自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

高所の歩みは夢のよう

2019年12月号掲載

 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 入山から25日目、私たちはようやく第3キャンプに入ることができた。標高7,300㍍の急斜面をスコップで切り開き、3人用のテントに5人が膝を抱えてなんとか収まった。ここで3時間休み、いよいよ私たちはヒマラヤのダウラギリ1峰(8,167㍍)を目指す。

 キャンプからの標高差は900㍍だが、高所で酸素が地上の3分の1程度しかないため、おそらく早くて12時間、遅ければ15時間はかかる。下山は3時間ほどで済むかもしれないが、その頃は相当疲れているだろうから、滑落死や疲労凍死の不安があった。

 テントにいたのは40代と20代のシェルパ2人と、やはり20代のシェルパ見習い、そして私たち50代後半の日本人2人だ。シェルパはネパールの山岳民族の名前だが、高所に強い彼らは長年、ヒマラヤの遠征隊を支えてきたため、今はその名が山岳ガイドを指すようになった。シェルパ見習いの男は本来、ベースキャンプにとどまる料理人なのだが、ガイドの経験を積むため頂上を目指していた。

 標高2,670㍍の村、マルファから4,600㍍のベースキャンプまではつぶさに覚えている。だが、入山から10日後にたどり着いた標高5,745㍍の第一キャンプより上は、まるで夢の中にいたように、記憶がぼんやりしている。高度障害の中で歩いたせいか、サングラスを通してみるクリーム色の雪と、その上にある灰色っぽい足跡、そして異常なほど濃い青空、スパッと刃物で切り落とされたようなヒマラヤ襞。そんな景色が幻影のようだった。時折、雪崩の爆音が聞こえてきた。

 私は自分の気質に気づかされ、それと必死に闘っていた。

 「人に負けまい、抜かれまい。先へ先へ、もう一歩高みへ。100%の自分よりも10%、いや20%多く頑張らねば」。日本で登山している時に顔を出すそんな私の意識がかえって高度障害を招く。むしろ自分の能力より20%遅いくらいがちょうど良い。

 それでも急な斜面を登っていると、いつの間にか頑張る自分が顔を出し、はっと我に返る。

 なぜ、自分はこんななのか。頑張っている自分を見ている誰かがいるのか。実際はそんなものはいない。ずいぶん調子よく歩いているとシェルパから「グッドワーキング(すごねえ)」などと褒められ、一瞬嬉しくなるが、彼らが常に自分を見ているわけではない。むしろ、もう1人の自分が自分を見て、「よし、お前は強いぞ、その調子だ」といった声援を送っている感じなのだ。

 でも、それは本当の自分ではない。歩いている自分自身が自分なのだ。なのに、その本当の自分が、他人の視線を象徴するような「もう1人の自分」に促され、後押しされ、無理をする。

 それが自分の弱点だと気づき、私は本当の自分に向かって繰り返し言い続けた。「もっと自分自身であれ、自分のためにあれ」

 こういう感覚は日常生活でもときどき起きるが、これほど強烈に自分を感じることはない。

 「高所の歩みは夢のよう。その夢を繰り返し見ることで現実に近づいていく」。6,600㍍まで達した末、一度ベースに降りた際、私はそんなことをメモ帳に書いた。高山病で一番怖いのは肺水腫と脳浮腫だ。私は新しい高さに達したとき2度ほど頭痛に襲われたが、そこまでひどい状態にはならなかった。ただし、酸素不足のため、脳が普段のように働いていないのは実感できた。

 脳の働きが明らかに落ちると、自分というものはよりシンプルになるのだろうか。自分の気質の欠点がよりあからさまになり、とにかく「無理をして頑張る自分」を抑えるのに苦労した。

 最後のキャンプで私たち5人は上機嫌だった。単に7,300㍍という高さに興奮していたのかもしれない。

 日が落ちると一気に寒くなり、マイナス10度を下回った。同じ温度でもこの高さではより冷えるように思えた。

 行動時間が20時間におよぶため、出発は午後8時を予定していた。午後7時を回った頃から吹き始めた風が急に強くなってきた。「少し待とう」としばらく様子を見ていたが、風はどんどん強まった。「深夜の出発にしよう」と座ったまま仮眠をとったが、12時を過ぎても、そして明け方になっても風は収まらなかった。シェルパ同士がベースとの無線でやり取りしたところ、頂上付近は風速40㍍もの強風が数日続くとの話だった。予報では無風だったのに。

 標高8,000㍍で15時間、強風にさらされ続けるのはとても無理だ。どうするも何もなかった。私たちの中で一番経験のある40代のシェルパの一言、「無理だ」で撤退が決まった。

 風が吹きテントがバタバタいい始めた時、「あ、これで少し休める」とホッとしたが、登頂を断念した時もどういうわけか、さほどがっかりはしなかった。むしろ、「ああ、これで生きて帰れる」と思い、救われた気持ちになった。

 翌朝、私たちはテントをたたみ、そこから固定ロープにぶら下がり、急斜面を一気に下っていった。それはそれでしんどい下山だったが、下へ下へと降りるにつれ、私は素直に、生きている喜びを感じていた。

 人間は弱い。そういえば聞こえがいいが一般論では語れない。

 自分は弱い、心身ともに本当に弱いと痛感する登山だった。普段ならごまかしが効く。でも、8,000㍍は私自身の弱さを深く、リアルに感じさせる場だった。

 

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