自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

秋田での出会い(その2)

2015年2月号掲載

毎日新聞地方部編集委員藤原章生(当時)

 

 2014年11月末、選挙取材の応援で秋田市にいたとき、県立美術館の展覧会「てさぐる」で鎌田順子さんと知り合い、館内のカフェで話を聞いた。視覚障害者が展示品を触りながら、健常者を案内する趣向をどう思ったか聞いてみた。というのも、会場の一部屋は真っ暗だったが、全体が明るいため、チラシにあるような、感覚の「ゆらぎ」を感じなかったからだ。

 「感覚がほんの少しわかったような気がするが、それは本当に『ほんの少し』にすぎない。会場すべてを暗い部屋にした方が良かったのでは?」と感想を書いたと話すと、「そうそう、そうなんですよ」と応じた。

 「みんな、『視覚障害者の感覚がわかった』とかって言うんだけど、本当かなって。そんな簡単にねえ」。見学者はアイマスクをするとか暗い所で一緒に体験するのかなと思ったら、『それは違う』って言われて、私もちょっとよくわからなくて」

 高校まで県南部の横手市で暮らし、東京の大学に入り就職した。「化学素材の一部上場メーカーで、企画広報にいたんですけど、30歳くらいで視力が落ちてきて、お店の販売員になったんですけど、視力低下がひどくて。進行性の病気なんで、今はもう色もわからなくて、ぼんやり光しか見えなくて」

 カフェは秋田城に面した細長い部屋で、蛍光灯が窓際に一直線にすえられている。 「光が線になってて、窓が四角いのとか、光がそこでカクッと曲がっているのはわかるんですけど」

 網膜色素変性症という難病だ。「網膜の病気なので、カメラで言えばフィルムの部分で、レンズの部分や視神経は問題ないんですけど、神経細胞が少しずつ死んでいくんです。まだ治る薬はないので、網膜再生しか道がないんです。iPS細胞が実用化されれば、戻るかもしれないんですが」

 私の米国の友人も若い頃、突然見えなくなり、ストレスがひどかった話をすると、「段々文字が見えづらくなって、仕事ができなくて実家に戻ったんですが、私もすごく落ち込みました」と応じた。「人前に出るのに、白い杖を持って外に出られなくて。恥ずかしくて家でじっとしてて。それでも視覚障害者の会に行ったら、みんな明るくて、私と同じ悩み持ってて、そういう人に励まされて、同じ生きるなら暗いより、明るくしている方がいいと、気持ちを切り替えて」

 白い杖がネックになるとは知らなかった。「農村ほど、田舎ほど障害者に偏見があるので、家の周りでは出さずに、街に出て杖を出してました。杖を出せるかどうかが一番のハードルだって、よく乗り越えたねって言われるんですが、悪くなってから2、3年かな。早いって言われるんですけど、性格的にも明るいので、しょうがないなって思って」

 横手市の親元を離れ、秋田市にある秋田盲学校で鍼灸、マッサージの資格を取った。「学校に入ったのが38歳位だったんで、勉強が大変で、医学用語とかさっぱりで、大変だったんです。鍼灸は実際やってみるとまだまだ勉強の連続で」

 盲学校では野球部のピッチャーになり、東北大会で優勝し、40歳になった年、弁論大会の東北大会で優勝した。

 「秋田で選挙取材をしてるんですが、あまり興味がなくて」と私が打ち明けると、「私もそうなんです」と少し気まずそうな笑顔を見せた。

 私は、彼女から障害者としての要望や福祉のことを聞きたかったのだろうか。そうではない。ただ話がしたかっただけだ。展覧会の帰り道、「もっと話を」と思ったのは、記事にするためでもなかった。では、なぜ? そんなことを考えていたら、彼女は何かを察したのか、ひとりで話し始めた。

 「福祉はそんなに困ってないし、障害者なんでこうしてほしいとか主張する人は多いけど、共存しなくてはいけないので、強く主張するのは反対なんで……、主張すべきことは主張するけど、引くことは引くし、あまり言わないようにしているんです。若いときから政治に興味がないんです」

 何かを思い出したようにこう言った。「私は旅行が好きでよく行くんですけど、『目が見えないのに旅行して何が楽しいの』って言われるんです。そういうのが差別だと思いますね。見えなくても匂いや触ったりできるし、楽しいんだよって」

 私は10年前に出したアフリカを舞台にした本で、タンザニアの砂漠で政治犯として幽閉され、目を患い、36年ぶりに故郷ルワンダに帰る老人の話をした。ルワンダの森に入ると、老人は匂いと湿り気で故郷を感じた。

 「そう、健常者よりも色々感じると思うんです。見えない分、細かいことを覚えてるんです。おととしはロンドンで二階建てバスに乗って、そのときの風をすごくよく覚えてたり。人の声も、声の感じで、この人嘘ついてるのかなってわかるんですね。ニコニコ笑ってても違うって」

 旦那さんのことかなと思ったが、失礼だと思い聞かなかった。

 別れの挨拶をすると、「あ、そうそう」と口を開いた。

 「秋田市でいつも悲しい気持ちになるのは、音響信号のないところで、一言『青ですよ』って言ってくれればいいのに、みんなさっさと渡っていくのよ。なんで秋田の人って、言えないのかなって」

 「恥ずかしいのもあるし、下手に手伝ったら失礼だと思うのもあるんじゃないですか」と応えると、合点のいった顔をした。「そうか、秋田の人はシャイなんで、わかんないときは自分で声をかけたらいいんですね」

 それが縁で、彼女の友人たちとカラオケに行ったり卓球をしたりしながら、秋田のことを随分教えてもらった。一度、誘われてスナックに行ったが、なんとなくそれ以上近づいてはいけないような気がして、私の長い出張も終わり、それきり会うことはなかった。

 

●近著

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