自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

戦場報道のマッチョとうつ(その3)

2013年11月号掲載

毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時)

 

 1995年、南アフリカに暮らし始めて早々、当時はまだザイール(キコンゴ語で川の意)という名前だったコンゴに出張した。空港に着いた途端、税関職員のゆすりに遭い、首都キンシャサには飢えが広がっていた。大暴動で、かつてあったアメリカのゼネラル・モータースの工場は跡形もなく、鉄骨の太いH形鋼までむしり取られ、幹線道路の歩道橋も橋脚のコンクリートだけを残し材料の全てが盗み取られていた。

 道路と歩道を隔てるコンクリートブロックからマンホールの蓋、何から何まで金目になるものは全て住民の手で奪い去られ、五百万人が暮らす大都市はどこも停電状態だった。リンガラという乾いたギター音が特徴のリズム感のある音楽の本場なのに、スピーカーから何ひとつ音はせず、苦しげに眉間にしわを寄せ、官憲に奪われるため、何一つ持たずに歩く群衆の姿があった。

 それが私の最初のアフリカだった。平気なふりをしていたが、ショックを受けた。これほどひどいとは思っていなかった。

 ほどなく内陸の高地で戦況が悪化し、私はその国にのべ3カ月ほど滞在し、前線を追いかけ、遺体を見続ける作業に追われた。戦争と飢餓、難民を報じたわけだが、嫌々そこにいたわけではない。やはり、最後まで植民地にならずに残った未開の地、英エコノミスト誌に「コンゴは国ではない。アフリカの穴だ」とやゆされるコンゴを私は好きになった。

 一見、気のよさそうな顔をした少年たち、老若男女が何かをきっかけに突然、群集のエネルギーを発し始める。何かが発酵し始めるときの甘酸っぱい匂い、臨界点を超えた瞬間の熱の高まり、その微妙な空気の変化を私は恐れた。

 「ムズング(外人)がいるぞ!」「メルセナリ(傭兵)だ」   誰ともなく号令がかかり、群衆の無秩序な動きに微かな法則性が生まれ、その力がど真ん中にいる異物へと、すさまじい速さで向かっていく。幾千ものミツバチがスズメバチを押しくらまんじゅうのように取り囲み高熱で溶かしてしまうような人の群れの殺戮力。中にいる私はスズメバチの強靭さを備えていない。まるで幼稚園に初めて連れてこられた、目を上げることも出来ない弱々しい小動物にすぎない。

 衣服をむしられ、殴られ、群衆の袋叩きに遭う中で感じたのは、何も武器を持たず、何の悪意もないような素朴な人間の暴力、「戦争能力」の激烈さだ。私が群れに揉まれていたキンシャサの街では、同じとき、フランス人2人と中国人1人がなぶり殺されている。

 死から逃れようともがいていたとき、自動小銃が立て続けに鳴り、群集の圧力は一気に緩んだ。その間隙をついて、私はよれよれになりながら、海におぼれた者が脚をもつれさせ浜にたどり着くように、表通りに「座礁」した。首都に進軍してきたゲリラ勢が景気づけに撃ち放った連射音に救われたのだ。

 そんな経験を何度か繰り返し、運よく死なずにすんだからだろう。私は戦場にいる自分をあえて書かなかった。自分を意識すればするほど、マッチョな方向に向かっていく。私はここにいる。私がここで見ているんだというマッチョな気分。それを書くことの無意味さ、そこにいる自分に重きを置くことを私は極端に嫌った。ティッシュペーパーをバーナーであぶったように一瞬で燃え上がる暴動。そこに巻き込まれたよそ者は、砂漠の中の砂粒か、森の中の枯れ葉一枚にも満たない小さな存在だ。その砂粒を描いたとして、大海原の何が変わるというのか。

 見たものを淡々と描写すればいい。自分を透明にし、ただの石ころになって通り過ぎていったものを淡々と。私は早い段階で、そう思わざるを得なかった。

 2001年、今から思えばつかれたような執筆作業の中で、私はコンゴでの経験をほとんど書かなかった。その一冊を出したら、もうアフリカの本を書く気はなかったし、実際、その後請われてもアフリカについてまとまったものは書いていない。自分が見たアフリカを、決して消えてほしくない記憶をそこに留めようとしたにもかかわらず、真正面からコンゴと格闘しなかった。

 一つには、アフリカと言えば内戦、飢餓、虐殺といったステレオタイプのイメージを消したいという、アフリカを知る者なら誰もが抱く野心からだ。その三拍子がそろい、一度として戦争が止まらない国のことをあえて、何も知らない日本の読者にさらす必要はないのではないかとも思った。

 だが今、はっきり言えるのは、そのときの私は単に戦争体験を書きたくなかったのだ。見せたくなかったのではない。書けなかったのだ。戦争を知ったことで、繊細なセンサーを身につけてしまった私は、精神面で何らかの傷を受けていたのではないかと思う。

 ある夕暮れどき、コンゴルワンダの国境で私はひどく落ち込んだ。落ち込み、暗くなり、穴に入り込みたい、身をすっぽりどこか、誰の目もない小さな閉所に押し込んで、ずっとそこに収まっていたい。そんな気分に陥り、車の中で一人隠れていたことがあった。

 それは何年かに一度、過去にも何度か私を襲った一種のうつ状態だった。

(この項つづく)

 

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