自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

故郷(その3)

2013年5月号掲載

毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時)

 

 小学校6年の秋だった。今はもうない、ねずみ色の立派な洋館、日比谷映画で『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』(1973年)を見た。当時、親に放任され、ませた子どもだった私は、クラス中から長期にわたり無視、今でいう心理的ないじめにあっていたのも手伝い、日曜になると3本立ての映画を見に銀座や新宿、渋谷をひとりほっつき歩いた。

 隅から隅まで読んでいた月刊誌『ロードショー』や『スクリーン』で「アメリカで撮りたての西部劇」が来るのを知り、見たくてたまらなくなったのだろう。小遣いをかき集め、ロードショーで封切られたばかりの作品を見に行った。

 講堂のような映画館の門の上にあった巨大な看板には、やけにオレンジ色の濃いパット・ギャレット役のジェームス・コバーンのひげ面があった。ビリー・ザ・キッド役のクリス・クリストファーソンは黒皮のチョッキ姿がかっこよく、両手を横に広げ、日差しがまぶしそうな情けない顔をしていた。

 そのころは映画館にいる限り、何回でも見られたので、私は空腹を我慢しながら、2回続けて見た。終わってからもなかなか帰りがたく、赤絨毯のロビーにあった、どこから持ってきたものか、西部劇時代を思わせる革製の鞍を飽きずに眺めていた。

 監督は暴力シーンがうまいと評判だったサム・ペキンパーで、スローモーションを多用したリアルな銃撃映像をよく覚えている。でも、そのときはアクション映画を楽しむというより、もう少し叙情的な場面に心を引かれた。特に、馬でひとりで逃げ続ける主人公のバックに流れる、それまで一度も聞いたことのない投げやりな感じの歌に私はみせられた。

 映画にもナイフ投げの名人としてちょい役で登場するボブ・ディランが音楽を担当し、生ギターの乾いた音とハーモニカで弾き語る挿入歌が、バージョンを少し変えながら何度も流れる。

 日比谷映画の大画面の前で私はかなり感動していた。ボブ・ディランという名はどこかで聞いたことがあったが、歌手の名だとは知らなかった。「あれがボブ・ディランだ」と隣で立ってみていた大学生くらいの大人がつぶやいたときも、何のことだかわからなかった。

 ただ、草がたなびく荒野を夕日をバックに、大画面の右から左へと馬で走っていくビリーの影絵に、聞いたこともない荒っぽいアライグマの鳴き声のようなしゃがれた声が妙にマッチしていた。

 「ビリー、ユア・ソー・ファーラウェイ・フロム・ホーム」

 荒野でひとり野宿するときも、銃を手から放さず、片目を開けたまま眠るお尋ね者のビリー。「ビリー・ユア・ソー・・・」と何度も繰り返されるフレーズの下には、「ビリー、故郷からはるか遠く」という字幕があった。

 「ビリー・ユア・ソー・ファーラウェイ・フロム・ホーム」

 涙を流すことはなかったが、しびれるような気分でビリーに同情し、21歳、大人になってほどなく死んでいく彼の孤独に、6年生の少年はひかれた。

 もしいま、初めてこの映画を見たとしたら、きっと私は感動どころか、何も感じないだろう。でも、まだ脳の中に多くが蓄積されていないからか、こどもの吸収力はとてつもなく強い。

 すっかりはまってしまった私は、A面がヒットした「天国の扉」、B面が「ビリー4」のシングル盤のレコードを買い、家の小さなプレイヤーでB面ばかりを繰り返し聞いた。そして、「故郷からはるか遠く」というフレーズをしっかりと頭にすり込んだ。  その後、結婚して妻が「ボブ・ディラン、嫌い」と言いつのり、断念するまで、彼の曲を聞き続けたり、観光客など誰も行かないメキシコのドゥランゴというサソリで有名な町にわざわざ足を運んだり、その後の人生を左右する方向転換は、あの映画から来ている。

 ビリーは結局、最後は夜陰にまぎれ故郷に戻り、ずっと待ち伏せしていた保安官に撃ち殺される。ただそれだけの物語。

 実は、ほんとうのところ、当時の私にもいまの私にもこのフレーズの意味がよくわかっていない。

 ファーラウェイ・フロム・ホーム。

 故郷から遠く離れた、とはどういうことなのか。どういう心理状態なのか。

 詩人のランボーエチオピアで商人をしていた晩年、病をおして何とかフランスの故郷にたどり着くが、ほどなく息を引き取る。

 作家、J・M・クッツェーの作品『マイケル・K』の寡黙で孤独な主人公は、いまわの際の母の願いを聞き入れ、買い物用のカートに彼女を乗せ延々と歩いて故郷を目指すが、母は途中で死んでしまう。

 安部公房の『けものたちは故郷をめざす』の少年は、極寒の大陸をひとりで走り抜け、ようやく日本に帰れる段になったところで、たった一枚の鋼鉄の壁にぶち当たり、故郷にたどり着けない。

 なぜ、人は故郷をめざすのか。

 苦学の末、国文学者となった高野辰之(1876~1947年)は膨大な研究書を著すかたわら、「故郷(ふるさと)」をつづった。

 「こころざしを 果たして いつの日にか 帰らん 山は あおき ふるさと 水は清き ふるさと」

 故郷などあるのだろうか。日比谷映画に差し込む光の中で輝いていた鞍も、日比谷映画そのものもすでにない。人の心の中に故郷があったとしても、現実にはどこにもない。それなのに、なぜ人は故郷に帰らん、と思い続けるのか。

 決して帰ることができないとわかっているからではないのか。

 そんなことを思いながら、この4月、私はただ生まれただけの「故郷」、福島県に50年ぶりに帰ってきた。

 

 

●近著紹介

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)

心に貼りつく差別の「種」は、
いつ、どこで生まれるのか。
死にかけた人は差別しないのか──?

新聞社の特派員としてアフリカ、ヨーロッパ、南米を渡り歩いてきた著者は、差別を乗り越えるために、自身の過去の体験を見つめ、差別とどう関わってきたか振り返ることの重要性を訴える。
本書では、コロナ禍の時期に大学で行われた人気講義をもとに、差別の問題を考え続けるヒントを提示。世界を旅して掘り下げる、新しい差別論。