自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

自己嫌悪からの解放

2018年月2号掲載

毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 私は昔から何でも自分からやりたがるくせにすぐ飽きる癖があり、未だに治らない。「おっちょこちょいは一生治らない」と言うが、あきっぽさもそうなのだ。

 幼稚園のころ、近所の家で女の子がオルガンを弾いているのを見て、いてもたってもいられなくなった。名曲を奏でたいのではない。白い四角い積み木のようなものを押すと音が出る不思議に魅せられた。

 母に「オルガン、やりたい」と言い続けると、「しょうがないわね」と母は兄と私を近所の「カワイ・オルガン教室」に入れてくれた。「ヤマハ・オルガン教室」もあったが、おそらく「カワイ」の方が安かったのだろう。先生は猪又先生という濃いえんじ色の鋭角のメガネ、「ざあますメガネ」をかけた女性で、今から思えばかわいい20代の理知的な女性なのだが、私にとってはとにかく怖い人だった。うまく弾けないと「違うでしょ!」と声を荒げるだけではなく、ときに手をバシッと叩かれた。

 それでも半年は続けた。発表会で「ソルベージュの唄」を子供達が何台ものオルガンを並べて弾いた。一番下手だった私は端っこだったが、あがってしまって周りについていけず、それでもうまく弾いている風に見せたくて、無茶苦茶な音を出していたのをよく覚えている。なのに「良くできたわねえ」と母や猪又先生に褒められ、その晩から自己嫌悪が始まった。「自分はちゃんと弾いていなかったのに、なぜ褒められたのか。それとも大人は自分がいい加減に弾いていたのを知っていて、褒めたときに、自分がどんな反応をするのかを見ていたのか。少し嬉しそうにしていた自分を、『やっぱりこの子は嘘つきね』と思って見ていたのだろうか」。まだ5歳なのでそんな風な言葉では考えないが、そういうことをグジグジ思っては、自分が嫌なやつだと、くよくよしている子供だった。

 「やめたい」と言い出すと、常に怒っている母は殊の外怒り、「先生の前で言いなさい!」と引っ張って行かれ「やめます」と言わされたが、最後まで猪又先生の顔を見ることができなかった。兄も「僕は最初からやりたくなかった」と言って一緒にやめてしまった。

 要は、あれほど魅惑的だった音の出る白い積み木が、始めてみると、難しい決まりごとを覚えなくてはいけないもので、当然ながら2歳上の兄よりは上手くなれず、いつのまにか苦行になっていた。そして自分からアラを探し始める。「ヤマハ」でなく「カワイ」という名は恥ずかしい。先生は自分を一番嫌っているーーと理由をみつけ、どんどん嫌になっていく。

 始めなければいいのだが、未体験のものに異様なほど惹きつけられるというたちが悪いのだろう。

 同じことが習字、そろばん、野球、剣道、バレーボール、ギターで繰り返された。いずれも自分から「どうしても」と言い出し、「今度は絶対ね」と言われて始めるが、早ければ数週間、長くても半年か1年で飽きてしまう。

 私の名は「あきお」なので、母が半ばからかうように「あんたは、すぐあきるあきおだ」となじるものだから、「今度こそは絶対に」と勇んで始めるのだが、いずれもすぐに苦行になる。練習が嫌なのだ。

 例えば、習字の場合、生徒が書いた字の上に先生が赤い墨でなぞって直すその仕草や黒と赤の墨の並びに魅せられた。教室の窓からのぞいて、やってみたくなったそろばんは、あのパチパチ言う音、暗算をするときに子供達がそろばんがないのに、さもあるかのように指を素早く動かす動作に憧れた。剣道は仰々しいお面に竹刀をぶつける音に、また、バレーボールはレシーブするときの両腕を前に出し拳を握るポーズと、ボールを受ける音に、いてもたってもいられない気持ちになった。だが、実際に体験してみると、その域に達するにはかなりの時間がかかるのと、大方の場合そこでの教師や先輩、他の生徒との関係に苦しみ、自分には無理だと諦めてしまう。

 習字の場合、自分がイメージしていたのは赤い墨で下手な字を直す先生役であり、怒られる生徒の役ではなく、ギャップが大きすぎた。野球は高々と上がるボールをジャンピングキャッチする自分を思い描いては一人で空き地でキャッチボールをしていたが、8歳の夏、高校野球を見た直後に興奮して空き地に出て一人キャッチをしていたとき突然、「自分には才能がない」と気づき、すっぱりやめた。

 「すぐあきるあきお。何をやっても長続きしない」。母の声は刷り込みのように追いかけ、未だにそこから抜け出せない。去年もジムに通い始めて、「筋トレはいいよ」と周囲に吹聴し、週に3回も通っていたが、1年もしないうちに飽きた。クライミングジムも「あれはいいよ」とSNSなどで自己宣伝していたのに、上達がおぼつかなく、足が遠のいた。

 「何をやってもダメな俺」と、寝覚めのときに落ち込むことしばしばだが、なんとか続いているものもある。老齢の先生のおつきあいだと思って渋々続けている空手は20年、月2回のレッスンがあるチェロは15年。これらはいずれも30代以降に始めたので、「手慰み」の気持ちでやっており、上達しなくても、飽きがこないのかもしれない。

 唯一、少年期からやり続けているのが山登りだ。昨日も冬の谷川岳を登り、凍るような風を受けながら、「うん、これはまだ飽きてない」と溜飲を下げた。でも、山登りはお稽古事とは違う。他人の目もなく、教師もいない。人間関係に苦しむこともない。自分の思い描くイメージなどしょっぱなに挫かれる。

 もしかしたら、たった一人になって、母の言葉から、自己嫌悪から解放される唯一の時間なのかもしれない。

 

●近著

『差別の教室』(2023年5月17日発売、税込1,100円、集英社新書)