自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

ある悪意のスケッチ

2014年5月号掲載

毎日新聞地方部編集委員藤原章生(当時)

 

 先日、ちょっと嫌な事があった。トラブルというほどではないが、後味が悪かった。腹が立つ半面、物を書く仕事をしていると、こういう事はちょっと嬉しい。人間を考えるための、生(なま)の、珍しい題材に出くわしたからだ。

 3月下旬のこと。郡山で親しくなった富岡町出身の被災者、60歳の志賀さんが「カニピラフの会をやろう」と言いだした。彼が暮らす仮設住宅にボランティアに来ている熊本出身の40代の女性、薫子さんと私の3人で、郊外にある「メヒコ」という店に名物を食べに行こうという話だ。いわき市のオーナーがチェーン展開する店で、おいしいピラフを食べたまでは良かった。

 3人でカラオケに行こうという話になり、行きつけのスナック「アムール」に、志賀さんが電話で予約した。60代のママが優しく、良心的な店で、私も仮設の人達と何度か通っていた。

 店に着くと、私の携帯電話が鳴った。就職活動をしている長男からだ。日本語がうまくないので、企業に送る申請書、エントリーシートを書く際、英語で下書きし、それを訳しているのだが、日本語が今一つなので、ちょくちょく電話で「これでいいか」と聞いてくる。5分ほど外で話し、一人遅れて店に入ると、普段と違う雰囲気を感じた。気のせいかもしれないが、緊張というか少し嫌な空気があるように思われた。

 平屋の店には玄関から見て手前に4人掛けのソファが4つ、奥に7人座れるカウンターがあり、ママが一人で切り盛りしている。志賀さんと薫子さんはカウンターに近いソファに向いあって座り、手前のソファに中年男女が3人、奥のカウンターに男女6人がいて、私達以外は近所の常連のようだった。

 仮設の住人の貸し切りしか知らなかったので、見知らぬ客同士の組み合わせは珍しいことだった。その巨漢から大人(たいじん)という雰囲気の志賀さんも少し緊張し、遠慮しているように見えた。

 嫌な感じは、カウンターの男たちの視線だった。遅れてきた私は軽く会釈したが、みなどこか顔が強張り、無表情を装っていた。まだ誰も歌っておらず、テレビで外国人が日本の曲を歌う番組がかかっていて、人々はほめたり、けなしたりしていた。そのうち、その乗りで、「おたくはどこ?」といった出身の話になり、私達の隣の男性がたまたまなのか「俺は(郡山の)富田」「私も富田」と地元出身を強調しているように見えた。浜通り出身の志賀さんは、その方言から仮設に暮らす被災者であるのは明らかなのに、あえて「カンボジア」などと言って、周りからおあいそ笑いをとっていた。

 するとまた私の電話が鳴った。店の片隅に行きメモをシャカシャカとって、また座席に戻ると再び電話が鳴るといったことが続き、人々が何曲か歌い終わったころ、ようやく自分の歌う曲を入れた。

 皆が順番に歌い切った辺りで、私の番が回ってきた。リクエストされた曲は画面にリストが映るため、確認できるようになっている。すると、カウンターにいた40歳前後のキツネ目の男がチラッと私を見て、「次は俺だな」と声を上げ、イントロが始まる前にさっとマイクを握り、私の歌をとってしまった。

 同じ曲を入れたのかと一瞬思ったが、その後のリストに私の曲はない。おかしいと思ったが、まあ、いいかと別の曲を入れたら、ママが来て「歌わないの」と言うので、「いや、入れたけど、歌われちゃったから」と言うと、「あら、やだ」とけげんな顔をし、私が新たに入れた曲を次にかかるよう操作してくれた。

 すると、先ほどの男が「ちょっとすみません、曲入れたいから」とやってきて、何か素早い手つきで私達の席のリクエスト用の機械、タッチパネルを操作すると、カウンターに戻って行った。イントロがかかり、私が歌い出すと、どうしたことかいくら合わせようとしても音程が合わない。歌っていると微妙に音がずれていく。おかしいと思って、カウンターを振り返ると、例の男がスマートフォンをしきりにいじっている。間奏は普通なのだが、歌い出すとまた音程が狂う。同じ曲を同じ店で何度か歌っており、こんなのは初めてだった。私の下手な歌で場は白け、座席に戻るとまた電話が鳴り、結局、私は早めに引き上げねばならなくなった。

 その晩はそのまま寝たが、翌朝、気になり調べてみたら、タッチパネルの音程やボリューム、選曲を遠隔操作できるスマホのアプリがあることがわかった。

 やはり、あの男が何かしたのだ。

 数日後、志賀さんと店に行った時に聞いてみると、ママは「あの人は滅多に来ないけど、そういう事をする人だ」と申し訳なさそうな顔をした。それだけで断定はできないが、自分の目の前にタッチパネルがあるのに、あえて我々の席に来て操作する理由は見当たらない。

 別にその男を問い詰める気はないが、私は動機が知りたかった。

 地元の常連ばかりの席に、仮設暮らしの大男と、出身地不明のきれいな女性、そのあとに、いかにも都会から来た風情の男が加わった。男はスナックなのに妙に忙しそうに電話ばかりしている。「気に入らねえ」ということだろうか。それとも私を一目見て、嫌悪感をおぼえたのか。

 そんな感情は誰にでもある。被害というほどでもない。だが、気に食わないと思っても、普通はそこまでだ。相手の気分を害すため、あえてあのような行動を起こす人間の悪意に私は驚く。単に私が無邪気なだけなのか。

 それは感動的とさえ思える、人間行動の一こまだった。

 

●近著紹介

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新聞社の特派員としてアフリカ、ヨーロッパ、南米を渡り歩いてきた著者は、差別を乗り越えるために、自身の過去の体験を見つめ、差別とどう関わってきたか振り返ることの重要性を訴える。
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