自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

故郷(その2)

2013年4月号掲載

毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時)

 

 一期一会。NHKの元カイロ支局長でいまはニュース解説委員長をしている柳澤秀夫さんに会った時のことだ。2005年、私はアフリカを舞台にした本でノンフィクション賞を受け、それをラジオ番組で紹介するため、彼は私をスタジオに呼んでくれた。多くの人が行きかうNHKのロビーで待っていると、柳澤さんがディレクターとともに現れた。「よろしくお願いします」と型通りの挨拶で名刺交換を済ませ、廊下を歩きだしところで、柳澤さんはこうささやいた。少しこもってはいるが、とても心地の良い低音だ。

 「藤原さん、福島ですよねえ」

 出生地のことだ。父親が常磐炭鉱で技師をしていたため、私は福島県常磐(じょうばん)市、現在のいわき市で生まれたが、1歳のときに東京に引っ越している。両親とも岡山なので、福島に身内は一人もおらず縁はないに等しい。

 「ええ、まあ」と言葉尻を濁したものの、こちらの事情には気づかず、人懐っこそうな顔で、柳澤さんは人差し指を自分の鼻に向け、少し声を落とし、こう続けた。

 「僕ね……会津っぽなんです」

 なんと返事すれば良かったのだろう。私はあいまいに「はあ」だとか、「あ、そうなんですか」くらいの返事しかせず、手短に「生まれただけなんです」と説明した。

 表情こそ崩さなかったものの、柳澤さんの辺りにまとわりついていた弾んだような空気が静かに霧散していくのを私は感じた。それは親近感というのとは違う、もっと原初的な何かだ。

 以前、南アフリカにいたとき、サン族(ブッシュマン)の収容キャンプである光景を目にした。案内してくれた現地の男と歩いていると、テント村にいた別の若い男性が私達に気づき独特のクリック音(おん)で何か叫ぶと、全身を震わせながら奇妙な踊りを始めた。「何ですか、あれ?」と聞くと、案内人も嬉しそうにくねくねと体を震わせながら、「久しぶりに会ったから嬉しいんだよ」と答えた。再会の喜びを表すジェスチャーだが、抱擁や握手よりもより根元的な感情表現がそこにあった。

 「会津っぽなんです」と言ったときの柳澤さんの体にも、そんな原初的な「感情分子」のようなものがまとわりついていたことに私は気づいたのだが、いかんせん、こちらはその「会津っぽ」の奥に隠された深い暗号、掟のようなものを理解するすべがない。

 「おっ、会津ですかー。僕は浜通りで…」などと方言混じりで応じれば、きっと話は弾んだはずだ。そのあとは、どこの高校だという話になり、次はどの村の生まれで、一族はどうしたこうしたで、戊辰戦争のときは云々と話が展開していくはずだった。

 私の本の著者紹介やウィキペディアなどネットで見たのか、会うなり「福島ですよね」と聞いてきたり、電話をしてくる福島人が何人かいた。その都度、事情を話すと、彼らはかなり露骨にがっかりした。私が残念なのは、彼らを失望させたこともあるが、柳澤さんら福島人にある同郷意識が、感覚的にわからないところだ。

 中学から高校のころ、ちょっと遅れて歌手の岡林信康が好きになった。すでに人気は落ち、彼は有機栽培をするため農村に引き籠っていたが、私は深夜放送で曲を聞いて以来、ライブ録音に熱中していた。

 そんな中に「俺(おい)らいちぬけた」という曲があった。「田舎のいやらしさは 蜘蛛の巣のようで/おせっかいのベタベタ 息がつまりそう」という出だしをよく口ずさんでいたのだが、実は、この感じも私にはわからない。そんな気はする、という程度にしかわからず、ベタベタとした人間関係を単に頭で理解していただけだった。

 この歌は田舎のネズミ、都会のねずみ風に、結局都会に出ても空しく味気ない現実があるばかりで、また自然あふれる田舎に戻ろうと訴える、言わばUターン、農村回帰をうたったものだが、私には出だしの部分だけが印象に残った。

 当時60年代から70年代にかけてのころは、「自立」や「解放」「自由」という言葉が大流行で、親から自立しなくてはならないというムードがまん延していた。何年か前、親元で暮らす30代以上の独身者について「パラサイト(寄生虫)シングル」という新語が生まれたのも、親元にいることへの非難が背景にある。

 だが自立といっても、せいぜいが就職して東京の川沿いに、狭苦しい部屋を一つ持つ位のことで、本来なら3世代に一つで済む家電製品や車を二重、三重に買わせる無駄な消費を促したに過ぎない。

 私はそもそも故郷や田舎での実体験を持たない身なのに、岡林の言う「田舎のいやらしさ」に同調し、長らく村落共同体的なものを忌み嫌ってきた。人間など所詮はひとり、どこに属することも、どこに寄りかかる事もないーーなどとうそぶいて。

 しかし、どうしたことだろう。福島第一原発事故が影響したのか、単に年をとったのか、出生地の福島県にひかれるようになった。昨春日本に帰ってから3度も足を運び、そのたびに親しみが深まるのを感じる。

 方言も話せず、現地の誰かを知っているわけでもないのに、何か気持ちが落ち着くような、ほっとする感じがあるのだ。

 「故郷」だと単に頭で思いこもうとしている面はあるだろう。だが、それだけではない。呪文のように「会津っぽ」とささやいた時に柳澤さんが発していた原初的な感情、無意識的な親近感に、私はどこかで気づき始めているのかもしれない。だとすれば、福島は私の故郷になりつつあるのではないか。

(この項つづく)

 

●近著紹介

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)

心に貼りつく差別の「種」は、
いつ、どこで生まれるのか。
死にかけた人は差別しないのか──?

新聞社の特派員としてアフリカ、ヨーロッパ、南米を渡り歩いてきた著者は、差別を乗り越えるために、自身の過去の体験を見つめ、差別とどう関わってきたか振り返ることの重要性を訴える。
本書では、コロナ禍の時期に大学で行われた人気講義をもとに、差別の問題を考え続けるヒントを提示。世界を旅して掘り下げる、新しい差別論。