自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

嘘が人の顔を変える

2018年5月号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 人の顔はなぜこうも変わるのか。何があのような顔にしてしまうのか。

 イギリスの首相にトニー・ブレアがいた。彼が出てきた1990年代、南アフリカにいた私はニュースで毎日のように彼の顔を見た。イギリス英語がとても歯切れよく、言葉遣いも巧みでユーモアがあり、凛々しく美しかった。

 時が過ぎ、2003年にイラク戦争が始まった。そのころ私はメキシコに駐在していたのだが、よくワシントンに出張し、ブレアを見る機会があった。ブレアはアメリカのブッシュが始めた「正義の戦い」に参戦していた。そのイラク戦争が次第に泥沼化する中、私はイラクに行くようになり、そのころもよくテレビで彼を見た。そして、彼が首相を辞めた07年、彼は「一体どうしたんだ」という顔になっていた。

 彼が首相だったのは1997年5月から2007年6月まで。彼は1953年5月生まれなので、首相就任は44歳、辞任は54歳だ。

 44歳の彼はカモシカのようにまっすぐで凛々しかった。ところが54歳の彼は死神のように見えた。髪はほぼ白くなり、眉間にも頰にも深いシワが刻まれ、キラキラしていたひとみはくもり、どんよりとしていた。アングロサクソン系の人は老けるのが早いと聞くが、老化だけではない。人格までが根こそぎ変わったように見えた。溌剌としていた人が悲劇に見舞われ、一夜にして生気を抜かれたような顔をしていた。

 それから10年、64歳になった今の彼はさらに老けはしたものの、54歳のときに比べれば穏やかな、柔らかな表情になっている。

 同じような変化がアメリカの元国務長官、ゴンドリーサ・ライスにもあった。アフリカ系アメリカ人の彼女は15歳で大学に入り、19歳で卒業したエリートで、30代で東欧史や軍事史専門の大学教授にまでなった。ブッシュ父政権の時代に安全保障の分野で活躍し、2001年、ブッシュ息子時代に大統領補佐官となり、イラク戦争渦中の04年から09年まで国務長官を務めた。

 彼女はブレアの1歳下で、世界から注目されたのは46歳から54歳の8年間だった。美しかった46歳の彼女もやはり最後はひどく老け込み、死神のような顔をしていた。

 二人に何が起きたのか。その問いをいろいろな人にぶつけていたら、ソニーの重役だった土井利忠さん(76)がなるほどという答えをくれた。

 本来の自分と外に見せる自分とのギャップが大きくなるほど、人の風貌は悪化するという一般論だ。ブレアとライスは「実像」と「虚像」の落差をあまりに大きくしすぎたせいで、あんな風に変わってしまったと私は受け止めた。

 以下はすべて私の仮説だ。

 原因はイラク戦争だろう。彼らはイラク大量破壊兵器があると言い続け、戦争を始めた。この時点ではまだ顔に変化はなかった。ところが、ある段階で彼らはそれが嘘だと気づいた。そのときに「嘘だった」と認めていればまだ良かった。ところが、彼らは嘘だと知りながら、それを隠し、誤魔化し続けた。2003年から06年ごろまで、約3年間の誤魔化しが彼ら二人を「死神」のような顔に変えてしまったのだろうか。

 もしそれが正しいなら、当のブッシュはなぜ変わらなかったのか。

 彼の場合、実像と虚像の落差がほとんどなかった。罪の意識はあるはずだが、彼はブレアたちのように日々自問自答を繰り返しながら戦争に参加したのではなく、ひたすら自分を信じて突き進んだ。いわゆる確信犯だった。

 自分たちのせいで、イラクや自国民らを何十万人も殺す結果となったことにブレアとライスがさいなまれなかったはずはない。

 だが、ブッシュにはさほど悔悟の念がなかった。それは彼が信仰の人だからだ。毎朝、早朝に妻のローラと長い時間祈るブッシュは、若い頃、コカインとアルコール中毒から脱し改心した「ボーン・アゲイン・クリスチャン」である。自分がしたことを毎日報告し、毎日その答えを求める信者なら、すべては「神の導き」だったと信じ、さほど過去にさいなまれずにすむ。 

 戦争はよく被害者の立場から語られることが多いが、その首謀者の末路に着目した例はあまり聞かない。このため、3人の違いについては、もう少し掘り下げる必要があるだろう。

 私がブレアとライスの風貌が気になったのは、自分が伝える立場で関わった戦争の担い手だったというのが大きい。だが、それだけでなく、人間の精神状態を含めた人間そのものに関心があるからだ。

 

 嘘をつき続けた人間はあのように変わってしまう。ブレアやライスはその一つの事例という気が今はしている。

 いま日本の政治を賑わしている安倍政権の問題も、焦点は人がつく嘘だ。ただし、その嘘は無実の人間を何十万人も死に追いやった戦争に比べれば小さな問題だ。大金をだまし取ったというのとも違う。それでも嘘は嘘である。

 嘘の大きさ、それによる被害の大きさも大事だが、要は嘘をついている自分と本当の自分の間にどれほどの落差があるかだ。ブレアとライスも問題は嘘の大きさではなく、それを嘘だと知りながら、対面上、それを認めずに来たことが大きいように思う。

 ここから汲み取れる教訓は何か。

 ひどい容貌になりたくないなら、人は虚像と実像の差をできるだけ小さくして生きよ、ということだ。別の言い方をすれば表裏(おもてうら)のない素直な生き方をせよと。権力を振り回したり、威張ったり、立場でものを言ったりせず、常に自分に問いただし、正直に、そして自由に生きていくことだ。

 あっけらかんとしろというのではない。自分が自分であることに、素直に従って生きようということだ。それがどれだけ恥ずかしいことであっても。どれだけ、常識から外れていても。

 

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