自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

戦場報道のマッチョとうつ(その2)

2013年10月号掲載

毎日新聞郡山通信部長/藤原章生(当時)

 

 1989年、新聞社に転職した私には戦場に行きたいという願望が少なからずあったが、それはやはりマッチョ的な動機に基づいたものだった。そして、偶然、幸運が重なり、95年から2001年まで、新聞社のアフリカ特派員として、アパルトヘイト(人種隔離)が終わったばかりの南アフリカヨハネスブルクに暮らすことになった。

 世界中の紛争地、戦場を周った人々が口にするように、日々の報道をする上でアフリカはもっとも危険な地域だ。一般人による暴動が突発する無秩序や、前線までのアプローチの長さなど下準備も含め非常にやっかいな場所と言える。だが、戦争報道をなりわいとする者は住民が逃げてくるのと入れ替わりに火事場に向かう。危険の度合いが高まるのは当たり前の必要条件で、それは炭坑や原発に勤める人の危険が高いのと同じで、対象の戦争を語ることにはならない。取るに足らない些細なことと言える。

 むしろ、次の二つの事実がアフリカを強く特徴づけている。

 ポルトガル、英仏独より遅れてアフリカを手中にしようと躍起になった欧州の小国、ベルギーの国王による強引な植民地経営。それを機に広がった19世紀末の部族紛争からこの方、一度として内戦、広い意味での戦争が止んだことのない国、コンゴ民主共和国(旧ザイール)。

 1994年の3月間で80万人が、大量殺戮兵器ではなく自動小銃や手榴弾、マチェテ(蛮刀)、棍棒など手持ちの武器で殺され続けたルワンダ大虐殺。第二次世界大戦後、一国内での殺戮速度では最高記録であり、その原始的な手法による殺人規模は人類史上類を見ないものとなった。

 二つの事実からわかるのは、遅れた前近代的な部族社会にすぎないという偏見ではアフリカはとても語り切れるものではないということだ。一つはっきりと言えるのは、アフリカは戦争を引き起こすポテンシャル、「戦争能力」とでも言うべき人間のエネルギーが極めて高い土地、ということだ。

 1世紀半以上という持続性、人口わずか500万人(当時)の国で月平均26万人という殺人数。その中に身を浸し、垣間見るという形であっても戦争にかかわる報道者たちにヒロイズムなど生まれようもない。マンデラや白人傭兵など戦争当事者の物語はあっても、アフリカには中米を舞台にしたアメリカ映画のようなマッチョなカメラマンのお話は生まれない。生まれたとしても、それは、その地から離れた者の述懐という形で、ひどい虚脱感、無力感に覆われたもので、見る者に活劇的な爽快さをもたらすことはない。

 2001年9月11日、米同時多発テロが起きたとき、私は東京の新聞社にいた。世界のニュースを扱う部署で紙面を作る仕事をしていた。その日はたまたま人が少なく、同僚2人と晩飯を食べ終え、「きょうはずいぶん静かだな」とのんびりしていたときだった。つけっぱなしにしているCNNテレビに高層ビルが映った。何だろうと思い、テレビの脇に立った瞬間、鉄板と鉄板がぶつかり合うような「パーン」という破裂音がした。2機目の旅客機がツインタワーに突き刺さった音だと後で知った。職場は大騒ぎとなり、その瞬間から私はひたすらニュースを翻訳する作業にたずさわった。

 さまざまな想像が走り回り、私は暗い気分に陥った。  米軍はすぐにアフガニスタンを攻める。国境警備を厳しくする。メキシコとの国境のように空港にも高い「壁」を築き、外国人はアメリカに入りづらくなる。外国人嫌悪が広まり、ぎすぎすした時代、一度緩みかけてきた異文化への疑心暗鬼、憎しみ、差別、偏見が、サイクロンのような勢いでぶり返す。

 目の前の自分の仕事をこなしながらも、私はアフリカを思っていた。そして、そのとき初めて、アフリカを書かなければならないと思った。

 アフリカで見たものが時代の奔流にかき消されてしまうという焦りもあったが、それだけではない。戦争について、あるいは戦争に巻き込まれていく人間を書かなければならないという強い義務感が突き上げてきた。そんな感覚は初めてだった。書かねばならないという衝動は怒りに似ていた。

 翌日から私は寝る時間も惜しんで書き続け、4カ月で草稿を仕上げた。後にも先にも、あれほどの勢い、集中力でものを書いことはない。ものを書くのに必要なのは時間でも締め切りでもない。書き手を突き動かす動機、義務感なのだ。

 ところが、蓋を開けてみると、私は戦争や暴力を伴う差別、何の罪もない者をも巻き込んでいく植民地主義、外来者の偏見、先入観については背景として書いたものの、私自身が体験した、身を置いた戦争、そこで殺されかけたエピソードやひどく落ち込んだ経験は、いま振り返っても不思議なくらい巧妙に避けている。

 意識はしていなかった。無意識のうちに、私はそれを避けていた。なぜなのか。 「戦争を知らない子供たち」の杉田二郎の素っ頓狂なほど軽やかな声色を聞いたとき、私は何か通じるものを感じた。

 自分がひどい目に遭ったことなどどうでもいい。勇ましくマッチョな気分であの大陸を渡り歩いたことなど、読み人には何も関係がない。決して止まることのない戦争を生み出すあの土地を、できるだけ軽やかに、あっさりとした口調で書こうと思いたったのだ。

(この項つづく)

 

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