自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

元気をなくした息子

2019年4月号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 この前、職場の地下の食堂街で同僚の女性と丼物を食べていると、「あっ、私、もう行かなきゃ。これから面接」と言って彼女は席を立った。「面接?なんの?」と聞くと「あ、インターンの」「インターンも面接すんの?」

 つい数年前、インターンの学生が何度か私を訪ねてきたことがあり、何人かと雑談をした。タダ働きさせられて意味がないんじゃないかと思っていたが、時代は進んで、今はインターンから直接採用することもあるようだ。そういえば、最近は電車でリクルートスーツを着ている学生をよく見かける。

 そう思っていたら、数日前の新聞に「3月1日解禁」と出ていたので、就職活動が始まっているようだ。40代の男の同僚に「今、就活やってるのって大学3年だよな」と聞くと、「そうですよ」と言うので、息子のことが頭に浮かんだ。

 東京の私大の文学部に通っている次男は今3年だ。この春から4年になるので本来なら就活をしている時期になる。なのにまだボサーっとした、「ゲゲゲの鬼太郎」ふうの髪のままで、バンドのライブ活動などをしている。

 「息子がいま3年だけど、髪切ってないから就活始めてないってことだな」

 「あ、そうでしょうね」

 そんなやりとりを終え仕事に戻ったが、同僚が思い出したように、こう言った。

 「就職が決まって、髪を切ってきたとき、もう若くないさと、君に言い訳したねって歌がありましたよね」

 「ああ、ばんばんのやつね。荒井由実が作った」

 「あれ、変ですよね。就職が決まって髪切るっての。普通、面接のときに切るんじゃないっすかねえ」

 「荒井由実、就活とかしなかったから、知らないんじゃないの。だいたい、就職が決まって、もう若くないって、要するに彼女と別れる言い訳って感じだなあ」

 と、また互いに沈黙に戻っていった。

 家に帰ると、息子がこたつで米国のテレビシリーズを見ていたので、終わったところで、歌の話をしてみた。すると、意外にも40年も前の歌を知っていて、こんな反論を加えてきた。

 「それって昔の就職の話だから、おかしくはないんだよ。昔は企業で働いてるOBが大学に来て、学生に就職しないかって声をかけてたから、そのときに学生が応じれば、その場で就職が決まったんだよ。今とは全然違うんだ」

 なるほど。確かにリクルートスーツなどと呼ばれて学生たちがお揃いの格好で練り歩くようになったのは80年代、いやそれが目につくようになったのは90年代以降のことだ。

 長髪の学生を企業側がわざわざリクルートに来ていたという息子の解釈に、へえと思ったが、本題はそこではない。

 「で、就活してないの」

 「あ、うん、まだ」

 「就職するんなら、早く始めた方がいいんじゃないか」

 「うん」

 話はそこで尽きたのだが、機を見計らったように翌日、大学から私と息子宛に封筒が届いた。留年通知だった。単位表を見ると、3年の後期はほとんど大学に行っていないようだった。

 本人にどうするのか問い詰めると、大学を辞めてバイトをしながら、ITパスポートという資格をとってシステムエンジニアになるという。だが、その資格を取っても高卒で専門職につくのは容易でないのは明らかだ。思いつきで、甘いことを言っているのだろう。

 要は大学のゼミや授業がつまらなく、そのうちに行かなくなり留年となったようだ。ただの怠惰である。

 どうしたものかと私は思った。このままいったら引きこもりになるような危惧もあり、私はそれを一番怖れている。

 この子供はもともと線が細く、自分でグイグイ道を開くタイプではない。なのに妙に頑固で、親の導きや援助をはなから嫌がる。

 私はせっかくの機会だからと、少し恐縮している息子に向かってこんなことを言った。

 自分は今になって、人生は結構短いと痛感している。86歳の母親を見てもそう思う。意外に短く、20年、30年などあっというまに過ぎてしまうものだ。

 どうせ短い人生なら、自分の好きなことを仕事にできるに越したことはない。死ぬときに、実はあれをやりたかったんだと後悔するくらいなら、結果がうまくいかなくても、やりたいことを目指した方がいい。学校での失敗は気にせず、この先の人生をよく考え、大学を続けるかどうかを決めたらいい。

 そんな言葉がいいアドバイスになるのか、私にはわからない。自分も留年を重ね似たような状況にあった22歳のころ、エンジニアの父親に電験三種という資格を取ったらいいと勧められ少し勉強したこともあったが、すぐに放り出した。

 親に言われても、なかなか通じない。いや、親に言われるから通じないのだ。どんな仕事でも、とりあえず働いてみるのはいい勉強になると、私は思っているが、それは自分が経験をしたから言えることであり、若い頃、同じ言葉を聞いても何も感じなかっただろう。

 要は自分で困るしかない。困って困って考え、自分でわかるしかないのだ。

 そうわかっているから、あまりしつこく言っても仕方がないとは思うのだが、子供が塞ぎ込んでいるのは親にとっては、やはり辛いものだ。

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)