自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

原子力から浮かび上がる日本人

2015年4月号掲載

毎日新聞夕刊編集部編集委員(当時)/藤原章生

 

 「原子力を知るってことはね、日本の文明を知るってことだよ」。中村政雄さんにそう言われたとき、一瞬、えっ? と思ったが、多分そうなんだろうと妙に納得したのを覚えている。

 それは一昨年、2013年秋のこと。長年、読売新聞で科学専門の論説委員をしていた80代の中村さんが「仙台で講演があるから、帰りに君と話がしたい」と、私が暮らす福島県郡山市を訪ねてきた。九州大学工学部を出た中村さんは60年代に記者になり、最初の配属先が東海村に近い水戸だったため、以後原子力を取材し、定年後は一時、エネルギー関係の機関で働いていた。

 政府決定を追認するだけの存在に堕ちた原子力委員会について「神様のいない神棚」とうまい比喩で批判するなど、厳しい意見を書いてきた人だが、単なる推進派とみられ、反原発派からは「御用記者」と呼ばれたこともある。私は新聞記者になる直前の1988年、叔父に紹介されて以来、親しくさせてもらってきた。

 小料理屋の個室を予約し、軽く一杯飲みながら、いろいろな話をした末、原発の話になった。私は、「いずれ、森一久さんの評伝を書きたいんです。だから原子力の歴史を勉強しないと」と話し、森さんとの出会いをあれこれ説明をした。

 森さんはノーベル物理学賞を受けた湯川秀樹の弟子で、京都大学時代に広島で被爆し、家族5人を失った人だ。戦後は中央公論でジャーナリストとなり、30歳のときに原子力界に移り、生涯を原子力推進に捧げた人だった。

 私は2007年1月、湯川氏の生誕100年の記事を書く際、たまたま知り合ったが、イタリア滞在中の2010年、ファックスで森さんの死の知った。森さんの語り口や風貌がよみがえり、帝国ホテルの喫茶室で突然、私の前で嗚咽を漏らしたときの光景がまざまざとよみがえった。

 そんな話をすると、中村さんは少し心に響いたのか、あれこれ森さんの思い出を語った末、こう言った。「森いっきゅう(一久)はね、原子力村のドンだよ」

 森さんの本名は「かずひさ」だが、親しい人たちはほぼみな「いっきゅう」と呼んでいた。「彼も私も酒を飲まないので、プライベートなことや心情を話すことはまずなかった」という関係だったが「とにかく頭が良くて、左から右まで人脈が広くて、よく勉強する人だから尊敬し、親しくさせてもらっていた」という話だった。

 「ドン、ですか」と聞くと、こう答えた。「うん、ドンだね。日本の原子力を動かしてきた。まあ、本人には権力も財力もないし、名誉欲なんてものとは無縁な人だったけど。それに彼がいた原子力産業会議なんてのは、森さんがいなけりゃ何の意味も存在感もないところで、初期のころは政策づくりや外国情報、いろいろな提言で重要視はされてけどね。段々と役所も電力もメーカーも自分たちで情報集めるようになったから、大会なんか開いてもほとんど書くべきことはなかった。ただ、森さんはその人脈がすごいから、省庁も何かを決めるときは『森さんに一応断っとけ』『森さんに聞いてみよう』といった存在にはなってたってんだね。あの人はまあ、黒田官兵衛みたいな軍師、策士だな。城を持たない城主だね。金も権力もないから、例えば東電を動かそうとする場合、自分で乗り込んでいってがんがん言うなんてことはしない。産業会議は東電なんかの協力金でもってるところだから、そんな偉そうなことはできない。どうするかって言うと、役所や新聞記者、メーカーの社長らいろんな人脈を使って、外堀から動かしていくんだ。あらゆる人を呼びつけて『これはこうしなくちゃだめだ』って説得して、その気にさせて、東電を包囲していくわけだな」

 私が森さんと知り合い、ともに調査をしたり語り合ったりしたのはもっぱら湯川秀樹の過去だった。森さんは原子力の一機関にいた、くらいの知識しかなかったため、森さんの活躍ぶりは知らず、「ドン」という言葉が意外だった。生涯、裏方、何かを動かす際の「黒衣」に徹した人だったため、原子力史に名前が出てくることもほとんどない。  森さんの妻、禮子さんに「あの人物の実像をつかんでください」と評伝執筆を頼まれてはいたが、それほどの人物だと知ったのは、そのときが初めてだった。 これはかなり本格的に勉強しないとダメだ、と私は思った。

 そして去り際に中村さんは私を激励するため、こう言った。「原子力を知るってことはね、日本の文明を知るってことだよ」

 文明。そもそも日本に文明などあるのだろうか。中村さんはなぜ、文化ではなく、文明と言ったのか。

 「例えば、契約って言葉ひとつとっても、日本には契約って概念がないんだな。ヨーロッパなんかだといろんな民族が集まってるし、植民地もずっと持っていたから、契約は絶対なんだな。それをしないとやられちゃうからね。契約しないと何も始まらない。でも、日本の場合、原子力については、事故が起きたときはどうするのかといった契約一つまともにせずに、まあ、みんなやってるから、国がやれっていうし、アメリカの大企業が来るんだから大丈夫だろう、ってくらいの気持ちで産業界が一気に動いたんだね」

 今回の事故責任についても、いまだに大きな議論にはならない。東電の怠慢という程度で片付けられてしまいそうだ。その辺のあいまいさ、「まあ、そんなことより先に進みましょう」という、なんとなくことを運んでいくような体質が「文明」なのか。

 森さんが最後ははじきとばされた原子力界。確かに、そこには、子供じみた学閥や、小さなポストを争う権威主義、責任の所在を無限に広げ薄めていくシステム、あるようでないシステムの中枢など、日本人、日本社会ならでは特徴が実によく表れている。  

 

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