自分が変わること

月刊「点字ジャーナル」連載コラム

セルフ特派員になる夢

2020年4月号掲載

 毎日新聞夕刊報道グループ記者(当時)/藤原章生

 

 「セルフ特派員になろうかと」。先日、高校の山岳部の先輩と会ったとき、そんなことを口にした。これは自分の造語だ。それまでこんな言い方はしなかったのに、リタイアしたあとのことを問われたとき、さらっと「セルフ特派員」という言葉が出てきたのだ。

 こんな話だ。私は過去31年の記者生活のうち32歳の年のメキシコ留学の1年を含め14年半を海外特派員として過ごしてきた。それ以外では、エンジニアを辞めて27歳で新聞記者になった直後に長野市で2年、そして大町市で1年、さらには震災後の1年を福島県郡山市に駐在した。知り合いが誰もいない土地に入り、そこで新たな人脈を作りながら書くという点では特派員と同じだ。つまり国内を合わせれば18年半も特派員をしてきたと言えるわけだ。

 それ以外の12年半は東京にいて、主に夕刊の特集ワイド面という欄でインタビューや世相、時代について、つまり日本について長めの読み物を書いてきた。

 自分ではルポルタージュが得意だったと思うが、要は部外者の目で新しい土地に行き、どんな面白いことがあるのか、何が問題なのかを読者に伝えるという仕事だった。

 特派員は英語でcorrespondentと言い、その第1の意味は「手紙で人とコミュニケーションをとる人」とある。第2が「人と定期的に商業関係にある人」で、第3になって初めて「新聞やラジオ、テレビにしばしば遠方からニュースやコメントを提供する人」という職業が出てくる(ウェブスターのアメリカ英語辞典)。手紙を書く人というのは言い得て妙だ。何も決まった給料をもらわなくてもいい。でも、新しい土地に行ってそこのことを手紙で書き続ける。それを誰にも雇われずひとりでするのがセルフ特派員である。

 なんでそんな道を考えたかと言えば、私の中で気分だけだが最近ちょっと中国がブームになってきたからだ。いまはコロナ騒ぎで時期が悪いが、中国に行き中国語をマスターしたいと思っている。

 南アフリカで英語、メキシコでスペイン語、イタリアでイタリア語をそれぞれ勉強して、最初は結構苦しんだが、2、3年するうちに急ぎのときは電話でインタビューがさっとできるくらいにはなった。会話だけでなくあらゆるもの、中でも小説が一番有益だったと思うが、とにかく読み込むことの大切さを痛感した。そして、新しい言語になるほど学びは早かった。

 そう考えれば中国語をいまから始めても十分できるのではないかと私は思う。4言語目であるし、なんと言っても漢字がわかるのが大きい。

 先日、作家の石川好さんにインタビューする準備のため、彼の書いたものを読んでいて、私は日本人が過去に罪を犯した土地に、そして日本があらゆることを学んだスケールの大きな国に一度は行かねばならないという気がしてきた。

 考えてみれば不思議で、私は世界中を回りながら、中国と韓国、香港、台湾には行ったことがないのだ。外ではたくさんの中国人の友人ができたのに。

 一度は南京や旧満州に行ってみたいという思いが出てきたのは、昨年、作家、石月正広さんの731部隊を題材にした小説『月光仮面は誰でしょう 731部隊を逃すな!』を読んだ影響もある。

 何も大日本帝国軍がしたことを反省するためという大義からではない。単に知らないことを知りたいという好奇心からだ。

 そのためにはただそこを訪ねるだけではなく、やはり特派員時代と同じように、そこの人間の日々の雑談、独り言を聞けるくらいに言葉をマスターし、何の違和感もなく受け入れられるくらいになってみたい。

 当然ながらその途上で何かを書きたくなるはずだ。だから、ただ中国に行くのではなく、セルフ特派員として行くということになる。その足でそのままチベット、ネパールと西の方に抜けてもいいが、何よりもまずは語学のマスターである。

 始めるのはいつがいいだろう。

 いまは58歳であと1年ちょいで60歳なので、その辺りに照準を当てている。

 おそらくこのまま日本で新聞記者として65歳まで働くことはできるだろうが、新しいことを始めるには65歳より60歳の方がいいように思う。

 というのも私はそれくらいの年の人とよくつきあっているが、個人差がかなり大きいとは言え、60から65歳、70歳と5年おきに人は露骨に老いていくのがよくわかる。人によっては外見が急激に衰え、また人によっては体力、筋力や関節、別の人は脳の方が衰える。

 例えば私は作家の赤瀬川原平さん(1937〜2014年)と仕事で知り合い、彼が70歳のときから亡くなる77歳までお付き合いをする幸運に恵まれたが、70歳から病が始まり、まるで坂を転げ落ちるように、めまい、脳卒中胃がんを立て続けに患い、最後は低酸素脳症を抱えて意識が戻らないまま亡くなった。

 「それまで病気一つしたことがなかったんですけど、70になった途端、突然ですよ」と笑って話していたが、年齢とはそういうものかも知れない。

 私は別に自分の病を気にしているわけではないが、やはり新しいことをやってみるには、60歳がちょうど良い頃合いではないかと思うようになった。

 それも一時の思いつき、思い込みに終わるかも知れないが、今のところまだ3カ月くらいは続いている。あわてることはない。徐々に徐々に、中国が私に近づいてきている。

 

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