自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

日本人の根に先祖信仰はあるのか

2019年3月号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 先日、映画を見ていてわっと涙が出てきた。子供のころから映画やドラマ、音楽などでよく泣くほうだが、年を取っても変わらない。むしろ増えた気がする。

  何の変哲もない場面だった。「盆唄」というタイトルの日本のドキュメンタリー映画のDVDを自宅で見ていた。主人公は福島県双葉町の50代後半とみられる男性で、原発事故のせいで祭ができず、消えてしまいそうな盆唄を残すため、ハワイの日系社会に伝える話だ。明治初期の移民開始からこの方、ハワイには日本移民が持ち込んだ盆踊りが残っており、福島の男性は自分たちの踊りを「疎開」させたいと考えたわけだ。

 きれいな美談なので白けた気分で見始めたが、本筋とは関係のない細部にひかれた。

 夏の日、主人公の一家が花と桶を手に、帰還困難区域に指定され、今は誰も住めなくなった故郷の墓参りに行く。

 カメラは一行を淡々と撮っており、主人公の男性が「東京電力の方がここまではやってくれたんです」と指差す方に、横倒しになった墓石が整然と並んでいる。

その脇を通り、きちっと立った自分たちの墓の前で、線香などの準備を整え一家が祈り始める。そのとき、映画にはその場面にしか登場しない年配の女性、おそらく主人公の母親が画面の奥におり、手を合わせた途端、嗚咽が込み上げ、カメラを避けるように奥の方へと歩いて行ってしまう。

 その短い場面に涙が出た。

 その女性はなぜ墓前で泣いたのか。夫の姿はないので、もしかしたら震災のときに亡くなったのか。あるいは、亡父や義理の親たちが眠る墓を前に、震災後の自分たちの苦難が蘇ったのか。映画ではこの女性についての説明はない。

 私がなぜ感動したのか、自分でもわからなかった。頭で説明すると、自分は郡山に駐在していた時、多くの被災者に会い、ゴーストタウンとなった浜通りに何度か同行したことがあったため、そのときのことを思い出したのかと思ったが、そうではないような気がした。

 もう一つ、ハワイの場面に泣ける瞬間があった。

 主人公たちがマウイ島を訪ねた際、母親が福島県の出身だったという90代の日系2世の女性を紹介される。

 彼女の母が福島県のどこの出身なのか正確な場所を彼女は知らない。おそらく大正か昭和初期にハワイに渡った母親は、サトウキビ畑で働きながら、故郷福島の親戚と連絡を取り合うことはほとんどなかったのだろう。この映画を監督した中江裕司さんは「沖縄からの移民たちは、戦前も戦後も互いに助け合い行き来していますが、福島からハワイに渡った人は棄民のような立場の人も多かったように思います」と私に話した。

 映画は、その90代の女性が福島から来た一行と母親の墓参りをする場面を映し出す。その時、女性は墓前でこう告げる。「お母さん、喜んでください。福島県からみんな来られたよ」。そこまで言うと声を詰まらせた女性は、せきを切ったように涙を流す。

 私はこの場面に強くひかれた。

 90代の女性が発する「お母さん」という優しい声に、戦争をくぐり抜けてきた母娘の苦難を感じたせいなのか。それはあるかもしれないが、それだけではない。あの場面がもっと自分の根に触れ、心を動かされたような気がする。

 先に挙げた場面と共通するのは、いずれも墓参りのシーンということだ。

 私は墓を信じていない。墓に行ったからと言って、そこに亡父がいるとは思えない。位牌や仏壇も同じだ。父が亡くなったとき、位牌の値段を説明する寺の住職があまりに俗物に思え、以来、ごくたまに母につきそう以外、墓を訪ねることはまずない。そこには父方の祖父母も入っているが、彼らの何かがそこにあるとはとても思えない。

 だから、墓参りということだけで、自分の涙腺にスイッチが入るということはないだろう。

 では、なぜ、あの二つの場面にひかれたのか。自分のように墓を信仰していない人間がなぜ涙を流せたのか。

 そんなことを私と同世代の監督に聞いてみるとこんな答えが返ってきた。 

 「僕は日本人の根底にこんな感覚があると感じているんです。自分は一人で勝手に生きているのではなく、ご先祖様が生きて子孫がいて、その中のわずかな一地点にいるだけなんだ。だからちゃんと生きるべきなんだと。親から言われたわけではないけど、お盆にはお墓参りに行き、正月には身内が集まり、先祖とのつながりを何となく感じているんだと思うんです」

 私が二つの場面にひかれたのは、先祖に向かって祈る人々のごくごく個人的な姿だったのかもしれない。頭ではそんなものはいないと考えていても、もっと根の部分で、自分にも先祖信仰があるのではないか、過去から未来へとつながる長い長い線上の一点を担っているに過ぎない「小さな自分」にはっと気づかされたのではないか。それを暗に見せられ、自覚させられることで涙が出るのではないか。そんな気がした。

 

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