自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

新聞原稿は夜明け前の快感

2014年10月号掲載

毎日新聞地方部編集委員藤原章生(当時)

 

 原稿書きでよく思い出すのが、次のようなパターンだ。脳の物質が何か動いているのだろうか。必ず心地よさ、快感が伴うため、肉感のような生々しい感触とともに思い出される。

 ラテンアメリカにいたころのことだ。そのころの担当デスクはYさんという先輩だった。デスクとは、記者上がりの人で、東京本社の外信部で私の原稿を読み、疑問点があればそれをただし、最終的に読み物に仕上げ、昔は整理部とよばれていた紙面の担当者に回す人を指す。デスクという呼び名は、いつも机にいるからということだが、一種、記者の親分的な存在でそう呼ばれている。

 時代は変わり、誰もがパソコンを手にするようになると、記者は外をほっつき歩くよりも漫然とパソコンに向かっていることが多く、「机にいる」ことがさほど珍しいことではなくなった。その分、いまはデスクという言葉も形骸化した感がある。

 当時は、ラテンアメリカもあれこれと事件があり、例えば、ベネズエラチャベス大統領が軍に拘束されるクーデター騒ぎが起きたり、コロンビア内戦、アルゼンチンの財政破綻に伴う住民暴動などで、私は暮らしていたメキシコから飛行機で現地に入った。 早朝の便で昼ごろ到着し、ホテルにチェックインすると、すぐに取材に出て、夜中まで帰ってこない。晩飯もほどほどにデスクのYさんに電話を入れると、「どうだ?」という話になり、取材内容を伝えると「よし、じゃあ、ルポ用に紙面、空けとくから頼むぞ」と記事のスペースを用意してくれる。日本と中南米の時間はちょうど正反対。私が電話する夜中は、日本で夕刊が刷り上がる昼前か、昼過ぎの頃だ。

 「紙面を空ける」とは、Yさんが紙面の担当編集者に「こんな話で120行(分の原稿)を入れたいから」と頼み、当時はほぼ毎日2ページあった国際面の片側を私のために用意してくれることを指す。

 その時点ですでに夕刊用に一本書いていることも多かったが、早朝から深夜まで動き回っている私はかなり疲れており、シャワーを浴びるとすぐにベッドに入る。

 大体、午前3時ごろ、2時間から4時間ほど寝たところでYさんから電話が入る。「おい、起きたか」「はあ? ああ、どうも」「じゃあ、原稿頼んだぞ」「今、何時ですか」「午後4時だから、あと2時間、遅くとも3時間だな。頼んだぞ」「あ、はい」  ベッドから起き上がり、顔を洗い、歯を磨くと、私は冷蔵庫のジュースをチビチビ飲み、あらかじめ買っておいたスナック菓子をつまみ、パソコンを開いて原稿にとりかかる。

 前夜までの取材内容、つまり新たな知識、人の言葉、それに伴う自分の想念を頭の中で泳がせながら眠りにつくため、夢の中でもすでに原稿の着想が始まっている。それを、起きたてに一気に書き切る作業は、かなりしんどいことではあっても、快感と呼べそうな感覚を自分にもたらす。

 1、2時間で書き上げ、それを読み直し、細かく加筆、削除を繰り返し、東京に送ると、私は再びベッドに入る。翌朝はまた出て行くため、少しは寝たいからだ。そうでなければ、特派員は仕事ができない。翌朝起きれば夕刊の締め切りとなり、一日2回の締め切りの度にダラダラ原稿を書けば、取材時間も寝る時間も奪われる。新聞記者、特に特派員の場合、原稿を書く速度は早くならざるを得ないのだ。

 私はどこでもいつでも寝られるのが取り柄で、原稿を書き終わり、ベッドに入るとすぐに眠る。うとうとしたころ、必ず電話が鳴る。「はい」「おお、起きてるか」「寝てた」「ああ、悪いな。面白いじゃねえか、なかなか。ところで、あそこ、こうしといたけど、いいか」「はい、それでいいっすよ」「お、そうか、じゃあ、寝ろ」「はい」  後にYさんにこう言われた。「お前に電話するの嫌だったぞ、いつも寝起きが悪いから」「そんな悪かったですか」「そうだよ、地獄から這い上がって来たようなしゃがれ声で言い返すから、やりにくかったぞ」

 実際に原稿を書いているのは1、2時間だが、寝入りばなから起きる寸前まで頭は原稿に苛まれている。「地獄」という比喩もまんざら外れてはいないが、日々締め切りを突きつけられている新聞記者に課せられた甘苦い体験と言える。週刊誌や月刊誌、本の場合、こうはいかない。

 ホテルの電話でYさんと短いやり取りをすると、私は再び眠りの世界に落ちる。1、2時間ほど寝ると夜明けとなる。すぐに朝の撮影に向かうと受付が「ファックスが来てます」と、丁寧に折ってホテルの封筒に入れた記事のゲラ刷りを渡してくれる。東京は夜中である。大きな見出しがついた立派な記事になっている。私は少し満足して、表に出て行く。

 少し満足というのは、そこでたっぷり満足しているわけにはいかないからだ。その記事は翌朝には読者のもとに届き、その何分の一かの人たちが珈琲片手に見出しに目をやり、さらに何分の一かの人たちが前文に目を通し、さらに何分の一かが全部を読んでくれる。運が良ければ、それはときにハサミで切り取られ保管されるが、大概は束にされ、古新聞として始末される。いずれにしても、記事の寿命はそう長くはない。だから、次の記事を書かなくてはならない。新聞記者はそうそう満足などしていられないのだ。  

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)