2020年2月号掲載
「高校生のときの自分と今の自分、どっちが大人なんだろう」。知り合いの女性の言葉だ。どういう文脈だったのか。その人はそのころ30歳を回ったくらいで、バーのカウンターで自分の家族のことを話しているうちに高校の話になり、何気なく出てきたセリフだった。
その言葉に私は何かを感じたのだろう。フォーク歌手、友部正人の「はじめ僕は一人だった」「六月の雨の夜、チルチルミチルは」といったフレーズのように、一度耳にすると忘れられない言葉となった。
その言葉を思い出したのは、最近、高校時代の知人に誘われ同級会に参加したからだ。といっても5人ほどの飲み会だ。フェイスブックというネット上の場で再会した人がつなぎ役となり、呼んでくれたのだ。
私が通ったのは東京の都立上野高校だった。東叡山、つまり「上野の山」の上にあり、足立、台東、荒川、中央の下町の4区の子供が集まる学校だった。そのせいか、ほぼ全員が東京かその周辺に進学、就職し、彼らは卒業後もちょくちょく会っていたそうだ。
一方の私は高校を出るとすぐに北海道の大学に入り、滅多に帰省もしなかったので、ほとんど誰とも会っていない。北海道のあとも20代のころの職場は鹿児島や長野で、30、40代は海外にいたので、自然に彼らから遠ざかっていた。
こういう集まりは面白いもので、現在の家族や仕事の話は手短に済ませる暗黙のルールが出来上がっているようだった。「へえ、そんな仕事してるんだ」「すごいな」という程度の相槌で、さほど話は深まらない。
むしろ、皆でタイムカプセルを掘り出し、当時の出来事や人物についてそれぞれの記憶を突き合わせ検証し合うのが、その場のたしなみのようだった。すでに50代も終わりに差し掛かった人たちが、それぞれの人生の40年分を脇に押しやり、18歳になる頃だけに着目する。はたから見ればまだ顔も出来上がっていないバンビのような頃を話題にするということは、それだけ、その時代が貴重だったということなのか。
その場に集まったのは男ばかりだったせいか、会も後半になると、話題は同級の女子に移っていった。要は誰が誰とつき合っていた、誰が誰かに憧れていたといった話である。
「今更言ったって」「馬鹿らしい」と茶々を入れながら聞いていたが、彼らがかなり真剣に恋愛活動に励んでいたことがわかった。中には同じクラスの中で累計3人に思いを伝えていた男もいて、目まぐるしく相手が入れ替わるその熱情に驚かされもした。高校生にとってクラスというのは恋愛の場でもあったのだ。そういうことのなかった私は少し感慨深かった。
その割に私は同級生たちの風貌、特徴を彼ら以上によく覚えていた。
「◯◯さんは確か、おかっぱ頭でうつむき加減の人だよな。まつ毛が長くて、唇が真っ赤で、口元にホクロがあって。濃紺のワンピースってイメージだよね。黒っぽいベルトをしていて」「いつもベルボトムのジーンズはいて、一過性の男性アイドル風。人気の割に歌がすごく下手みたいな感じのやつだよね」
話題に上る同級生について男女を問わず逐一そんなふうに印象を語ると、「そう、そう」「よく覚えてるな」と感心され、しまいには「お前も好きだったのか」などと言いだす者もあった。でも、そんなことはない。ただ、下校時に地下鉄のドアにもたれかかっていた姿や、廊下ですれ違った一瞬を覚えているだけだ。その人と付き合いたいとか、声をかけたいなんて気はさらさらなかった。なのに、写真のようによく覚えている。
高校生のころは記憶の納めどころが広く、知覚する機能も新しかったからだろうか。
会も終わりに近づいた頃、話題は久しぶりに参加した私に向いた。「でも、全然、女子に関心なさそうだったのに、よく覚えてるよなあ」「藤原ってこんなにしゃべる奴だったっけ」「もっと寡黙で硬派だったイメージあるけどな」「無理に硬派ぶってたんだろ」
そんな評を聞いて、高校生のころの自分を思い出した。左翼的な本にかぶれていた私は「クラスとは学校側が強制した無目的集団にすぎない」と思い込み、あまり寄り付かなかった。まともに出席もとらないし、テストもほとんどない自由な学校だったため、必要と思う授業以外には顔を出さず、休み時間になるとすぐに屋上にある山岳部の部室に駆け上がり、後輩たちと冗談を交わし、本を読むのが日課だった。
クラスを嫌っていたのではない。何か、意固地になって、教室に近づかなかった。同級生たちの話題も子供っぽいと勝手に思い、その輪に加わらず、一人高みから見下ろしているような高慢なやつだった。
それでも、考えてみればまだ子供である。日々、クラスでそんな態度を取るのは楽なことではなかった。「硬派ぶる」ためには、ある程度自分を抑制しなくてはならない。なすがままではなく、こうあろう、という姿勢を保つのは、つっぱりと同じで、自分を抑える必要が出てくる。
話は飛ぶが、イタリアに暮らし始め、まだ言葉に自信がなかったころ、私の記憶は細部が細かく鮮やかだった。ところが、その後、ペラペラしゃべるようになり、耳の情報が入ってくると、記憶全体がやや薄まった感じに変わった気がした。
もしかしたら、それと同じで、自分を抑制しているときの方が、全開で発散しているときよりも記憶が深く鮮やかになるのかもしれない。
それが真だとすれば、高校の同級生についての私の、異様なまでに詳細で鮮明な記憶も説明がつく。だとすれば、ストイックであること、自分を抑制することも、それなりに意味があるのではないだろうか。
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