお」で語調も音も高まり、ピリオドが打たれる。

 坂道を転がるボールにたとえると、郡山弁はボールが速度ゼロから次第に加速し、最大速度となった途端にすっと消える、という感じだ。

 私が現在も抜けない東京の下町弁の場合、このリズム、アクセントは逆になる。「やっぱ、あれだねえ」の場合、「やっぱ」が強調され、「あれだねえ」は平板か減衰音になる。「毎日、あっちこっち…」も、「毎日」の「ま」の音が強く、「あっちこっち」で平板となり、「行ってっと」の「と」の音は一文の中では最小音となって終わる。  ボールが最大速度で坂道を上り、速度ゼロになって止まる形であり、郡山弁とはリズムや語気が全く逆に近い形と言える。

 岩手県釜石市生まれの高橋克彦氏の著書『東北・蝦夷(えみし)の魂』によれば、東北は平安時代以前から都で問題を起こした人々が逃げ込む地だった。そして時代は下り、幕末以降は多くの東北人、特に福島の人々が家々のお手伝いさんや下男など下働きとして上京し、二つの土地はかなり人間が行き来している。

 「官軍と戦った東北の人々は生活の基盤を奪われてしまった。旧士族たちは藩というよりどころを失い、東京など大都市に職を求めていった」「江戸から東京になったとはいえ、(略)薩長の人間たちを、江戸の人々はまったくの田舎者としか思っていなかった。その連中が我が物顔をするどころか、大名や旗本の屋敷を占拠して自分たちの住まいにしている」「江戸の人間にはプライドがあるから、そこでは働きたがらない」「困った口入れ屋は、東北から流れてきた人たちに目をつけた」。その結果「明治十年代頃の下男・下女の大半は東北人だったという。当然ながら、下働きに入ったほとんどの人が東北弁を使っていた。そのため東北弁は下男・下女が使う卑しい言葉として認知されてしまった。東北弁はわかりにくいから差別されたのではなく、下男・下女が話す言葉だから差別されたのである」。東京に暮らす東北の人々は方言を隠すようになった。 実は上野浅草界隈を中心とした東京の下町には東北出身の人が多い。にも関わらず、下町弁と郡山弁の言葉のリズム、アクセントが全く逆なのは、やはり「隠す」ことの結果ではないか、という気もするが、ここで証明するのは難しい。

 とは言え、二つの方言は音は違っていても似ているところもある。いずれも、上下関係や年齢でさほど変化が見られないところだ。丁寧語や謙譲語が省かれる傾向が強く、その分、気安くしゃべりやすい言語と言える。郡山に暮らしだしたころ、年齢や地位、立場に関わりなく、話を始められるところが、下町弁と似ていると直感した。だからなのか、この地の方言に私は最初から強い親近感を覚えた。

 先日、田村市で、「出身はどこ?」と聞かれ、「一応、いわきです。親父が常磐炭礦に勤めてたから」と1歳までしか居なかった出身地を口にした。すると、「やっぱり、そうだって思ってたんだ。ただの東京の人じゃねえなって、こっちの血も入ってるって。ハイブリッドだなって」

 私の東京弁は次第に福島寄りになってきている。これは父親が勤め先で身につけた方言を幼いころ耳にした影響がないとは言えない。だが、やはりこの8カ月間、地元の人たちとつき合う中で身につけたものだろう。そう思うと、少しうれしくなった。

 

 

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