自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

そう言えば、つらかった30代

2018年月1号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 ある人がこんな話をした。「86歳の母に、いつが一番楽しかったか聞いたんです。そしたら50代って言ってました。子育ても終え、まだ体力もあって、怖いものもなくなったからだと」

 私も50代だが、実感はない。そのお母さんも後から振り返っての話で、渦中にいると気づかないのではないだろうか。

 先日、私がアフリカで暮らしたころの取材ノートを読み返す機会があった。34歳から39歳までの5年半を私は南アフリカで暮らした。半分近くは出張で他のアフリカの国々、主に戦場にいた。当時、メモの脇に雑感や、前の晩にみた夢を汚い字で書いていた。

 今は細かな字をびっしり書き込む方だが、当時の文字は大きく、汚く、なぐり書きのようだ。20代のころのノートも小さな字で余白がもったいないかのように書いているので、アフリカ時代の筆跡だけ、同じ人間とは思えない。

 それで気づいた。私は30代後半、すごく充実していた半面、結構つらかったのだ。

 ものすごい量の原稿を書いたし、若くて効率が悪い分、取材も今の倍以上はしている。そして、仕事の合間に、こんなことを書いている。

 <夜のとばりのように押し寄せてくるウツ。夜中に叩き起こされた時などに、突然、襲ってくる。遠くからやってくる絶望、死にたい気分を叫びで打ち消す。声も出ない叫びで。暗がりの奥からゆらゆらと上ってくるもの。ケレ(注、南アフリカの友人)の目。一瞬にして何かをさとる、下からチラッと見るあの目。こんな街には、おいそれと住めやしない。電気をつけた途端にすべて消えてしまう、暗がりの奧にあるもの>

 現地に暮らし4年が過ぎたころだ。

 そのころ、私は会社を辞めて、そのまま家族全員で南アに住もうと、本気で考えていた。そのためには、日本向けの仕事だけでは収入が少ないので、英語で原稿を書こうと思っていた。

 でも、なぜ南アに。友人ができ、気候も自然も食べ物も良く、明るい面を見ていたが、初めて体験する暗い面もたくさんあった。私も家族も強盗に遭ったし、当たり前のように差別があった。植民地主義の名残、つまり、誰かが誰かを搾取するシステムがあらゆる場面で実生活に入り込んでいた。

 差別一つとっても、自分がされる場合もあるし、知らぬ間に自分が誰かをしていることもあり、複雑に入り組んでいた。

 そこに住み続けたいと思ったのは、人間の美醜や善悪が土地の風景と同じように実に鮮やかにあらわれる世界に、もっとどっぷり浸かりたいと思ったからだ。

 だが、友人ケレの目の奥にあるもののように、そこには得体のしれない闇があると感じていた。その闇を知るには、自分を丸裸にして、身を投じなければならないと薄々感じていた。

 つらかった要因はいろいろある。当初は自分の英語力に苛立ち、克服するのに3年かかった。だが、仕事のみならず、水道だ、停電だ、レンタカーだ、子供の学校だと、ほぼ全てを自分でやらねばならなかったので、それが大きなストレスになった。

 次第に慣れはしたが、今度は子供の学習障害を指摘され、学校を追い出される羽目になり、その校長と怒鳴りあいの末、どうにか特殊な子が集まる学校を見つけりと、子育てでかなり消耗していた。

 いじめと言うほどのことはなかったが、学校がストレスだったのだろう、いつも明るい子供だった7歳の長男がショッピングセンターで赤ちゃん返りのように床に寝転がって泣き叫んだり、ふさぎ込んだように暗い顔をしていることがあり、そんな一つ一つに自問自答を繰り返した。

 仕事も方も、アフリカを知るには、表に出て人と話さなくてはならないと、落ち着きなく動き回った。出張先でもホテルに着くなり、飛び出し、あるとき気づいたら、その田舎町で私一人が白昼、赤土の道を歩いていることがあった。みな、暑さで家から出ず、昼寝をしていたのだ。

 当時、医師に「マラリアにかかると厄介だぞ。ぶり返すから、予防薬を飲んでおけ」と言われ、熱帯に入るときはラリウムという強い薬を飲んでいた。現地入りする2週間前から、そして、現地を離れた後も2週間は飲み続けねばならず、その間に次の出張となるので、一年の半分以上、この薬をのんでいた。マラリア原虫を殺す毒だ。

 ある時、薬剤師から「続けてのんではダメ。後遺症がひどいのよ。特にうつ病が」と言われ、はっとしたことがあった。

 家族、仕事、そして暗く深い歴史を抱えた大陸という環境もあったが、30代後半、時折私を襲った「うつ」はこの薬が原因だったのかもしれない。

 時折、頭に浮かぶこんな夢のような光景がある。

 バザールかフェスティバル。子供の頃の縁日のように極彩色に輝く華やかな道で、私は家族4人を引き連れている。誰もが楽しむ、ハレの場なのに、さっと子供が連れて行かれはしないか、襲撃されないか、と考えている自分。あるいは具体的な恐怖は何もないのに、私はその輝いた派手な道を歩きながら、ひとり脂汗をかくほどの不安を感じている。

 それが私の30代後半の、心の底にある一つの気分だった。もちろん、それとは180度逆の、歓喜の極みのような瞬間は何度もあったのだが。

 そのころに比べれば、確かに、50代の今は、その母親がいう通り、より気楽で幸せ、ということなのだろうか。

 

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