自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

心の底からわいてくる

2019年1月号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 夢の中では時間が歪む。この前、朝方目覚めて変な気分になった。見知らぬ老若男女4、5人と飛行船のようなものに乗ってどこかに戻っている。空港のような所に降り立ち、2日後にまたそこで会おうと言って別れ、みな迎えの車などに乗ってそれぞれどこかに帰っていく。

 私は数年前まで暮らしていた練馬区の南大泉か、高校卒業まで暮らした足立区の、今は大きな舎人公園の下になっている「古千谷」と呼ばれる町に戻ろうとしている。いずれも畑のある街並みだが、夢なのでどこなのかははっきりしない。私は外国から戻ったようでもあるが、それもよくわからない。

 帰る途中、ショッピングモールのような大きな商業施設に立ち寄り、そこから家に電話をしてみる。万一誰もいないこともあるかもしれないと思ったのだ。自分が今使っている携帯電話から電話をすると、最初「ツーツー」という通じていない音がした後で、通常の呼び出し音になった。誰も出ないと思っていたら「もしもし」と気の良い感じの年配の男性が出てきた。「父だ」と思った私は懐かしくなり、勇んでこう言った。

 「あ、お父さん、俺だよ。今、帰ってる途中だよ、すぐそばまで来てるよ」

 すると男性は、「あ、間違いですね」と応じる。

 「あれ、違いますか、変だなあ」。番号が変わったのかと思い、私は「3899の」と番号を告げると、向こうは「あ、それは古い番号だね、今は1566の1566ですよ。それは千葉がなくなる前の番号だ」と答える。

 「千葉がなくなった?」

 「あれ? 知らないの、へえ・・・」

 相手はずいぶん驚いている。

 「いやあ、もう15年も戻ってないので・・・」

 「15年、そりゃ大変だ。千葉がなくなったんで、みんな東京、埼玉の方までずれてきたから」

 千葉がなくなったって、大地震でもあったのか。なぜ、それを私は知らないのか。ニュースで知ってても良さそうなのに。ここはどこだ。15年前?

 いや15年ぶりに戻っていたということは、現在か。だったらさっき乗ってきたあの飛行船はなんだ。どこから来たんだ。15年前から来たのか。いや・・・、どこか別の次元から来たのか。

 途方に暮れていると目が覚めた。

 夢なので、場面設定や行動は支離滅裂だが、時間も歪んでいるようだった。けれど、どうして15年なのか。

 15年前、私はメキシコに住んでいて、イラク戦争を報じるためよく現地に行っていた。その翌年、父親がガンで死んでいる。朝方、夢を振り返っていると、晩年はほとんど会えなかった父が懐かしくなり、少し寂しい気持ちになった。

 <夜の心のくらやみから夢はわいてくる>。谷川俊太郎は「お早うの朝」という詩でこう書いた。「心のくらやみ」というと大げさだが、夢はその人の心理状態を映している場合が多いと私も思う。

 前日にみた夢も少し先の夢とテーマが似ていた。

 アーケードのある商店街で知人を待っているうち、どうせならと、アーケードの入り口まで歩いていく。すると、そこは地下鉄の駅になっていて、クリーム色の電車がやってくる。降りてくる客を見ても知人はおらず、おかしいなと思っているうちに私はその電車に吸い込まれるように乗ってしまう。「まだ時間があるので一駅乗って戻ればちょうどいいや」と思っていると次の駅に着いた。終点のようで、みなぞろぞろと降りていく。彼らについて線路をまたぎ反対側に行くが、単線のようで、帰りの電車がどうも来そうにない。

 近くにいたタクシー運転手に「今着いたんだけど、戻りの電車は?」と尋ねると、なぜかスペイン語で「え? 戻りはないよ。ここで終わりだよ」と言う。

 そんな馬鹿なことがあるのか、と思っていると、すでに先ほどの客たちはどこかへ行ってしまい、広々とした駅の待合室に人影はない。またタクシーに戻ると西欧人風の乗客が二人すでに乗っていて、そのうちの小柄で若い方が日本語で、私に同情する口ぶりでこう言う。「ここに来たら、もう戻れないんですよ」

 先の夢もこの夢も、描かれているのは不可逆だ。もう戻れない、失った者は、時間は決して戻らない。それを知らされている主人公の焦りだ。主人公といっても私のことだが。

 そんなのは当たり前ではないか。死んだ者はそれで終わりだ。墓参りしたからって魂が戻ってくるわけでもあるまい。過ぎたこと、やってしまったことは覆らない。だから悔いても仕方がない。振り返って何になる。

 どちらかと言えば、私はそんな風な思いで生きてきた。

 だが、それは人間の意志でしかない。そうしたいと思っている信念にすぎない。本当のところ、脳はどうなっているのか、何を意図しているのか、そこは自分でもわからないのが人間である。

 夢の中では時間も空間も歪み、平気で伸びたり縮んだりする。決して戻らない者が平然とそこにいる。

 白黒の浜辺で、走って走って、手を伸ばして必死になって追いかけていく。いくら追いかけても取り戻せない何かを、あるいは取り戻しても手からするするするとこぼれ落ちてしまう何かを人は追い続ける。

 人は理だけでは生きられない。

 そんなどうしようもなさ、不条理な思いが心の底から立ち現れ、あのような夢になったのだろうか。

 

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