自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

「鼻こそは全て」と言えるのか

2019年9月号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 この夏、長期入院を経験した。といっても6泊7日なのだが、こんなに長いこと病院にいたのは初めてなので、つい「長期」と言いたくなる。副鼻腔炎と鼻中隔湾曲症の手術。要は鼻で呼吸ができるようにするためのものだった。

 私は幼いころから鼻の通りが悪く、いつも口で呼吸をしてきた。鼻の詰まりがさほどでもなければ鼻だけで呼吸できないこともないのだが、気を抜くと口だけで息を吸っては吐いている。

 子供の頃からいつも呆けたように口をポケーっと半開きにしていた。幼稚園のころまではよだれもひどく、気づくと下唇の下側の縁から雫が垂れるか、それを必死になってすする動作を繰り返していた。幼稚園の年配の教員に「病院に診てもらった方がいいんじゃないかしら」と言われた母が激怒するという、一家にとってはちょっとした出来事もあった。

 幼稚園の先生は、当時の言い方をすれば「知恵遅れ」がよだれの原因と考えたようだが、これも単に口呼吸が原因だったように思う。「垂れるよ、垂れるよ」と母親に嘲笑ぎみに何度となく注意され、あわててすすり上げるという行為を続けるうち、小学校2年ごろにはそれほど垂らさなくなった。

 このため口呼吸が問題にされることもなく私は成長していったが、高校2年のころ、いつも通り口を半開きにしてテレビ映画をみていたら、それに気づいた5歳下の妹が「やーい、口ポケー」と執拗に私をバカにするようになった。そのたびに我に返り、口を閉じていたが、テレビに熱中すると途端に口が開く。すると脇から妹がその都度、「口ポケー」とあざ笑った。

 そのことを先日、妹に話したら、「えぇ、あたしが? そんなこと言うはずないよ。何それ。誰か違う人じゃないの」と逆にキレられたので、大いにたまげた。いくら当時まだ子供だったとはいえ、「口ポケー」というあだ名までつけて嘲笑した者が、その事実をきれいさっぱり忘れているとは、どういうことだろう。加害者の記憶とはそんなものかとも思うが、記憶にないというのが恐ろしい気さえした。

 別の話の流れで「Y子(妹の名)、性格悪いからな」と言ったときも、「えっ、何それ。あたしが性格悪いはずないじゃない。誰からもそんなこと言われたことないよ」と寝耳に水のような反応をするので、こちらも慌てて否定したくらいだ。やはり、人間は不可解だ。

 私は高校を終えると家を出たので、妹の「口ポケー」を聞くのは帰省した折くらいだったが、以後現在まで、口を半開きにしていると気づいた途端、妹の意地の悪い声色がよみがえり、あわてて口を閉じるという癖が身についた。

 口呼吸の問題をいやでも気づかされたのは高校2年の冬だった。高校の駅伝大会で「区間2位」という好成績を収めた私は一時、競技にのめり込んでいた。ラストスパートからの1分間、心肺が張り裂けそうになるほどの苦しみを毎回味わうこのスポーツに私ははまり、少しでもスピードを上げようと躍起になった。そんな折、教員から鼻で2回吸い、口で2回吐く呼吸パターンを勧められ、何度となく試したが、鼻では十分な酸素を取り込むことができず、結局、口だけになってしまった。

 最近、駅伝の選手をテレビで見るとブリーズライトなど鼻呼吸を楽にするテープを貼っていたりするので、あのとき私がもし鼻で呼吸できていれば、「区間賞」が取れたかもしれない、と今更ながら思ったりもする。

 そのころからかれこれ40年、私はずっと口呼吸で生きてきたが、半年前、ヒマラヤに行く準備のため低酸素室に入ったところ、睡眠時の酸素摂取が異常に低いと知らされた。いわゆる無呼吸症候群というやつで、寝ているときに10秒以上も呼吸が止まるのが1時間に20回もあるという。

 こんな状態でヒマラヤに行っても、8,000メートルはおろか、6,000メートルでも十分に寝られない、致命的な状態だとわかった。私は耳鼻科に通い、積年の副鼻腔炎を治す投薬や、睡眠時に喉をより開かせるマウスピースを装着したが、抜本策にはならず、今回、思い切って鼻の骨や軟骨を削り、気道を確保する手術を敢行した。

 鼻のあたりをメスやドリルでガリガリ削るものだから、麻酔が切れ意識が戻った時の痛みはひどいものだった。まるでロールシャッハテスト状に鼻を中心に目から頬、脳、首、肩まで、ネットワーク状に痛みが広がった。その痛みは経験したことのないものだったが、黙って痛みに耐えた。そのうち、痛みにも慣れ、何度かの高熱を経て、2週間あまりが過ぎた今は、軽い頭痛にまで後退した。

 鼻の通りは格段によくなり、直径1ミリに過ぎなかった気道、小さなホースが一気に10ミリに拡大したようなもので、そこに流れる通気量は単純計算でほぼ100倍になる。

 目から鼻に抜けるとは、こういうことか。鼻とは人間にとってこんなにも大事なものだったのか。全ての神経が集中している鼻こそが全て、鼻こそが生き物の中心である、と思えるほど、生まれて初めて鼻呼吸を味わっていた。

 それでもどうしたことか、長年の習慣なのだろうか。鼻が太いホースになった今でも、ふと気づくと口をポケーっと開けている自分がいる。

 「口ポケー」の声ですぐに改めるのだが、放っておくとまた開く。これは一体なんなんだろうか。物理的には鼻が通っているのに、あえて口で呼吸をしたがるナンセンス。これはどういうことなのか。もう少し自己観察が必要なようだ。

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)