自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

8,000mで何が起きるのだろう

2019年11月号掲載

 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 この秋、2カ月の長期休暇をとり、ネパール・ヒマラヤのダウラギリ1峰(8,167m)に登りに行くことにした。といってもどこまで登れるのか。かなり難しそうだが、目指せるところまで目指そうと思う。

 私は23歳の秋にインド・ヒマラヤのスダルシャン・パルバット(6,507m)に登ったことがある。当時、大学山岳部の学生とOBたち8人で2年がかりで準備をし、誰も登ったことのない岩と雪のルートから、3度に分けて全員が登頂できた。

 この直後、私の中で急速に登山熱が冷め、再びヒマラヤに戻ることはなかった。熱が冷めたと気づいたのは最近のことで、就職してからも、家族ができてからも山とは常に付かず離れずの状態が続き、ハイキングから岩登りまで、比較的柔らかめの山登りを一応は続けてきた。

 52歳になる2013年春、たまたま福島県郡山市に転勤となり、一人暮らしをするとほどなく、本格的な登山に戻りたいと思い始めた。そのためにはザイルを結び合う相棒が必要になる。ネットで探してみると、会員数が40人と比較的多い「郡山勤労者山岳会」にぶち当たった。快く受け入れてもらった私は再び沢登りや岩登り、冬山を楽しむようになった。

 技術、体力とも優れている会員に斎藤明さんという私と同じ年の人がおり、一緒に登るうちに、彼からヒマラヤに誘われるようになった。郡山市で社員4人ほどの保険代理店を経営する斎藤さんは、60歳になったらヒマラヤの8,000m峰を登り続けるのが夢で、そのための蓄えもしているという。斎藤さんは18年前にマナスルを無酸素登頂し、5年前にはアンナプルナを目指したが、仲間の事故で失敗し、今回は3度目の遠征となる。

 私は一度ヒマラヤから気持ちが離れたこともあり、さほどの吸引力はなかったが、8,000mに惹きつけられ、誘いに乗った。

 標高8,000mを超える山は14座しかなく、そのすべてがヒマラヤ山脈と、そこに派生するカラコルム山脈にある。最も高いのがエベレスト(8,848m)で、これにK2(8,611m)、カンチャンジュンガ(8,586m)、ローツェ(8,561m)、マカルー(8,485m)と続く。

 この下となると一気に標高が下がるチョー・オユー(8,188m)となり、その次に世界第7位のダウラギリ1峰(8,167m)がある。

 8,000m峰は登山家を寄せつけず、幾人もの死者を出した末、1950年代から60年代にかけて14座すべてが初登頂された。この時点で、探検としての登山は終わったと言われたが、その後、垂直の壁など難しいバリエーションルートや酸素ボンベを一切使わない無酸素、または単独、厳冬期と、あえて困難な方法での「初登頂」が競われ、それも今世紀に入るころには、やり尽くされた。

 つまり、ヒマラヤは人類史上初めてのことを成し遂げるパイオニアワークの舞台ではなくなったのだ。

 それでも、山登りはもともと個人的な享楽、自己満足という面が強く、ヒマラヤ人気が廃れたわけではない。例えば、イタリアの登山家、ラインホルト・メスナーは1970年から86年の間に、8,000m峰14座のすべてを無酸素で登頂する記録を達成し、多くの登山家が同じ難行を目指し、その途上で死んだ。

 「7大陸最高峰の登頂」がメディアで話題になった時期もあったが、エベレストを除いた「最高峰」はさほど難しくなく、14座登頂とは雲泥の差がある。それでも、それを目指すのは個人的満足の典型と言える。

 スキーヤー三浦雄一郎さんが達成した最高齢でのエベレスト登頂もスポンサーの資金でヘリコプターや酸素ボンベを多用し、実質、6,000m台の山と同じ条件で登ったにすぎないが、これも好き好き。個人的な挑戦という面が強い。

 私が今回、ダウラギリを目指すのもあくまでも自己満足に過ぎない。20代のころ、4,500mで一度ひどい高山病になったが回復し、6,500mの頂上ではタバコをスパスパ吸うほど調子が良かった。それでも、それは昔のことであり、経験にも数えられない。現在58歳半の私は筋力はおそらく20代のころより2割ほど衰えてはいるが、心肺機能をはじめとした基礎体力はさほど落ちてはいない。

 その私がダウラギリをどこまで登ることができるのか。7,000mを超えられるだろうか。そこを超えたとき、自分はどうなるのか。登山のために一応鼻の手術は済ましたが、高所である程度睡眠をとることができるのか。

 最後は一歩足を上げては呼吸を10回繰り返し、再び一歩上げてを繰り返す。そんな状態になったとき、どこで諦めるのか。あるいは最後は妥協して医療用に持ち込む酸素ボンベに頼ろうとするのか。高所では空が群青になる。その下で頭が朦朧とした状態で、はるか彼方のピークを見ながら、自分はどこまで自分を追い込んでいけるのか。そんなことを試すための登山にすぎない。

 メスナーが「死の地帯」と呼んだ8,000m以上の世界を知りたいという好奇心も大きい。

 何よりも1カ月半、毎日登山を続けることで、自分の体と精神がどう変わっていくのか。それを知るのが楽しみだ。

 

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