自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

佐藤愛子さんと会う(その3)

2013年1月号掲載

毎日新聞夕刊編集部記者/藤原章生(当時)

 

 インタビュー記事が『毎日新聞』に載ってしばらくして、佐藤愛子さんからはがきが届いた。今度、またゆっくりとおしゃべりに来て下さいと書かれていた。

 佐藤さんは89歳なのにとても若々しく、よく笑う愉快な人だ。時にずけずけと好きなことを言い、ちょっとしつこい感じの語り口も楽しく、私は是非にと、再び世田谷区太子堂のご自宅を訪ねた。

 いま『オール読物』に連載している、別れた夫の心の奥底を探る小説「晩鐘」の話を中心に2時間半ほど、いろいろとおしゃべりをする中で、やはり作家だなあと思う瞬間があった。話はこんな風な世間への愚痴、ぼやきから始まった。

 「本当に最近は、記者も編集者もダメになったわね。自分でものを考えないんですよ。世間だか世の中が求めているもの、なんだか知らないけど流行っているものをただ表面的に追い掛け回せばいいと思っているんです」

 これは私も、自分を差し置いて日々痛切に感じることだ。あれが流行っている、あの人はいまが旬だと言っては、その中身も吟味せずにメディアが繰り返し取り上げる。それを見た記者や編集者が「へえ、流行ってるんだ」と改めて取り上げ、それを見た人が……となんだか意味もなくランキングが上がり、みなが同じもの、同じ有名人を追いかけるという、うんざりする現象だ。

 「この前も、『婦人公論』の編集者から電話があって、正月号の巻頭インタビューに出てくれって言うんですよ。私はもう年だし、物を書くのが仕事だから、何でもかんでも出るのは嫌だって断ったんです。だけど、しつこいの。それでテーマは何かって聞けば、『2013年の幸福』だなんて言うんです」

 「最近、多いですね。幸福論が」

 「そう。なんなんでしょうね。幸福、幸福って。だから言ってやったんですよ。幸福ってのは毎年、変わるんですかって。2012年の幸福、2013年の幸福って」

 口の端を少しつり上げ、ちょっと意地悪そうな顔をしてこう続ける。

 「そしたら、いや、とにかく、そんなことでもいいから、幸福について語ってほしいって言うんです。最後は編集長が電話に出てきて頼むから、『おたくの雑誌の企画はいつも安易なんですよ。それで、編集者が原稿にしても、結局こっちが真っ赤になるくらいまで直さなくちゃならないんですから、端からやりたくないんです』って答えたら、その編集長が『わかりました。では、私がインタビュアーでもだめですか』と聞いてきて、そう言われたら、もう断れないじゃない」と渋々、応じたそうだ。

 そんな前置きのあとで、佐藤さんはこんな話をした。

 「幸福なんて言うけど、人は、自分はいま幸福だ、なんて思うかしら。幸福の中にいるとき、人は自分が幸福だなんて気づかないんじゃないかしら。うちに若いころからもう何十年も来てくれてる植木屋の旦那がいるんだけど、もう白髪頭の、その人がこの前、20歳くらいの息子を連れてきて、庭で仕事をさせていたんですよ。私は二階の書斎から見ていたんですけど、植木屋の主人は、ちょっと厳しい声で『そうじゃない。こうだ』とか『そっちはいい、こっちだ』とか息子にあれこれ教えてるのね。私、あれを見てて、その旦那に言ってやりたくなったの。『あなたは、自分では気づいていないけど、いまが一番幸福なのよ』って。自分が長年かけて身につけてきたことを、実の息子に教えられるってことが」

 どうしてだか、佐藤さんが語ると、そのときの光景、白髪頭の植木屋の後ろ姿が私の前にありありと浮かんでくるように思えた。

 そう思えたのは、彼女がどこか頭の片隅で自分はほどなく死ぬと思い込んでいるからかもしれない。

 佐藤さんは、前回お目にかかったとき、1年ほど前の出来事を話してくれた。一人何気なく自宅の庭を眺めていたとき、若いころ、先生に言われたある言葉を思い出したという。何の脈絡もなく、記憶がふっとよみがえってきた。それは、50代のころ霊的なことで苦しんだ佐藤さんを指導し、救い上げてくれた宮内庁詰めの神道家、相曽(あいそ)誠治氏(1910~99年)の預言だった。

 「『佐藤さん、90まで生きますよ』と相曽先生がおっしゃったのを思い出したんです。すると、じゃあ、あと2年しかないと思ったんです。それを聞いたときは50代で、40年も先のことだと思ったのに、もうすぐだと」

 見たところ、とても健康で元気そうだが、佐藤さんは本気で師の言葉を信じているようだった。だからなのか、「いまが一番幸福なのよ」という佐藤さんの言葉は、私の中に、とても深いものを残した。

 「別の話だけど、東北の町で汽車に乗っていたとき、隣の座席に女子高生が2人向かい合って座って、『ああ、あしたの試験、嫌だなあ』なんて言いながら、勉強しててね。同じ教科書の同じページを開いて。窓の所に『ポッキー』が置いてあって、それをつまみながら『ああ、こうだったっけ、ああだったっけ』なんて言いながら、勉強してるの。それで駅についたら一人が降りていって。見ると、ポッキーがなくなってたから、きっとその子が買った物だったのね。残った一人はまだ教科書を見てて。次の駅に着いたら、その子も降りていって。その後ろ姿を見ながら、私、やっぱり声をかけたくなったの。『あなたは、今が一番幸せなときなのよ』って」

 幸福とは、そんなほんの一瞬、プラットフォームを歩き家路につく女学生の肩のあたりに、ほんの一瞬、漂っては消えていくもの。こうふくという音が醸し出すように、そこには移ろいゆく季節のような、はかなさが伴っているのだろうか。

(この項おわり)

 

●近著紹介

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いつ、どこで生まれるのか。
死にかけた人は差別しないのか──?

新聞社の特派員としてアフリカ、ヨーロッパ、南米を渡り歩いてきた著者は、差別を乗り越えるために、自身の過去の体験を見つめ、差別とどう関わってきたか振り返ることの重要性を訴える。
本書では、コロナ禍の時期に大学で行われた人気講義をもとに、差別の問題を考え続けるヒントを提示。世界を旅して掘り下げる、新しい差別論。